[今日のうた14] (6月1日〜30日)
(写真は山口誓子1901〜94、森羅万象の“質感”を言語化することにかけては、並ぶもののなき天才、言語表現という透明な媒体の中に、ものの“質感”が溢れ出る)
・ 春過ぎて夏来にけらし白栲(しろたへ)の衣ほすてふ天の香具山
(持統天皇『新古今』巻三、「夏が来たんだわ、きっと、白い衣を干すという天の香具山に、ほら、白い衣が翻っている」、『万葉集』原歌では、「来にけらし」が「来たるらし」、「衣ほすてふ」が「衣ほしたり」に) 6.1
・ プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ
(石田波郷1939、豊かに茂った街路樹のプラタナスが、夜さえも「みどり」に染める) 6.2
・ 大雷雨鬱(うつ)王と会ふあさの夢
(赤尾兜子1975、作者1925〜1981は高柳重信とともに前衛俳句の中心だった人、「夜中に雷雨があったな、鬱の王様と会う夢を見て目が覚めたよ」) 6.3
・ 越後屋に衣(きぬ)さく音や更衣(ころもがへ)
(榎本其角、江戸の日本橋にあった呉服店・越後屋は、現在の三越デパートの発祥、景気よく、夏服の生地がどんどん売れてゆく) 6.4
・ 空豆の花に追れて更衣(ころもがへ)
(小林一茶『七番日記』、空豆の花は白だが、わずかに赤みや青みがかったものもある、「空豆の花が咲いたよ、それに追われるように私も更衣」) 6.5
・ クレヨンの黄を麦秋のために折る
(林桂、作者1953〜は、高柳重信に見出され、前衛的な句を作る人、「麦秋を描いているうちに黄のクレヨンが折れた」、麦秋には、しみじみと物思わせる美しさがある) 6.6
・ 麦車馬におくれて動き出づ
(芝不器男1926、「刈り取った麦を満載した荷車は重い、まず馬が動き、一呼吸置いて、やっと荷車が動き始める」、26歳で没した作者は、先鋭な写生句によって、昭和初期の俳壇を「彗星のごとく過ぎた」人) 6.7
・ マシュマロがマシュ、マロと溶けてゆくこの口の中の寂しさ
(吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、作者1947〜は、まだ70年代初頭の頃から、やさしい口語で歌を詠んだ人、歌集名も心に残る) 6.8
・ まなざしに仰角30度の陶酔がある あなたはきけば指揮者だといふ
(井辻朱美2001、作者はファンタジー文学研究者でもある人、指揮者という職は「仰角30度の陶酔」するまなざしを持つ) 6.9
・ 梅雨に入りて細かに笑ふ鯰(なまづ)かな
(永田耕衣1955、「さすが梅雨だね、あのふてぶてしい顔の鯰が<細かに笑う>ぜ」) 6.10
・ 水桶にうなづきあふや瓜茄子(うりなすび)
(蕪村、「採ったばかりのキュウリとナスが、水桶の中で互いに頷き合うように揺れている」) 6.11
・ 万華鏡めきて尾燈や梅雨の街
(阿波野青畝、「梅雨だなあ、自動車のテールランプがたくさん水に光って、万華鏡のよう」) 6.12
・ 逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと
(河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972、歌集冒頭の歌、作者17歳の作品、自分を「おれ」と呼ぶ女の子の突っ張った相聞歌) 6.13
・ 動こうとしないおまえのずぶ濡れの髪ずぶ濡れの肩 いじっぱり!
(永田和宏『メビウスの地平』1975、作者は、昨日の歌の河野裕子の夫、彼女の歌にある「おまへ」その人ではないが、相呼応する雰囲気の相聞歌) 6.14
・ 咲きのぼる梅雨の晴間の葵かな
(夏目成美、作者1749〜1817は江戸期の俳人、「梅雨の晴間、立葵の花が、咲きのぼるように咲いているよ」、まるで昨日誰かが詠んだ句のよう) 6.15
・ ぱくと蚊を呑む蝦蟇(ヒキガエル)お嬢さんの留守
(西東三鬼1962、作者は、ありそうな=なさそうな面白い句を作る人、「ヒキガエルがぱくりと蚊を呑む」と「お嬢さんの留守」という無関係なものの取り合わせ) 6.16
・ 山の色釣り上げし鮎(あゆ)に動くかな
(原石鼎1886〜1951、「渓谷の急流で釣り上げた鮎が激しく動く、鮎の表面に映る山の緑も激しく動く」) 6.17
・ あぢさゐの藍(あゐ)のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
(佐藤佐太郎『帰潮』1952、「あぢさゐの花は、昼は昼の藍色に輝き、夜は夜の藍色に輝く」、あぢさゐの夜の藍色という見立てが新鮮、下の句も佐太郎ならではの高度な技法) 6.18
・ 選ばないことを責められ云ってしまうどの空も見たことがあるのよ
(江戸雪2005、作者1966〜は何を「選ばない」ことを責められたのか、下の句がいい、想像力をかき立てられる) 6.19
・ 偽りを言ひてもここなる愛遂げたし抱擁の背に海満つるとき
(小野茂樹『羊雲離散』1968、海辺で彼女を抱きしめているのか、「背に海満つる」は作者の視覚一杯に広がる海、しかし彼女の顔は見えていない) 6.20
・ 短夜や乳(ち)ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)
(竹下しづの女1920、作句一年目の作者(1887〜1951)のこの句は「ホトトギス」巻頭を飾った、「短夜でよく眠れないのに、赤ん坊が乳を求めて泣き止まない、ああ、この子捨てちゃおうか、できないわよ」) 6.21
・ 六月の氷菓一盞(ひょうかいっせん)の別れかな
(中村草田男1936、「酒席ではなく、共にアイスクリームを食べて別れを惜しむ、相手は親友か女性か」、「盞」は、盃または皿の意、漢語を上手く使った句、昔はアイスクリームはよくステンレス製の容器に載っていた) 6.22
・ 投光器に石を投げよと叫ぶ声探り光は定まりてくる
(清原日出夫1960、デモ隊と警察の投光器との攻防、安保闘争の中で生まれた歌、6月23日には、新安保条約発効し、岸首相退陣) 6.23
・ べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
(永井陽子1983、作者1951〜2000はメルヘンのような美しい歌を詠んだ人、短大で国文学を教えた、「助動詞<べし>の活用みたいに音を響かせながら、鼓笛隊がやってくる」) 6.24
・ 車中にて親指メールをする人よ人を思ふとき人はうつくし
(大松達知2005、嬉しそうに画面を見つめて打つ女子高校生か、今のスマホの優雅な指使いを思えば、「親指メール」も懐かしい) 6.25
・ へうへうとして水を味ふ
(種田山頭火1926、作者1882〜1935は托鉢の旅をしながら自由律俳句を詠んだ、この句も短く、味わいが深い、「たった一人、悠然として、水を飲む、うまい」) 6.26
・ 全長のさだまりて蛇すすむなり
(山口誓子1949、「蛇は身を大きく蛇行するが、先端と最後尾との直線距離は不変に保たれる、この見事な幾何学的規則性」) 6.27
・ どのやうに馬鹿なことでもすでにもう誰かが言つたり書いたりしてる
(香川ヒサ『ファブリカ』1996、「どんなバカなことを考えても、すでに哲学者の誰かが言っている」(キケロ)を、モンテーニュが引用し、それをさらにパスカルが引用した) 6.28
・ なかなかに親しめぬ男傘にいてわが右腕は濡れ初むるなり
(梅内美華子1994、「一つの傘に入っていても、心が離れていれば体も離れてしまう」) 6.29
・ 人は心に花あるやうにをちこちに彩ある傘をかかげゆくなり
(稲葉京子2006、作者1933〜は、繊細な歌を詠むことで知られる人、「雨降る街のあちこちに、いろどりの美しい傘、さしている人の心に花が咲いているみたい」) 6.30