ワーグナー『ローエングリン』

charis2012-06-10

[オペラ] ワーグナーローエングリン』 新国立劇場大ホール


[写真右は、白鳥の騎士ローエングリンを歌うフォークト、下は第三幕、エルザ姫(左)とローエングリン(右)の婚礼の日の夜、彼女は騎士の名前を尋ねてしまい、すべてが水泡に帰す]

ワーグナー第6作目のオペラ、スイス亡命中のワーグナーを助けたリスト指揮で初演(1850)。物語は、中世の聖杯騎士伝説に由来する。弟殺しの濡れ衣を着せられたブラバント公国のエルザ姫を、白鳥の騎士が助けに来る。騎士は決闘に勝ち、姫を娶るが、自分の名前と出自だけは決して尋ねてはならないとエルザに誓わせる。ところが、伯爵夫人オルトルートに巧みに誘導され、騎士に対する懐疑を植え付けられたエルザは、誓いを破って騎士の名を尋ねてしまう。彼は、聖杯守護の騎士ローエングリンであると自分の名を明かし、公国を去ってゆく。


本公演は、新国の新製作で、演出はシュテークマン、美術・光メディア造形・衣装がロザリエ。シュナイダー指揮の東フィルも良かったが、何といっても、CGの光メディアを駆使したスタイリッシュな舞台の美しさと、ローエングリン役フォークトのテノールが素晴らしかった。フォークトは、限りなく甘く歌うかと思えば(白鳥の騎士が天上から降臨しつつ最初に歌った発声は、戦慄するほど美しかった)、ある時は凛として、そして苦悩に満ちた時はやや渋く歌う。声量が豊かで、伸びやか、合唱の中からもその声が浮かび上がって、よく通る。聴覚的にも視覚的にも、こんなに美しい白鳥の騎士はまたとないと思われる。


シュテークマンは、合唱団を兵士や女官の姿で、舞台上を縦横に動かす。舞台は僅かのオブジェがあるだけの「何もない空間」だが、ピーター・ブルックのように、人の動かし方がきわめて巧みで、人間の身体の「動き」の美しさが鮮烈な印象を与える。衣装の色彩もシンプルで美しく、少しオレンジが混じった黒の集団の中に、白と、深紅と、青が一点ずつ輝くように浮き出している。ギリシア悲劇のコロスのような合唱団と、数人の主要歌手が、視覚的にも聴覚的にもうまくマッチしている。総合芸術としてのオペラの真髄だ。


シュテークマン演出は、演劇的な人物造形もよく考えている。「物語の中で誰も成長したり変化したりせずに、一方調子で行動する人々の悲劇」というのが基調の理解で、ローエングリンも、「女性の扱いに慣れていない初心な騎士で、<自分には秘密があるけど聞いちゃダメ>というのは、女性に対する最悪の対応」と考える(プログラムノート)。エルザもかなり未熟な女性で、最初は少女のようなミーハーな格好で登場するのが印象的だ。しかしエルザは、教会の真っ赤な絨毯の上を、ウェディングドレスをつけて歩む途中で倒れてしまう。ゲルマン神話の神々を崇め、キリスト教を憎悪する伯爵夫人オルトルートは、魔術も使う女性だが、彼女も存在感に溢れていた。


以下に、舞台の写真がたくさんあります。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000184_frecord.html