今日のうた28(8月)

charis2013-08-31

[今日のうた] 8月1日〜31日

(挿し絵は清少納言、4日の歌のように、冴えていて湿っぽくないのが彼女の歌)


・ 炎天をいだいて乞ひ歩く
  (種田山頭火1926、句集に、「大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」とあり、「分け入つても分け入つても青い山」「しとどに濡れてこれは道しるべの石」「炎天をいだいて乞ひ歩く」の三句が並ぶ、「迷ひを背負って」の乞食の旅、これが人生なのか) 8.1


・ もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る
 (和泉式部『後拾遺和歌集』、「貴方に捨てられてしまった私、ああどうしよう、どうしたら貴方の気持ちを取り戻せるかしらと、考え込んでいます、沢に飛び交っている蛍は、まるで私の体から抜け出した魂がさまよっているみたい」、作者の代表作の一つ、詞書に「男に忘られて侍りける頃」とある) 8.2


・ つねよりも面影にたつゆふべかな今やかぎりと思ひなるにも
 (建礼門院右京大夫、「平資盛さん、貴方ってすっかり冷たくなったのね、もう貴方とは会うまい、今までのことは忘れよう、なかったことにしようと、私はやっと心に決めたのに、ああ、そういう今夜に限って、貴方の姿がくっきりと浮かび上がってしまう」、詞書も含めて訳した) 8.3


・ 濡れ衣と誓ひしほどにあらはれてあまた重ぬる袂(たもと)聞くかな
(清少納言、「ふっふっふ、しらばくれたってダメよ、貴方が「濡れぎぬだ!」って浮気を否定するそばから、露見しちゃってるのよ、その女とたくさん夜を重ねているんでしょ、いろんな人から聞いたわ」、詞書を含めて訳す、作者は、恋人に浮気されて悶々と苦しむという感じでもない)  8.4


・ 赤らひく肌も触れずて寝(い)ぬれども心を異(け)には我が思はなくに
 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「今夜は触れ合うのを拒否して、貴方に背を向けて寝ちゃった私、ごめんなさいね、でも嫌いになったとか、そんなんじゃないのよ」、「赤らひく」は、「赤みをおびた」という「肌」を修飾する語、枕詞に近い) 8.5


・ 昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ
(紀女郎『万葉集』巻8、「昼は花開き、夜は葉を閉じて共寝する合歓の木の花が咲いているわ、主人の私が見るだけじゃもったいない、ねえ大伴家持さん、従僕のあなたも見ましょうよ」、男女交合の意をもつ漢字「合歓木」に引きつけて、女性の側から面白おかしく誘った)  8.6


・ 合歓(ねぶ)の木の葉越しも厭(いと)へ星の影
 (芭蕉1690、「今日は七夕、彦星と織姫が年に一度デートする大切な夜だよ、たとえ男女交合を意味する「合歓木」の葉越しであっても、覗いたりしちゃいけないんだよ」) 8.7
 

・ 天の川水車は水をあげてこぼす
 (川崎展宏1973、「闇の中にゆっくり水車が回っている、水が、夜空の星へ向かって持ち上げられ、また下方に落ちてくる、あたかも天の川の水が流れてきたかのように」、雄大で美しい句) 8.8


・ 新しき国興(おこ)るさまをラヂオ伝ふ亡(ほろ)ぶるよりもあはれなるかな
 (土屋文明1932、この年の3月、日本は中国の廃帝・溥儀をかつぎ、傀儡国家「満州国」を建国した、ラジオで興奮してそれを伝えるアナウンサーの声、それを冷静に批判する作者の歌、その後の侵略戦争と13年後の敗戦を予見しているのか、今日は長崎に原爆投下の日) 8.9


・ かげさえて月しもことに澄みぬれば夏の池にもつららゐにけり
 (西行山家集』、「月の光が冴えわたって、澄み切った月が池に映っている、夏なのに、氷が張ったみたいに美しいな」、「つらら」は氷の意、夏を冬に見立てた叙景の技が冴える) 8.10


・ 玫瑰(はまなす)や今も沖には未来あり
 (中村草田男『長子』1936、「海辺に咲くハマナスの花、遠い沖を見つめる私、さあ生きよう、さあ賭けよう、未来に向かって」) 8.11


・ 運ばるる氷の音の夏料理
 (長谷川櫂『天球』1992、 運ばれてくる料理の氷がぶつかって音を立てている、これだけでもう十分に涼しげに) 8.12


・ 初対面の感激に似し恥じらいに一人ひとりの名を高く呼ぶ
 (吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』、1970年頃の作、群馬大学教育学部を卒業して教師になったばかりの作者、夏休み中の学校登校日に、教室に揃った生徒の出席を取る、まるで初対面のように感激して名前を呼んでしまった) 8.13


・ 夕暮れにがうがうと鳴る夏樫よ身を揉みて欲(ほ)るものあるか夏樫
  (米川千嘉子『夏空の櫂』1988、20代前半の作か、夏の日の夕暮れ、大きな樫の木が強い風に吹かれて、身をよじるように音を立てている、狂おしく何かを求めているようなその姿に、作者は自分を見ているのか) 8.14


・ 玉音を理解せし者前に出よ
  (渡辺白泉1945、「函館黒潮部隊分遣隊」と注記、そこで作者は終戦玉音放送を聞いたのか、ラジオの雑音の中からうねるような抑揚の天皇の声が聞こえた、上官の言葉「理解せし者前に出よ」に現場の衝撃が伝わる、降伏について兵隊の反応を見たのか、作者1913〜69は戦前の新興俳句運動の中心にあり検挙もされた) 8.15


・ 一ところくらきをくぐる踊りの輪
 (橋本多佳子1951、「盆踊り、人々は輪になって踊っている、その輪のあるところが、何かの影で暗がりになっている、誰の人生にも暗い場所があるように」) 8.16


・ 流すべき流灯われの胸照らす
  (寺山修司『花粉航海』1975、お盆の灯篭流し、灯篭は死者の魂の象徴だが、それがすぐ流れて行かず、自分の前で漂い、「自分の胸を照らし」ている) 8.17


・ しばらくはわれの内部も山に向けむ山はしづけきむらさきの昏(くれ)
  (斉藤史1967、作者1909〜2002はシュールな歌を作る人、山は自分の外部にある客観的存在だが、作者が山に向き合うとき、山は心象風景になっている) 8.18


・ 伝へあふ悲しみさへも相聞と呼びてま夏のほのほなりける
 (今野寿美『花絆』、 作者は20代半ば、角川短歌新人賞を得た「午後の章」(1979 )には、みずみずしくも深みのある相聞歌が並ぶ、「ま夏のほのほ」のように熱い愛)  8.19


・ 風の尾を捉ふるごとく手を伸べて友は緑の葡萄を捥ぎぬ
 (栗木京子、作者は23歳、大学を卒業して就職、友人と葡萄園に行ったのだろうか、葡萄をもごうと友人の手が「風の尾を捉えるように伸びた」、この伸びやかな叙情が作者の持ち味) 8.20


・ 稲妻やよわりよわりて雲の果
 (炭太祇、作者は江戸中期の俳人、「あの強烈な稲妻がすっかり弱って、音もなく、遠い雲の果てにちらっと光るだけ」、稲妻はこうして遠ざかってゆく) 8.21


平均台端までゆけば星月夜
 (正木ゆう子2002、「誰もいない夜の公園、私は平均台をそっと歩いてみる、端まで行って、ふと上を見ると、夜空は満天の星と月」) 8.22


・ 人あまた泳がせて海笑ひけり
 (鈴木真砂女1994、「海笑ひけり」がいい、90歳に近い頃の作だが、真砂女らしい豪快さは健在、「山笑う」は春の季語だが、「海笑う」は季語にない斬新な表現) 8.23


・ わりなしや人こそ人といはざらめみづから身をや思ひ捨つべき
 (紫式部、「私のことを「すごくお上品ぶってる」と言った人がいるけど、ひどいわ、私そんなんじゃないのに、いいわよ、どうせ私は「普通の人」扱いしてもらえないんでしょうから、私流に生きるわ」、詞書を含めて訳す、女官たちの嫉妬と中傷に晒される作者、それに負けない創作者としてのプライドの高さがいい、頑張れ紫式部!) 8.24


・ 心よりほかに解(と)けぬる下紐(したひも)のいかなるふしに憂き名流さん
  (後深草院二条とはずがたり』巻1、「嫌でたまらないのに、とうとう下紐を解かれてしまった私(=院と男女関係になった)、ああ、これからはもう、いつ浮名を流されても仕方ないのね」、数え年14歳の作者は何も知らされぬまま後深草院(上皇、29歳)の後宮にされた、突然、彼女の寝室に院がやってくる、一夜目は泣いて拒んだが、これは第二夜(1271年1月16日)。「今宵はうたて情なくのみあたり給ひて、薄き衣(きぬ)はいたくほころびてけるにや、残る方なくなりゆくにも・・・」、後深草上皇は冷酷に作者の肌着を引きちぎっていく、現代ならレイプ扱いか、1940年に宮内庁書陵部蔵・旧禁裡本に発見されるまで秘蔵され、現存写本は一冊のみ) 8.25


・ 棕麻形(へそかた)の林の先の狭野棒(さのはり)の衣(きぬ)に著(つ)くなす目につく我が背(せ)
  (井戸王『万葉集』巻1、「つりがね型の三輪山の林の先にあるハンノキ[針の木]の針を衣服に差したら目立つように、貴方って、とっても目立つイイ男よね!」、作者は女性、言いたいのは最後の「目につく我が背」だけ、あとはすべて序詞) 8.26


・ 朝夕がどかとよろしき残暑かな
 (阿波野青畝1952、「いやぁ、まだまだ残暑がきついな、それだけに朝と夕がちょっと涼しいと、もう身にしみてありがたいよ」) 8.27


・ 朝がほや一輪深き淵のいろ
 (蕪村1768、「朝顔の花が幾つも咲いているな、一輪、淵の色が際立って深みのある藍色をしているよ」、「淵のいろ」という把握が素晴らしい) 8.28


・ 初秋(はつあき)や海も青田も一(ひと)みどり
 (芭蕉1688、「秋が近い、青々と育った田の稲も、その向こうに広がる海も、全体が深みのある青になっている」) 8.29


・ 水すまし流にむかひさかのぼる汝(な)がいきほひよ微(かす)かなれども
 (斉藤茂吉『白き山』、1946年夏の作、山形県大石田村に隠遁した茂吉は、四季の自然をたくさん詠んだ、小さな小川だろうか、流れを遡る水すましの「かすかないきほひ」に生命の証が) 8.30


・ 八月のひまわりの畑に花満ちて丘陵一つ陽を返しおり
 (植村恒一郎「朝日歌壇」1996.9.2、佐佐木幸綱選、ヨーロッパに旅行したときの歌で、イタリアの光景です、都市から都市へ列車で移動する途中、やや起伏のある広大なひまわり畑は一面の花で、丘陵の全体が夕日に輝いていました) 8.31