今日のうた22(2月)

charis2013-02-28

[今日のうた22] 2月


(写真は宮内卿、17歳より活躍し天才少女と言われて、やや年上の俊成卿女と並び称されたが、二十歳頃に夭折、『新古今』など勅撰集に歌があるが、家集はない、歌は明快で直截、例えば1日の引用歌など)


・ 聞くやいかに 初句切れつよき宮内卿の恋を知らざるつよさと思ふ
 (米川千嘉子1988、「鎌倉初期の十代の女流歌人宮内卿の歌は、「聞くや、いかに」=「知ってるでしょう、どう思ってるのよ」という初句切れ、彼女に恋愛の実体験がないからこんな強く言えたのでは」


元の歌は、「聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは」(『新古今』巻13)、「知ってるんでしょう、どう思ってんのよ、上空を吹く気まぐれ風(=浮気男)でさえ、松(待つ)の木に触れて音を立てるのがしきたりだってことを、なのに貴方は、こんなに待ってる私を完全無視よね」


ところで、江戸期の碩学、契沖と宣長は、この歌にケチをつけている。「女の歌にはことにいかにぞや」(契沖)、「まことに「いかに」は少し言ひ過ごして聞こゆるなり」(宣長)、理詰めで男性を論駁するなんて、奥ゆかしくないぞ、女らしくないぞ、と。フツーのオヤジの言い草だね。一方、現代の女性歌人米川千嘉子は、作者の恋愛体験のなさゆえとする。) 2.1


・ たはむれて君が掬ひし掌(て)の雪に唇づけんとし不意にせつなし
 (小島ゆかり1986、「一緒にはしゃぎながら降った雪を楽しむ私たち、貴方が手ですくった雪に口づけしようとした瞬間、どうして雪なの、貴方じゃないのと、ちょっと切なくなっちゃった」) 2.2


・ 議論より君と歩くが楽しきと口には出せず資料広ぐる
 (栗木京子1974、作者は20歳の京大生、ある学究肌の男子学生を好きになってしまった、でも彼に、「貴方と学問の議論をするより、一緒に歩きたいわ」なんて、とても恥ずかしくて言えない、彼の横で黙々と資料を広げる) 2.3


・ 年のうちに春は来にけり一(ひと)とせを去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ
 (在原元方古今集』巻頭の歌、「今年は、正月になる前に立春が来た、これから正月までの間を、去年と言うべきか、今年と言うべきか」、旧暦では、たまに新年への切替りが立春より遅れる、今日は立春) 2.4


・ 年の内に踏み込む春の日脚(ひあし)かな
 (北村季吟、作者は江戸初期の国文学者、この句は、昨日の『古今集』巻頭の和歌を俳句に読み替えたもの、「正月より前に立春が来た、形式上はまだ年内の冬の短い日脚(=昼の長さ)のはずだが、実際はもう春のやや長い日脚になっているよ」) 2.5


・ 青空のちゞめられゆき雪もよひ
 (阿部みどり女1955、「ずっと広がっていた青空が、雪雲に押されて狭くなったと思ったら、あれっ、もう雪がぱらついている」) 2.6


・ 旗のごとなびく冬日をふと見たり
 (高浜虚子1938年2月4日、東京・小石川植物園での句会にて、「ふと見ると、冬の太陽が旗のようになびいている」、激しく流れる雲の奥に太陽が影のように透けて現れたのか) 2.7


かまくらの中のをさなき恋敵(こひがたき)
(後藤立夫1943〜、「ちいさな子供たち、雪のかまくらの中で、誰の隣に座るかでもめているのかな」) 2.8


・ 北風に言葉うばはれ麦踏めり
 (加藤楸邨1937、「麦を踏むのは機械ではなく、言葉を語る人間だ、寒風の中でその言葉が出ない」) 2.9


・ わが頬を打ちたるのちにわらわらと泣きたきごとき表情をせり
 (河野裕子『森のやうに獣のやうに』、たぶん20歳頃の作、「わらわらと」が卓越した表現、歌集には、彼氏と別れるときの苦しみをうたった歌が並ぶ) 2.10


・ 笑みありてしばらく時間をよぎりつつ甦らむきみの感情を待つ
 (小野茂樹1968、「彼女は何かを怒っているのか、まず笑顔を見せて、その後は沈黙してしまった、どうしたら気持ちが元に戻るのだろうか、祈るような時間が過ぎる」) 2.11


・ エビフライ 君のしっぽと吾のしっぽ並べて出でて来し洋食屋
 (俵万智『サラダ記念日』1987、若い二人の楽しそうな夕食光景が伝わってくる) 2.12


・ 山脈が波動をなせるうつくしさ直(ただ)に白しと歌ひけるかも
 (斉藤茂吉『白き山』1947、「山脈の波打つような形が美しい、どこまでも真っ白な姿で」、「けるかも」は万葉調の終止形、自然に使いこなす茂吉) 2.13


・ 舗道(ほだう)には何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子戸のそと
(佐藤佐太郎1936、「ガラス戸越しに見える舗道は、いつも車や人が動いている賑やかな通りだが、ふと見ると、動くものが何もない静謐な時がある」、ありふれた光景の中に思いがけず現れる異なった相貌) 2.14


・ いなせとも言い放たれず憂きものは身を心ともせぬ世なりけり
 (伊勢『後撰和歌集』、「いなせ」=「否と諾」、「(ラブレターをいただいたけれど) ノーともイエスとも言えないの、女の体っていうのはね、自分でも自由にならないのがつらいわ、でも私が悪いんじゃないのよ」、世間の目を理由に上手に断っているのか、それとも回答を先延ばしにしているだけなのか) 2.15


・ 頼むかなまだ見ぬ人を思ひ寝のほのかに馴(な)るゝ宵々の夢
 (式子内親王、「結局、夢にすがっちゃうのよね、貴方と密かに慣れ親しんでいる夢を毎晩見るわ、ああ、でも一度も来てくださらないのね、どうしてなの」、引き籠り歌人らしい片思いの歌) 2.16


・ 別れ路や虚実かたみに冬帽子
 (石塚友二、「ある女性と互いに虚実とりまぜた話をしながら歩いてきて、別れ際、彼女の冬帽子が美しい」というのか、余韻・余情のある句、「かたみ」という語から思うに、たぶんこれは別れ話なのだろう、作者1906〜1986は石田波郷と「鶴」を創刊) 2.17


・ 薔薇色(ばらいろ)の暈(かざ)して日あり浮氷(うきごほり)
 (鈴木花蓑(はなみの)、「池に浮かんでいる氷が薔薇色に光っている、早春の太陽の光を一杯に浴びて」、作者1881〜1942は初期の「ホトトギス」で活躍した人) 2.18


・ 下紐(したひも)といふは木綿(もめん)の事でなし
 (『誹風柳多留』1772、「下紐」=腰巻、「遊女の腰巻はやっぱり絹じゃなきゃなぁ、木綿じゃ色気がないよ」、吉原を詠んだ川柳は多い) 2.19


・ おちやつぴい湯番のおやぢ言ひ負(まか)し
 (『誹風柳多留』1768、「ちょっとませた弁の立つ少女が、セクハラっぽくからかった風呂屋のオヤジを、ピシャリとやっつけちゃった」、「おちゃっぴい」とは「お茶ひき」からきた語で、もとは客待ちの遊女たちのお茶を飲みながらの会話から、「話術に長けた」という意味が生じた) 2.20


・ 体調のわるさに気づく冬の朝タイツを立って履けないことで
(穂村弘『手紙魔まみ』2001、「“タイツを立って履く”には、まず片足で立って足を入れなきゃね、その段階でよろけちゃった、あーん」、斬新な発想の歌を詠む作者) 2.21


・ 来世などあるべくもなしうつし世は天の花降るけふの日大事
 (山埜井喜美枝2006、作者1930〜は批評性のある歌を作る人、76歳の老いをものともせずに、闊達に現世の今日を生きる) 2.22


・ 大阪の女はころとにぎやかで哀しきときもころろと笑ふ
 (池田はるみ『ガーゼ』2001、作者は大阪生まれで、現在は東京在住の歌人、大阪の女性の会話には特有の明るさがあるのか) 2.23


・ 乗鞍のかなた春星かぎりなし
 (前田普羅1947、「真夜中の乗鞍岳の頭上には無数の春の星が光っている、星を背景に浮かび出る乗鞍岳の大らかな輪郭の美しさ」) 2.24


・ 白き巨船きたれり春も遠からず
 (大野林火1939、「白い大きな船が港に来たよ、春も近い」、作者1904〜1982は臼田亜浪門下、ハンセン氏病院での俳句指導などをした人)  2.25


・ 少年や六十年後の春の如し
 (永田耕衣1970、「おお、そこにいる君、少年よ、六十年前の僕にそっくりじゃないか、六十年後の今、また春がやって来たみたいだよ」、いかにも耕衣らしい、意表を突いた名句) 2.26


・ 人知りてなお深まりし寂しさにわが鋭角の乳房抱きぬ
 (道浦母都子『無援の叙情』、「恋人ができて愛し合った、・・・なのに自分は独りぼっちという思いがいよいよ深まり、鋭角の乳房を一人抱く」、作者の“個” はつねに“孤”から離れられないのか) 2.27


・ ゆゑもなく海が見たくて/海に来ぬ/こころ痛みてたへがたき日に
 (石川啄木『一握の砂』1910、啄木が見た海は、晴れた日の穏やかな海か、それとも、荒天の日の荒れた海か、読み手の心象風景によって「海」の相貌も異なる) 2.28