コルンゴルト『死の都』

charis2014-03-21

[オペラ]  コルンゴルト『死の都』 新国立劇場大ホール 3月21日


(写真右は、マリエッタがマリーの亡霊の金髪を切り取るシーン、写真下は、ブリュージュの街を見おろすパウルの部屋と、生者と快楽を象徴するマリエッタの仲間の芸人たち)

観るのは初めて。それにしても、これほど凄いオペラだとは。「モーツァルトの再来」と呼ばれた神童の、23歳の作品(1920)。ローデンバックの小説『死都ブリュージュ』(1892)をコルンゴルト父子が台本化した。愛妻マリーを失ったパウルは妻の死を受け入れることができない。妻の写真と彼女の金髪などの遺品を部屋中に陳列した自室に引き籠りの生活をしている。ある日彼は、マリーと瓜二つの若い娘マリエッタを知り、マリエッタをマリーの身代わりとして激しく愛する。最初は受け入れていたマリエッタだが、自分が彼の亡妻マリーの代償として愛されていることに反発し、「生きている生身の私を愛するべきだ、死者としてではなく、生者として愛してほしい」と迫り、マリーの亡霊の金髪を切り取り、生身の自分の方が魅力的な女だと誇示する。怒ったパウルはマリエッタを殺してしまう。そこで目が覚めたパウルは、初めて妻マリーの死を受け入れ、死の街ブリュージュを捨てて旅立つ。激しい葛藤と苦悩を経て愛妻の死を受け入れることが、生者の彼を自由にするのだ。フロイト「喪とメランコリー」をもっとも先鋭化した作品と言ってもよいだろう。愛する者の死を受け入れることが、残された者にとってこれほどの苦悩であるとは! 数ある芸術作品の中でも、この問題にこれほど真正面から取り組んだ作品はそうはないだろう。


演出は、デンマーク出身のカスパー・ホルテン。亡妻マリーを実体化して、黙役の俳優を最初から最後まで配したのが、成功したと思う。原作台本では、亡霊マリーがちょっと登場するだけだが、マリーがつねに舞台にいて、マリエッタと緊張関係に置くことによって、生者パウルの葛藤がそれだけリアルかつ明示的になる。(写真は、左が亡霊マリー、右がマリエッタ)


音楽は、大編成オケによる後期ロマン派風の耽美的なものだが、打楽器を多用するので、響きの不協和が緊張を醸し出す。歌われる科白が、詩的で力強いのが、この作品の特徴だろう。例えば、第1幕の幕切れ、亡霊マリーがパウルに呼びかける科白。「生きることに囚われたあなた/ほかの女があなたを誘うわ/よく見るのよ、見るのよ、見極めるのよ」。また第2幕4場、亡妻マリーを表象しながらマリエッタを愛撫し語りかけるパウルの科白。(パ)「ぼくが欲しかったのは その身体(からだ)だけ/訳知りの 愛撫がほしかっただけ/決して 愛してなんかいない/ぼくが好きなのは 別の人」「きみとの口づけは 死者との口づけ/髪への愛撫は 死者との愛撫/声を聴きながら 死者の声を想う/きみを抱きながら 死者の肌を想う/あのひとのぬくもりと 匂い/あのひとだけを 愛していた/きみを通じて ただ死者だけを愛していた」。当然、マリエッタも激しく反撃する。(マ)「生の力 愛の力が/あなたをとらえ/あたしと鎖でつないだの・・/離れられない/味わうといいわ/至高の悦びを/甘美な陶酔で/忘れてしまえばいい」。(パ)「(自制できなくなり)ぼくを置いていかないで/愛してる 離れないで」。(マ)「(得意げに立ち、勝ち誇って)なら 言ってごらん/誰に口づけたの」。(パ)「きみだけ きみだけだ」。(マ)「誰の髪を 撫ぜたの」。(パ)「きみの きみの髪だけだ」。(マ)「(悪魔のようにささやきながら)じゃあ いらっしゃい」。(パ)「(マリエッタの家の方に行こうとする)きみの きみのもとへ」。(マ)「(かわしつつ、抵抗しがたい情熱で)いや あたしの家じゃない/これからずっと あなたについていく/亡き人の家で あなたに会うわ/亡霊は 永遠に封じ込める/あなたのところに 行きたい/はじめて あなたのところへ」。つまり、マリエッタは、自分の家ではなく他ならぬマリーとパウルのこの部屋でこそ「マリーの亡霊を永遠に封じ込めてやる」と宣言し、生者の官能によって、パウルと死者マリーを引き剥がそうとする。結局、マリーを表象しながらマリエッタを愛撫するパウルは、生者の官能に敗北したのだ。マリエッタを殺さねばならなかったのは、そのことを意味している。夢から覚めたパウルが、最後に歌う終幕の科白は、本作の主題を象徴している。(パ)「亡き人々が我らに夢を見せるのは/死者とともに/いや死者の中で生きているとき/いつまで 我らの嘆きは続くのか/いつまで許されるのか 現世とのつながりを喪わぬままに」。死者が生者の「心の中で生きる」というだけでは足りないのだ。いったんは生者が「死者の中で生きる」という体験をしなければ、「喪」は真に成就することはない。マリエッタを歌ったミーガン・ミラー、パウルを歌ったトルステン・ケール、ともに良かった。この二つの役は、数あるオペラの中でも素晴らしい役と言えるだろう。(写真は、ブリュージュの街の「聖血行列」を背景に、パウルに迫るマリエッタ)

以下にYou Tubeの画像があります。
https://www.youtube.com/watch?v=plzsFTkPGGw