Dステ公演『十二夜』

charis2013-10-10

[演劇] シェイクスピア十二夜』 Dステ公演 紀伊国屋ホール


(写真下は、前列の左から、オリヴィア姫、オーシーノ公爵、ヴァイオラ、サー・トービー、執事マルヴォーリオ、セバスチャン[ヴァイオラの双子の兄妹]、後列右から三番目が女中のマライア、トービーを演じるミッキー・カーチス[75歳]を除いて、ほぼ全員が20代の男の子。ヒロインのヴァイオラを演じる碓井将大はまだ21歳[写真])


十二夜』はシェイクスピアの最高傑作とも言えるロマンティック・コメディーで、私は大好きな作品。当ブログにも、この8年間で5回の観劇記があり、これで6回目。若い男子の俳優集団D-BOYSを中心に、青木豪演出で、オール・メールの上演。女性俳優は一人もいない。速いテンポ、役者の軽やかな動き、ほぼ全編に4人の役者の楽器演奏で音楽が入り、とても楽しい舞台だった。かつて観たオール・メールの『十二夜』は、ロシアの劇団(SPAC)や歌舞伎版(尾上菊之助主演)がそうだったが、今回は完全な若者劇で、軽快な喜劇性が快い。(写真下は、オリヴィア姫の大嫌いな黄色い靴下を履いて彼女の前に現れた執事マルヴォーリオ、そしてマルヴォーリオをからかう女中マライアとサー・トービー)


十二夜』は、主筋と副筋が巧みに交差する喜劇だ。主筋は、男装したヒロインのヴァイオラがオーシーノ公爵に恋し、公爵はオリヴィア姫に求愛し、姫は男装したヴァイオラを男と間違えて一目惚れ。つまり、片思いの追っかけゲームが、三角形をなして空回りする。そして副筋は、執事マルヴォーリオ、女中マライア、道化フェステなどが、からかったりいじめたりの笑劇を繰り広げる。全体がドタバタ喜劇のように見えるが、主筋には切ない美しい恋が混じっているところが、ロマンティック・コメディのゆえんなのだ。ヒロインのヴァイオラは男装した小姓となって公爵に仕えているために、公爵への女のひたむきな恋を決して露わにできないという切なさと、死んだと思い込んでいる彼女の双子の兄セバスチャンへの、妹の切ない愛とが混じり合って、とても美しいロマンティックな雰囲気が漂っている。明るくて、かわいくて、それでいて情の深いヴァイオラは、『お気に召すまま』のヒロインであるロザリンドと並んで、もっとも魅力的なシェイクスピア・ヒロインである。ただし、双子の兄と見分けがつかない美女という役柄なので、キャスティングが難しい。松たか子が主演したヴァイオラの時は、彼女は一人二役で、再会シーンは大きな絵を見せるという離れ業だったが(あるいは鏡もよく使われる)、今回は、ヴァイオラ(21歳)もセバスチャン(新井敦史、20歳)も、若い男子なのでうまくいった。


今回の舞台でやや違和感を感じたのは、オリヴィア姫とマライアを徹底的に笑劇キャラにしたので、本来は笑劇の中心点にいる執事マルヴォーリオの影が薄くなったことである。マライアはイタリア喜劇の「コロンビーナ」に由来する女性キャラで、ものすごく頭のいい女中であり、『十二夜』でも、道化フェステと並んでもっとも知的な人物である。原作では洗練された知的な会話がたくさんあるのだから、たんなるドタバタ役にしてしまうのは惜しい。またオリヴィア姫も、舞い上がってしまう滑稽なところはあるが、本来は女性的な美しさに溢れているべきで、ボーイッシュなヴァイオラとはまた違った魅力、道化になりきれない切なさがほしかった。とはいえ、トレヴァー・ナンの映画版『十二夜』を除いては、ロマンティックな切なさとドタバタ喜劇をうまく統合するのは、演劇的に非常に難しく、ほとんどの舞台が後者に傾くのはやむを得ないのかもしれない。