今日のうた35(3月)

charis2014-03-31

[今日のうた] 3月1日〜31日

(写真は清水哲男1938〜、詩人でもあり、新しい感覚のユーモラスな句を作る人)


・ だるまさんがころんだ春もやってきた
 (清水哲男『打つや太鼓』2003、季語でもない「だるまさんがころんだ」は、どういうわけか春が似合うのが不思議、鬼が背を向けて「だるまさんがころんだ」と唱える間に、子供たちはちりぢりに逃げる、ほのぼのとしてユーモラスな詩情) 3.1


・ 箱を出る貌(かほ)わすれめや雛二對
 (蕪村、1780年前後、「ひな祭りが近い、箱から雛人形2組を母に取り出してもらう幼い姉妹、「あっ、こっちが私のだわ」、「ん、そっちが私のよ」、人形はよく似た顔なのに二人は一瞬にして自分のお雛さまが分かる、大好きな人形だもの」、明日は桃の節句)  3.2


・ 春疾風(はやて)ゆるがしやまぬひとつ家に雛(ひいな)は笑みてわれを見守(まも)れる 
(浅野道子「朝日歌壇」1971、前川佐美雄選、作者は一人暮らしの女性なのか、「春風に揺れる小さな家だけれど、雛人形は自分を守るように微笑みかけてくれる」) 3.3


・ ふたひらのわが<土踏まず>土を踏まず風のみ踏みてありたかりしを
 (斉藤史『ひたくれなゐ』1976、「私の足の裏の二つの<土踏まず>、ずいぶん長い間、土を踏んできたけれど、本当のことを言えば、空を飛んで、風を踏みたかったわ、私」) 3.4


・ 星の数ほどドアが並んで(誰もいない)仕掛け絵本のようだ、東京
 (斉藤芳生2007、各戸の入口が外側から見える巨大マンションだろうか、大都市にしかない「仕掛け絵本のような」光景、作者は30歳の女性で東北地方の出身、同年の角川短歌賞受賞の一首) 3.5


・ 春泥に映りすぎたる小提灯
 (高浜虚子1941、「おお、ここだ、裏路地にある行きつけの小さな飲み屋、雪解けのぬかるみ水に提灯がこんなに明るく映っている、さあ一杯やろうぜ」、「春泥に映りすぎたる」がいい) 3.6


・ 恨むとも今は見えじと思ふこそせめてつらさのあまりなりけり
 (赤添衛門『後拾遺和歌集』巻12、「冷たくなった貴方を恨んでいるようには見えないように、必死で装っているのよ、私だってプライドがあるもの、でも何よ、貴方はひどいわ、あんまりよ、恨んでいるわよ」、作者は女性、娘が右大将道綱に冷たくされたので、娘に代わって彼を非難した歌) 3.7


・ こよひさへあらばかくこそ思ほえめけふ暮れぬまのいのちともがな
 (和泉式部『後拾遺和歌集』巻12、「今夜一晩を生きているだけでも、どんなに悲しい思いをするでしょう、そのくらいなら思い切って、今夜のうちに死んでしまいたいわ」、今夜は必ず行くからねと言って、いつも来ない男への返歌) 3.8


・ 白妙(しろたへ)の袖をはつはつ見しからにかかる恋をも我れはするかも
 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「あの真っ白な服が目に沁みる君をちらっと見ただけなのに、ああ、なんて清楚なんだ君は、もう僕は君が可愛くってたまらない」、「はつはつ見し」がいい、「白妙の袖」は現代なら女子高校生の白いブラウスだろうか) 3.9


・ 放っておいても死にはしないと思ってる惜しまれるまで死にはしない
 (大田美和『きらい』1991、作者は東大大学院生、風邪かインフルエンザかで寝込んだのに、どういうわけか彼氏はあまり親身に看病してくれない、それが不満) 3.10


・ 一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った 非常階段
 (東直子『春原さんのリコーダー』、「非常階段」がいい、学校だろうか、女子高校生が同級の男の子を詠んだような歌だが、32歳の時の歌集だからちょっと違うのか、作者1963〜は生き生きとした口語短歌を作る人) 3.11


・ ほのぼのと愛もつ時に驚きて別れきつ何も絆(きづな)となるな
 (富小路禎子1956、作者1926〜2002は子爵家に生れたが、家は没落、戦争世代で縁に恵まれず独身を通した、その孤独を詠った歌も多い、好きになった男性に何か驚かされることがあり別れてしまった、「何も絆となるな」が痛々しい、消し去りたい辛い記憶) 3.12


・ 初孫はいとしき獣(けもの)山笑ふ
 (増田耿子『一粒句集』No.34(電通関西支社・電通会俳句部刊)、「初孫が生まれたわ、まだ人間というより小さな動物っていう感じ、それがとてもかわいいな、あ、山も笑ってる、もう春なのね」) 3.13


・ 春の山らくだのごとくならびけり
 (室生犀星1937、朝鮮で詠んだ句、「らくだのごとく」がいい、あまり木の生えていない山並みなのだろうか、でも木が生えていてもかまわない、どこかのんびりしたこの感じは、日本の春の山にもありそう) 3.14


・ うぐひすのケキョに力をつかふなり
 (辻桃子2002、「鳴きはじめたばかりのウグイス、まだ発声のバランスが悪いわね、うまく鳴けるようになるには練習が必要なのかな」、各地でウグイスの便りが) 3.15


・ 鏡とり/能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ/泣き飽きしとき
 (石川啄木『一握の砂』1910、悲しくて泣いた後、子供をあやすように、鏡に映った自分をあやしてみる啄木) 3.16


・ 速度感にほふが如しガラス戸を隔てて女の脚の流れは
 (井戸まさみち『正午のうた』1987、さっそうと闊歩してゆく若い女性、脚が美しい、「速度感にほふが如し」がいい) 3.17


・ 毎年よ彼岸の入(いり)に寒いのは
 (正岡子規1893、子規の母が言った言葉をそのまま俳句にしたらしい、「毎年よ」に俳諧の味、「暑さ寒さも彼岸まで」とは言うものの、移行期にはかえって寒暖が強く感じられたりもする、今日は彼岸の入りだがどうだろう) 3.18


・ 垂れ髪に雪をちりばめ卒業す
 (西東三鬼1948、北国の小学校の卒業式か、女の子の可愛らしさが伝わってくる、卒業おめでとう、いよいよ中学生だね) 3.19


・ 終に秘密の恋となすべく祝宴をぬけ去れば深き春霞に会う
 (吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』、大学の卒業式後の祝宴なのだろうか、二人だけの秘密だった彼との恋が終りそうな予感に、彼もいる祝宴を自分ひとり黙って抜け出す、写真など撮られないように) 3.20


・ 愛といふせつにさびしき抽象語キリン見てゐるときに言ひだす
 (米川千嘉子『夏空の櫂』1988、20代前半の作か、作者にとって「愛」という語はどうしようもなく抽象的で、「とてもさびしい」言葉だ、その「愛」という言葉を、動物園で一緒にキリンを見ている彼氏が言ったのか、さびしいのは彼氏?私?キリン?) 3.21


・ 逸(それ)るとき愛は貧しく丸め持ちし紙ゆるみつつわが掌(て)を充たす
 (小野茂樹『羊雲離散』、高校時代の作だろうか、「堕ちよ」と題した歌群の一つ、彼女との関係が危機に陥り、彼女は逃げるように作者の横をすり抜けたのか、愛が「逸れてしまった」と感じる作者は、手にした紙を力強く握ることができない) 3.22


・ 御殿中(ごてんじゅう)心のうごく鈴ひとつ
 (『誹風柳多留』1773、「あっ、今、鈴が鳴ったわ、殿様に呼ばれる女は誰かしら」、大奥に仕える女たちは鈴で合図された、鈴が鳴るたびに、聞き耳を立てている大奥の女たち全員の心が、ざわざわと一斉に波立つ) 3.23


・ 新尼(にいあま)の我(われ)をいやがる影法師
 (『誹風柳多留』1769、「尼になっちゃった私、でもねえ、坊主頭はやっぱり嫌なの、地面に映る自分の影を見るのがこわいわ」、「尼」と影「法師」の言葉遊びと、「我をいやがる」が巧い) 3.24


・ 春の風ルンルンけんけんあんぽんたん
 (坪内稔典『落下落日』1984、春風を感じるのは何ともいえず楽しい、こういう風に俳句を作ることも出来るのだ) 3.25


・ 野に出れば人みなやさし桃の花
 (高野素十1933、作者は客観写生の人だが、この句は、「人みなやさし」によって桃の花の美しさをうたっている、今、我が家にも桃の花が) 3.26


・ 土にいけんとす手のひらの美しい種
 (萩原井泉水1918、「手のひらに置いたこの種は、生命が凝縮されたように美しい、さあ、土に埋めてやろう」、作者1884〜1976は自由律俳句を作った人) 3.27


・ かたまつて薄き光の菫(すみれ)かな
 (渡辺水巴、スミレは紫色の小さな花だ、幾つもかたまって咲いていたとしても、可憐な姿はかわらない、「かたまって薄き光の」が卓抜、作者1882〜1946は「写生より主観」を強調した俳人、本句は代表作) 3.28


・ 木の間なる染井吉野の白ほどのはかなき命抱(いだ)く春かな
 (与謝野晶子『白桜集』、1941年作、脳溢血に倒れて病床にあった晶子、死の9ヶ月前の歌、染井吉野の「白」は、はかなさを象徴する色でもある、没後刊行の歌集タイトルや法名「白桜院鳳翔晶耀大姉」は本歌にもとづくか、東京も桜が開花) 3.29


・ あくがれは何にかよはんのぼりきて上千本の花の期(とき)にあふ
 (上田三四二1969、吉野山の桜は、下から上千本、中千本、奥千本と続く、癌の手術の後、体をいたわりながら生きる作者は、前から楽しみにしていた吉野山に四泊、「あこがれ」が通じたのか、満開だった) 3.30 
 

・ 命二ツの中に活(いき)たる桜かな
 (芭蕉1685、「(あっ、道の向こうから来るのは、旧友の服部土芳くんじゃないか、何と会うのは二十年ぶりだよ) よくまあ二人とも、命あって二十年も生きられたもんだ、本当に嬉しいね、ほら、桜の花もこんなに咲き誇っている」) 3.31