今日のうた16(8月)

charis2012-08-31

[今日のうた16] (8月1日〜31日)


(写真は斉藤茂吉。茂吉の歌は、そこに詠まれている言葉や全体の“調べ”がとても美しい。現代の短歌は意味と内容を重視するので、歌うような調べの美がやや希薄になった。)


・ 夏氷挽(ひ)ききりし音地にのこる
 (山口誓子1940、「昔は氷屋が、リアカーに積んだ氷を、目の粗いのこぎりでガリガリと切って売っていた、挽き切った後もその音の残響が地面にまだ残る」)  8.1


・ 浅草の赤たつぷりとかき氷
 (有馬朗人2004、作者は、物理学者、東大総長、文部大臣を勤めた、「かき氷の色もたっぷりと濃い、下町の夏」)  8.2


・ 滝の上に水現れて落ちにけり
 (後藤夜半1940、大阪の箕面の滝、虚子が褒めた客観写生の句、下から眺める滝は、まさに水が高所にそのつど「現れる」)  8.3


・ 分け入つても分け入つても青い山
 (種田山頭火1926、名峰ではなくありきたりの低い山だろうか、まさにこの感じこそ日本の夏山)  8.4


・ 荒海や佐渡に横たふ天の河
 (芭蕉1689年7月、「荒れる日本海の真っ暗な闇に、重罪人の悲しい流刑地佐渡島がかすかに見える、ただ銀河だけが此処と彼処を繋ぐのか」、この句は単に美しい句ではない、流刑地佐渡」は隔離の場所、悲しみの場所だった)  8.5


・ 女一人佇(た)てり銀河を渉(わた)るべく
  (三橋鷹女1952、「女が一人、天の川の川べりに立ち尽くしている、対岸へ渡ろうと固く決意して」、織姫よ、貴女は自ら打って出るのですね、彦星の迎えを待ったりせずに)  8.6


・ 七夕(たなばた)やふりかはりたるあまの川
 (服部嵐雪、「おお、明け方の天の川は、天空の配置が、宵口の天の川とは大きく替っている」、雄大な句、8月7日は旧暦の七夕)  8.7


・ 七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ
 (橋本多佳子1947、いかにも女性らしい美しい句、彼女の心が伝わってくるようだ) 8.8


・ 夏雲のかがやく空に見失ふ投槍は地のものにあらず
 (小野茂樹『黄金記憶』1971、「槍投げの競技、投げられた槍はまぶしい大空に見失われて視界から消えてしまった」、オリンピックだろうか)  8.9


・ 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
 (寺山修司『空には本』1958、高校生の時の作、「海を知らぬ少女」に、「海ってね、こんなに広いんだよ」と教えているのか、それとも、初めて海を見せに連れて来た少女に、海辺で告白でもしようというのだろうか)  8.10


・ 納豆は「なんのう」海苔は「のい」となり言葉の新芽すんすん伸びる
 (俵万智『プーさんの鼻』2005、幼児は言葉を「すんすん」覚える、人間の言語はそれ自体が奇蹟のようなもの)  8.11


・ うすものの二尺のたもとすべりおちて蛍(ほたる)ながるる夜風の青き
 (与謝野晶子1901、「ブラウスの袖からすべり落ちてゆく蛍の光、夜風が青い」(俵万智の現代短歌訳)、「うすもの」はブラウスではなく浴衣か、蛍は光りながら袂を「すべりおちて」離れてゆく)  8.12


・ ゆふ闇(やみ)の空をとほりていづべなる水にかもゆく一つ蛍(ほたる)は
 (斉藤茂吉1935、「夕闇の空を点滅しながら飛んでいるあの蛍は、どこの水へ行くのだろうか」、言葉の響き、一首全体の声調がとても美しい) 8.13


・ 三呼吸ばかり光りて流らふる蛍は遠くとぶこともなし
(佐藤佐太郎1971、蛍はしばらく光っては消え、また光っては消えるという、発光のリズムがある、「三呼吸ばかり」という作者自身の息づかいによって詠われる、蛍のはかなさと美しさ) 8.14


・ あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
 (土岐善麿1945、敗戦後の日本人の苦しみ、たぶんどこの家庭にも、これに似た会話や沈黙があっただろう) 8.15


・ 歌よみが幇間(ほうかん)の如く成る場合場合を思ひみながらしばらく休む
 (土屋文明1943、戦時中、歌人たちが競って戦争賛美の歌を詠む中、作者は決して同調しなかった、作歌を、あるいは歌会を「しばらく休む」に込められた批判と無念の思い) 8.16


・ 流灯(りゅうとう)の帯のくづれて海に乗る
 (阿波野青畝1972、帯状になって川を流れてきたたくさんの灯篭が、少しずつ崩れながら、海に出て、波の動きが加わるようになる) 8.17


・ 裸子(はだかご)が裸のわれをよろこべり
 (千葉皓史1990、「裸になった父の姿が珍しいのか、幼い子どもが嬉しがる」、父も嬉しいのだ、このように子とくつろげる時間が) 8.18


・ 濃き日影ひいて遊べる蜥蜴(とかげ)かな
 (高浜虚子1927、小動物のトカゲが「濃き日影をひく」、その存在感が鋭く浮かび上がる、虚子ならではの本質把握の句) 8.19


・ ところてん煙の如く沈み居り
 (日野草城1927、ところてんはいかにもところてんらしく、ガラス容器の下部に「煙の如く沈んで」いる)8.20


・ 未来にもわれに向かいて走りつつとどかぬ星の光あるべし
 (石本隆一1986、夜空の星は何千年もかかって光が私に届く、アンドロメダ星雲の光は200万光年を旅してきた、だから私に向かって宇宙空間を走っている光、まだ私に届かない光が、今後もつねにある)  8.21


ダイナモの/重き唸りのここちよさよ/あはれこのごとく物を言はまし
 (石川啄木1910、ダイナモ(=発電機、啄木はモーターを勘違いしたのかも)の「重いうなりが心地よい」、当時は新しいタイプの珍しい音だったのか、「そんな風に物を言ってみたい」というのが何か物悲しい) 8.22


・ 大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも
 (北原白秋1915、産卵した鶏が卵を人間に取られてしまったのか、それとも、食卓に置かれた卵を誰かが上から掴んだのか、「昼深し」も謎で、シュールで不思議な歌、当時白秋は姦通事件訴訟の余波で困窮してもいた) 8.23


・ <とか><とか>と並ぶレポート指し示しとかとか国のものがたりする
 (永井陽子2000、今の学生はレポートでも「・・とか〜〜とか」等、会話調で書いてしまう、それを短大の授業でユーモラスにたしなめる、早世した作者はやさしい教師でもあった) 8.24


・ 秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
 (藤原敏行古今集』巻4、「秋の到来は視覚に分かるよりも早く、木の間を吹き抜ける風の音の違いにあらわれる」、実際これは、平地や都市よりも、山地でより敏感に感じられる) 8.25


・ 白桃に人刺すごとく刃を入れて
 (鈴木真砂女1964、何かあったのだろうか、白桃に刃を入れながら「人を刺す」ように感じる作者) 8.26


・ 人生冴えて幼稚園より深夜の曲
 (金子兜太1961、素敵な女性の口説きに成功? それとも、職場の懸案を鮮やかに解決? ハイな気分で深夜の道を帰ると、幼稚園で祝福の音楽が鳴っている! 当時作者は日銀の銀行員、ちょっとシュールな面白い句) 8.27


・ 算術の少年しのび泣けり夏
 (西東三鬼1940、「いよいよ夏休みも終りだ、なに、算数の宿題がぜんぜん分からない? めそめそしてないで頑張れ!」) 8.28


・ いじめには原因はないと友が言うのの字のロールケーキわけつつ
 (江戸雪1997、作者は1966年生れ、女友達同士の会話、「のの字」のロールケーキも何か重苦しい雰囲気が) 8.29


・ 茶や赤や黄や淡青(うすあを)や埠頭には確かさがあるコンテナ積まれ
 (紀野恵、色とりどりのコンテナは、いかにも現代の埠頭らしい光景、「確かさ」という修辞が光る) 8.30


・ 草原にありし幾つもの水たまり光ある中に君帰れかし
 (河野愛子『木の間の道』、たぶん戦争末期に作られた歌、歌の前半は作者の見た夢だろうか、病床にある作者は軍人である夫の帰りを待っている)  8.31