今日のうた9(1月)

charis2012-01-31

[今日のうた9] 2012年1月

(写真は俵万智、デビュー当時のもの。彼女は、啄木のように、日本の短歌に新しい表現の領野をもたらした。その功績は計り知れない。)


・ 去年(こぞ)今年貫(つらぬ)く棒の如きもの
 (高浜虚子1950、大晦日と元旦、昨日の蕪村の句は両者を不連続に捉え、虚子はむしろ連続とみなす) 1.1


・ 今日明けて昨日に似ぬはみな人の心に春ぞ立ちぬべらなる
 (紀貫之『貫之集』巻四、「元日の今日は、どこか昨日と感じが違う、皆の心に春が来たみたいだ」) 1.2


・ 凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ
 (蕪村、「正月の抜けるような青空、昨日は子供たちの上げた凧(たこ)があの辺りにあったっけ」、今、眼前に凧はない、空の無限の広がりを回想によって捉える。代表作の一つ) 1.3


・ 歌かるた無言の人の上手かな
 (浜田波静1906、そう、強い人はおしゃべりしたり、はしゃいだりしない、黙々とカルタを取っていく) 1.4


・ 新春の人立つ書肆(しょし)に今日も来る
 (平畑静塔、昭和初期の新春のある日、いつも行く書店で「京大俳句」を買い求める、「京大俳句」は当時の最先端の俳誌) 1.5


・ 窓の雪女体にて湯をあふれしむ
 (桂信子1955、雪模様の温泉にざぶりとつかる、あぁ快感) 1.6


・ 年明けてゆるめる心!/うつとりと/来し方をすべて忘れしごとし。
(石川啄木『悲しき玩具』1912、今年は啄木没後100年、いかにも彼らしい歌、「うつとりと」がいい) 1.7


・ あなたには(くつしたなどの干し方に)愛が足らぬと妻はときに言ふ
 (大松達知2009、作者は1970年生れ、『コスモス』同人) 1.8


・ 電話口でおっ、って言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ
 (東直子2001、作者は1963年生れ、電話で元カレと話しているのだろうか、不思議な切れ方をするリフレイン、「電話口で/おって言って/前みたいに/おって言って/言って言ってよ」ではない) 1.9


・ 枯枝ほきほき折るによし
 (尾崎放哉(ほうさい)1885〜1926、味わいのある自由律俳句を作った) 1.10


・ 着膨れてなんだかめんどりの気分
 (正木ゆう子1994、作者は1952年生れ、能村登四郎に師事、現在、読売俳壇選者、「めんどり」というイメージが面白い) 1.11


・ 純白で私を避ける雪ばかり
  (櫂未知子、作者は1960年生れ、「私の着ている純白のドレス、さすがの雪もその白さに負けて、横にそれてゆく」) 1.12


・ 最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
 (斉藤茂吉『白き山』1946〜47、強風のため川の流れに逆らって波が白く立つのが「逆白波」、戦争責任を感じた茂吉は山形県大石田町に引篭もる、「けるかも」は近代では茂吉と会津八一くらいしか使いこなせない万葉調) 1.13


・ 冬の日の眼に満つる海あるときは一つの波に海はかくるる
  (佐藤佐太郎『開冬』1975、誰もが眼にする海の単純な事実が詩となる、佐太郎ならではの傑出した描写) 1.14


・ こがらしや海に夕日を吹き落とす
  (夏目漱石、強いこがらしが「夕日を吹き落とす」) 1.15


・ 海に出て木枯帰るところなし
 (山口誓子1944年11月、帰還の燃料なしに出撃する神風特攻隊を詠んだと言われる句、深い悲しみがある) 1.16


・ 鮟鱇(あんかう)の骨まで凍(い)ててぶちきらる
 (加藤楸邨1949、冬は鮟鱇の季節、魚屋か、それとも台所か、とてもリアル) 1.17


・ 君を打ち子を打ち灼けるごとき掌(て)よざんざんばらりと髪とき眠る
 (河野裕子『桜森』1980、妻として、母として、一日を精一杯生きている作者、熱く、温かい) 1.18


・ サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず
 (佐々木幸綱1971、可愛い女の子に恋してしまった、瑞々しい相聞歌) 1.19


・ 誰を待つ何を吾は待つ<待つ>という言葉すっくと自動詞になる
  (俵万智『サラダ記念日』1987、彼氏は来なかったのか、他動詞「待つ」が自動詞に変わる。言葉を詠うことで自分を詠う、リズムも素晴らしい) 1.20


・ 雪はげし抱かれて息のつまりしこと
 (橋本多佳子1951、雪のふりしきる光景を見ながら亡き夫を回想、追悼する妻、ストレートに愛を謳った) 1.21


・ ルンペンら火を焚き運河薔薇色に
  (秋元不死男1939、冬の灰色の運河に、ルンペンたちの焚火が「薔薇色に」照り映える) 1.22


・ 人知りてなお深まりし寂しさにわが鋭角の乳房抱きぬ
 (道浦母都子『無援の叙情』1980 全共闘運動を戦った作者、恋においても<個>であること) 1.23


・ さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵(いほり)ならべむ冬の山里
 (西行『新古今』第六冬、「私のように寂しさに耐えながら生きている人が、誰かもう一人いないかな、この寂しい冬の山里に、一緒に庵を並べようよ」) 1.24


・ 冬ごもる子女の一間を通りけり
  (前田普羅1884〜1954、「雪国では、雪で外出できない日には女や子供が何となく一部屋に集まる、そこ通る父さんは、ちょっと気恥ずかしいな」) 1.25


・ 降る雪や玉のごとくにランプ拭く
  (飯田蛇笏、雪国の夕方は早い、ランプは唯一の光源、「玉のごとくに」大切に扱う) 1.26


・ 美しき脚美しき花の色ひとときともに息す車内に
 (小野茂樹『黄金伝説』1971、電車の向いの座席に花束を抱えた女性が座っている、彼女の美しい脚、美しい花、そして私が、「ひとときともに息す」る車内)1.27


・ 春日野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり
 (よみ人しらず『古今集』巻一春、「今日は春日野の野焼きはやめてください、愛する妻がこもっています、この私もこもっています」現在では、若草山の山焼きは1月第4土曜に行われる、今年は今日) 1.28


・ 水仙や古鏡(こきょう)の如く花をかゝぐ
 (松本たかし1935、作者は虚子門下、蛇笏はたかしの俳句を「情に媚びぬ高雅な品位」と称えた) 1.29


・ 勝ち牛も負け牛も踏む冬すみれ
  (石寒太1943〜、牛たちが戦っている熱気を示す「冬すみれ」、言葉の取り合わせも韻律も見事) 1.30


もののふの八十(やそ)宇治川網代木(あじろぎ)にいさよふ波のゆくへ知らずも
  (柿本人麻呂万葉集』巻三、「宇治川網代木(=氷魚を獲る為の杭)の所にしばし留まるように見えるこの水は、どこへ流れ去ってゆくのか」、「いさよふ波」に我々の生を見た雄渾な調べ) 1.31