映画『桐島、部活やめるってよ』

charis2012-08-27

[映画]  吉田大八監督『桐島、部活やめるってよ』  (池袋シネ・リーブル)


『コクリコ坂』以来、一年ぶりに映画館に行く。吉田大八監督は、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(07、原作は本谷有希子の演劇)という優れた映画を撮った人。本作は、朝井リョウ(1989〜)が早大在学中の19歳の時に書いた小説(「小説すばる新人賞」受賞)を映画化したもの。とても素晴らしい映画だった。日本映画史に残る傑作だと思う。高校生を描いた“学園もの”だが、まぶしく、切なく、残酷な青春が、リアルに、しかもこのうえなく美しく描かれるという点で、私は、18歳のサガンが書いた『悲しみよこんにちは』を思い出した。


舞台はある地方の、山の見える都市にある進学校。高校2年の二学期になると、受験もあるので、部活をやめたりする生徒も出てくる微妙な時期だ。そんなある日、県大会でも強い名門バレー部のエースで、成績もよい桐島が部活をやめるというニュースが、校内を駆け巡る。桐島は登校もしないので、バレー部の試合は代理が出て大敗。バレー部内は険悪な雰囲気になってゆく。一方、桐島の彼女で校内一の美女の梨紗も桐島と連絡がとれず、梨紗から情報を得ようと集まる友人と梨紗との関係も緊張感が増す。高校は、スポーツ部、文化部、帰宅部(部活しない生徒たち)に分かれており、部活のエース級はそれで推薦入学を狙う者もいれば、部活に頼らず受験の点数だけで合格しようという生徒もいる。そうした複雑な利害関係から、校内には微妙な「スクールカースト」があり、桐島の退部はその全体の力関係に効果を及ぼしてゆく。また、スポーツ部のエース級男生徒は女子にもてるが、文化部のオタク的男生徒はぜんぜんもてないという、厳然たる恋愛格差、モテ格差も校内を支配している。


このような状況の中で、立場を異にする数人の男生徒・女生徒の戸惑いと葛藤、対立と和解、恋、そして友情が描かれるのが、この映画である。その一人ひとりの表情、仕草、行動が、とてもみずみずしく、生き生きとして、美しい。どちらかというと、男生徒たちがやや屈折ぎみで、自己表現も抑制されているのに対して、女生徒たちはとても生き生きしている。「○○君て、顔もいいけど、体もいいわよね」と、屈託なく男生徒の品定めをする女生徒たちの何という嬉しそうな表情。そうかと思えば、相手が真剣に訴えてくるのに対して、「なんで?」「別に・・」とだけ、短く冷酷に返答する彼女たち。その受け応えの絶妙なうまさに、「空気を読みながら」生きている女子高校生たちの高度な文化を感じる。その点、男子生徒たちは、互いの沈黙の中に男の友情が感じられる場面が多く、やはり女生徒とはどこか文化が違う。そして、にこやかな女生徒が恋敵のライバルに向けるほんの一瞬の敵意に満ちた視線、周囲には悟られないで見せる瞬時の敵意を、カメラは見事に捉えている。男子生徒は、怒りの表情は見せても、このような瞬時の敵意を見せることはない。


主人公を含む三人の男女が素晴らしい。主人公の映画部・部長、オタク少年である前田(子役で有名な神木隆之助)は、桐島の退部を無視して映画を作り続けるが、威勢のよいスポーツ部に押されて割を食う。部活はしないがスポーツも成績も抜群でモテモテの菊池(東出昌大、『メンズノンノ』のモデル)は、親友の桐島が部活をやめたことにショックを受け、自分も落ち込む。彼が折々に見せる、思いやりに満ちた男の沈黙の友情はとても美しい。そして、グループの中でも人望のある女生徒かすみ(橋本愛、『セブンティーン』のモデル)は、気配りに満ちた行動で、周囲の動揺を抑える方向に動く。多くの女生徒が、自分の彼氏を誇示しがちな中で、彼女自身は自分の恋を慎重に伏せたままにする。この三人を核とする17歳の若者たちの、桐島(ゴドーのように、映画には一度も登場しない)退部をめぐる、動揺、ストレス大爆発、そして受容と和解がすがすがしい。写真は↓、教室の最前列に座る前田を後方で笑う女生徒たち、そして、校舎屋上で最後に起こる、映画部のスポーツ部への「逆襲」、その下の三枚は、上から、左端が菊池、次は、右端がかすみ、最後は、帰宅部の面々。





以下で、予告編・動画が見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=KjjG0WTQ6C4