ワーグナー『タンホイザー』

charis2013-01-26

[オペラ] ワーグナータンホイザー』 新国立劇場大ホール


(写真右は、タンホイザー役のS.アナセンとヴィーナス役のツィトコーワ、下は、第一幕のバレーと、第二幕のエリーザベト姫(M.ミラー)、第三幕最後のタンホイザーの死、記事の最下部は第二幕の歌合戦)

私のゼミの4年生の学生4名とともに鑑賞。その後の夕食会も含めて彼女たちの卒業祝いなのだが、『タンホイザー』が卒業祝いにふさわしい作品であったかどうかは分からない(笑)。でも、さすがに重厚なワーグナーの傑作なので、それなりの充実感はあったと思う。舞台は、H.P.レーマン演出による2007年初演、今回は再演で、私は初見。第一幕で氷の柱がせり上がってくるところなど、舞台装置と光の使い方は実に見事で、スタイリッシュな現代的舞台。ただし衣装は伝統的な重厚なもので、美しく映えていた。ワーグナーのオペラはオーケストラ音楽の比重が際立って高く、オケが全体を主導しているともいえるが、『タンホイザー』は、深淵で不気味なライトモティーフ(示導動機)が序曲から最後まで要所要所で響くのが、やはり凄い。ただし、今回のオケ(東京交響楽団)は、木管の音の揃い方や全体の迫力など、まだ少し物足りない感じもある。


この作品は、異教の女神ヴィーナスとの官能の快楽に溺れたタンホイザーローマ法王に罰せられるという、キリスト教的倫理が前景にあるように見えるが、細部をよく考えれば、そう単純でもないようだ。というのも、第二幕で、清純な乙女の象徴であるエリーザベト姫は、他の騎士歌人たちと違って、タンホイザーのエロスに理解を示す唯一の人物であり、彼を救おうとした姫とタンホイザーがともに死ぬという悲劇的結末は、ある意味では、エロスを弾圧したローマ法王への批判とも解せるからである。とはいえ、ヴィーナスだけでなく聖母マリアにも惹かれて、両者の間を彷徨するタンホーザーの苦悩は、我々人間の普遍的な主題でもあるだろう。


今回は、ヴィーナスを歌ったのがツィトコーワで、小柄で可愛らしい彼女は、官能を象徴する女神としては、少し清楚すぎるような気もした。初演のときのヴィーナスの写真を見ると、衣装も大胆で官能的だが、今回のヴィーナスはエリーザベト姫(聖母マリアの側にある女性)との対照性があまり感じられない。初回のドレスデン稿では、ヴィーナスとエリーザベトが表裏一体にあることが、調性によって暗示されていたが、最終形態のウィーン版ではそれが失われたとプログラムノートにあるが、ヴィーナスとエリーザベトの表裏一体性というのが、ワーグナーの真意なのかもしれない。エリーザベト姫を歌ったミーガン・ミラーは若いアメリカ人ソプラノだが、大柄で、声量も豊か、伸びやかに響くその声はとても素晴らしかった。彼女がヴィーナスを、ツィトコーワがエリーザベト姫を歌ったらどうだったのだろかと、想像してしまった。タンホイザーを歌ったデンマークテノール、スティー・アナセンは、体調が悪かったのか、やや精彩を欠いていたように思える。