[今日のうた25] 5月1日〜31日
(写真は木下利玄、短歌を佐々木信綱に師事、また武者小路実篤や志賀直哉とともに『白樺』の創刊にたずさわり、短歌や散文を寄稿した)
・ 牡丹花(ぼたんくわ)は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置(ゐち)のたしかさ
(木下利玄『一路』1924、「咲き定まる」「位置のたしかさ」など空間を規定する端正な表現によって、牡丹の花の美しさが輝き出る、作者1886〜1925の代表作) 5.1
・ 牡丹蘂(しべ)深く分け出(い)づる蜂の名残り哉
(芭蕉1685、「咲ききった牡丹の花の中から蜂が這い出てきた、美味しい蜜を吸って、名残惜しそうに」、滞在した友人の家を去る時の挨拶句、牡丹が美しく咲いており、「蜂」とは、厚遇に感謝する作者自身でもある) 5.2
・ 凧(いかのぼり)青葉を出(い)でつ入りつ哉(かな)
(小林一茶1795、「おっ、子どもが凧をあげている、でもまだ低くて不安定だな、青葉の上に浮んだと思ったらすぐに沈んでしまう、もっと上がれ、もっと上がれ」、作者は四国の旅の途中) 5.3
・ 君に似し青年を熱くみつめいて寂し青葉の満員電車
(吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、最近、彼との恋がうまくいっていない作者、まぶしいほどの青葉の中を走る電車の中で、彼に似た青年を凝視していた自分に気づく、この言いようのない寂しさ) 5.4
・ 花びらがほぐれるように遠ざかる幼なじみの少女六人
(安藤美保『水の粒子』1992、作者の高校生のときの作、自分の幼なじみの友人たちを見送っている光景、互いに近寄ったり離れたりしながら歩いてゆく女子高校生たち、それにしても何という素敵な歌) 5.5
・ うちの猫、ドッグフードが好きなの。と春の鏡のなかの美容師
(穂村弘『ラインマーカーズ』2003、美容院で鏡の中の美容師とおしゃべり、いかにも春らしい感じ、句またがりの「。と」の巧さ、作者の歌にはふっと浮かび上がるような軽快な雰囲気がある) 5.6
・ みつばちが君の肉体を飛ぶような半音階を上がるくちづけ
(梅内美華子『若月祭』2001、「君と私は口づけをしている、君の肉体は蜜蜂になったかのように振動し、私たちは<半音階を上がる>ように高まってゆく」、大胆な比喩、好き嫌いはともかく、表現という点で見事な歌、作者1970〜は21歳で角川短歌賞受賞) 5.7
・ 万緑の賞味期限の真つただなか
(櫂未知子1996、1960年生まれの作者、万緑の「真っただ中」で自分の「女の旬」を意識する) 5.8
・ 苺ジャム男子はこれを食ふ可らず
(竹下しづの女1887〜1951、「採りたての苺でジャムを作りました、量に限りがあるから、女がいただくわ、男は甘いものは嫌いよね」、昔は食べ物にも微妙なジェンダー規範があったのか、「これを」が巧い) 5.9
・ ジャムパンに宿る戦前のおもかげよクリームパンに戦後のおもかげ
(小池光2004、あんパンやジャムパンは戦前から、クリームパンは戦後の登場なのか、私が幼稚園の頃(1950年代)、パン屋でクリームパンは子どもに人気だった、だが実際は三種とも明治生れのようだ) 5.10
・ ちかぢかとあはせ見るとき海原のごとき瞳になにも映らぬ
(今野寿美『花絆』1981、「結婚直前のある日、彼氏と顔を近づけて見詰め合う私、彼の「海原のような」瞳には何も映っていないが、海のように深みのある眼をじっと見つめる私」、ユニークな愛の歌) 5.11
・ 窓のやうな眸(ひとみ)を持つ少女だった のぞけばしんと海が展(ひら)けて
(河野裕子『森のやうに獣のやうに』、結婚を前にした作者24歳頃の作、亡くなった知人を追憶している歌だろうか、亡くなったのは少女なのか、それとも、同世代の友人が少女だった時のことなのか) 5.12
・ ひと言を待ちてときめく部屋に挿す真水の青さ湛(たた)ふる花を
(栗木京子『水惑星』1984、「今日は彼が来る日、私は、真水をたっぷりとたたえたガラスの花瓶に花を挿しながら、彼の口から最初に出る言葉を、いろいろ想像しながら待っている」、みずみずしい恋の歌) 5.13
・ 洗足(せんそく)の盥(たらひ)も漏りてゆく春や
(蕪村1769、「春の名残りにと、友人と野山を一日歩いた、そして今、足を洗っていると、盥の継目から水が漏れて、ゆっくり地面に吸い込まれてゆく」) 5.14
・ 初なつの気球に笑窪(えくぼ)ありにけり
(磯貝碧蹄館2001、「初夏の空に気球が浮かんでいる、何だか人の顔みたいだな、あっ、笑窪もある」、作者1924〜2013は草田男に師事した俳人にして書家) 5.15
・ 蔵(くら)並ぶ裏は燕のかよひ道
(野沢凡兆『猿蓑』1691、立派な蔵がずらりと並んでいる、その裏側のあたりをツバメが自由自在に飛び回っている、すばらしいスピードで、「かよひ道」という結語がいい) 5.16
・ 親分と見えて上座(かみざ)に鳴く蛙(かはず)
(小林一茶、「蛙がたくさん鳴いているな、おっ、あのでかいやつは偉そうに上座に座っている、きっと親分に違いない」、動物園のサル山のように、蛙にも序列があるのか、たぶんないだろう、でもそんな風に見える面白さ) 5.17
・ 凪(な)ぎわたる湖(うみ)のもなかをゆくときに船とどまるとおもふときあり
(上田三四二『湧井』、癌の手術から癒えた作者1923〜89はその頃は比較的平穏だったのか、1970年にはあちこちに旅している、本作は琵琶湖上での吟詠、風景を詠むことで自己の心も詠まれている) 5.18
・ 夜の庭に腕光らせる三輪車空より降り来て置かれし位置に
(島田修二1963、作者には両足に障害をもつ小さな子がいる、庭にあるのは、その子が乗れるようにと念じて買った三輪車なのか、神の贈り物が空から降りて来たように三輪車はそのままそこにある) 5.19
・ 夕風や白薔薇の花皆動く
(正岡子規1896、「たくさんの白いバラが夕風に吹かれて動いているよ、楚々とした白いバラが」) 5.20
・ バラ挿して眠る家族に嗅がせたり
バラ挿して眠る家族に嗅がせたり (秋元不死男1952、「深夜、家族の眠っている部屋に、バラを活けた花瓶を置く、誰も見ていないけれど」、闇の中では色は見えないが、深紅のバラなのか、作者1901〜77は戦前の新興俳句運動の中心だった一人、検挙もされた) 5.21
・ そら豆はまことに青き味したり
(細見綾子1931、「食卓に今年初めての空まめが、噛みしめるとぐっと青い味がした」、作者1907〜97の若き日の作品、まだ露地栽培だった時代、どの食べ物にも季節があった) 5.22
・ 草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ
(寺山修司『初期歌篇』1957年以前、作者が高校生のときの歌、とても瑞々しい、「告白以前の愛とは何なのか」と少年は自問自答する) 5.23
・ たった一つのことが言えずに昼下がり野球ゲームに興じる二人
(俵万智『サラダ記念日』1987、二人とも「今日は告白しよう」と思っているが、そういう時はかえって気詰りで会話が弾まない、この歌を含む「野球ゲーム」50首は、第31回角川短歌賞の次席になり、作者のデビューとなった。『サラダ記念日』の中核の歌群)5.24
・ お前の中の闇をわたりて帰り来る谺(こだま)を待てり波立ちてわれ
(佐佐木幸綱1976、「彼女に告白したが、彼女はずっと沈黙したままだ、私の言葉は彼女の心の闇の中に消えてしまったのだろうか、激しく波立つ心で彼女の言葉を待つ私」) 5.25
・ 呉服屋の繁盛を知る俄(にわか)雨
(『誹風柳多留』1770、越後屋(今の三越デパート)など江戸の呉服店は大繁盛、にわか雨があれば客に傘を貸し出す、屋号入りの傘を差して大勢の人が歩いていたのだろう、川柳は歴史の資料でもある) 5.26
・ いつとゞいてもよいよふに今日(きょう)し也(なり)
(『誹風柳多留』1780、吉原の遊女が客に書く手紙は、日付でなく「今日し也」と書いた、客の妻に手紙を見られるのを恐れて、手紙の使いはすぐには客に届けられないし、職場に届けるのもまずい、だから日付を書かない習慣があったのか) 5.27
・ 現(うつつ)にはさもこそあらめ夢にさへ人目をよくと見るが侘(わび)しき
(小野小町『古今集』巻13、「よく」=よける、避ける、「現実の世界ならば、人目を避けるために来られないこともあるでしょう、でも夢の中なのに、どうして貴方は来て下さらないの、とても寂しいわ」) 5.28
・ 夢にても見ゆらむものを嘆きつつうちぬるよひの袖のけしきは
(式子内親王『新古今』巻12、「ああ、貴方の見る夢には、私が見えているのかしら、貴方を待ちながら寂しく寝ている私の袖は、涙でこんなに濡れているわ」) 5.29
・ 古書店にわがありしとき奥の間に一家族しづかに晩餐(ばんさん)終る
(青田伸夫1983、「いつもは店の奥に主人が一人で座っていて、そこが奥の和室と続きになっている古本屋、今ちょうど、主人も一緒に家族の夕食が終ったようだ」、最近は少なくなった懐かしい光景) 5.30
・ きみ嫁(ゆ)けり遠き一つの訃(ふ)に似たり
(高柳重信1954、作者は前衛俳句で著名な人、でもこの句は無季だが前衛的ではないし、とんがってもいない、昔の彼女が結婚したのか、あるいは片思いだった女性なのか) 5.31