新国・『カヴァレリア・ルスティカーナ』/『道化師』

charis2014-05-17

[オペラ] マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』/レオンカヴァッロ『道化師』 新国立劇場 


(写真右は『道化師』、左から、道化を演じるトニオ、アルレッキーノを演じるペッペ、コロンビーナを演じるネッダ、写真下は二枚とも『カヴァレリア』、シチリアの寒村だがカトリック信仰の篤い土地)


ヴェリズモ(=真実主義)・オペラ」の代表作とされる作品、実演は初めて観た。『カヴァレリア・ルスティカーナ(=田舎の騎士道)』(1890年)と『道化師』(1892年)は、ほぼ同時期に生まれ、時間もそれぞれ1時間強と短いので、二つ一緒に上演されるのが普通だという。だが、「ヴェリズモ」というのは曖昧な概念だと思う。以前のオペラが、神話、王侯貴族、英雄などの物語であったのに対して、一般の庶民生活をリアリズムで描くというだけでは、オペラのジャンルとして成立するには弱すぎる。『コシ・ファン・トゥッテ』や『ラ・ボエーム』は「ヴェリズモ・オペラ」とは呼ばれない。


この二作に共通するのは、原則1幕ものという上演時間の短さ、簡素な舞台装置で金がかからない、歌手に声量や音程などの負担がかからず歌いやすい等々の利点があり、人気の上演作品になったという。たしかに、両作品とも美しい歌が多く、不倫メロドラマがもつれて最後に暴力と死というドラマチックな結末になる分かりやすさがある。『カヴァレリア』は、結婚してしまった元カノが諦めきれず不倫する男が、ささいな見栄を張って決闘になり、あっさり殺されるというだけの話。群衆の合唱の部分が非常に多く、主要人物の動きが乏しいので、やや退屈なところもある。だが、田舎の信仰心の篤い村人たちの感じがよく出ていて、これが「写実主義ヴェリズモ」なのかと思う。


一方の『道化師』は、文句ない傑作で、何度でも見たくなる作品だ。アルレッキーノとコロンビーナが活躍するイタリア喜劇をうまく取り込んで、劇中劇の設定にした。心の葛藤を見事に表現したところなど、数あるヨーロッパオペラの中でも名作といえるだろう。しがない旅芸人の座長カニオは、妻のネッダが地元の青年と不倫しているのを知った。激高するカニオだが、舞台の開演時間が迫るので、やむなく衣装を着けて上演に臨む。上演される劇は、これまた面白おかしい妻の不倫もの喜劇なのだが、劇中の科白が、妻ネッダが不倫相手の青年に実際に言った言葉 (カニオはそれを盗み聞きした) とまったく同じなので、カニオは芝居を演じることに堪えられなくなり、もの凄い剣幕で怒り出し、ネッダをなじる。それが余りにもリアルなので、聴衆はその「真に迫った演技」に大いに感服し、妻のネッダも、カニオの激高を芝居に見せるために、アドリブの科白を繰り出したり歌ったりして、全体を芝居の枠組みに入れ込もうと奮闘する。テンションはいよいよ上がるのだが、ついに、カニオはネッダを刺そうとナイフを取り出し、二人の叫びに、「これは芝居ではない」と聴衆も気づいて大混乱になるが、すでに遅く、ネッダは刺殺されて、終幕。この、劇中劇の破綻という設定は見事に成功している。(写真下は、ネッダと不倫相手の青年、そして、ネッダを刺し殺すカニオ)


カニオを歌ったアルゼンチンのテノールのポルタ、ネッダを歌ったイタリアのソプラノのスターニシ、どちらもとても生き生きとして良かった。アルレッキーノを歌った日本のテノール吉田浩之も、その見事な声量に驚かされた。ジルベール・デフロの演出も、すぐれたものだと思う。以下に動画があります。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/cavalleria/movie/index.html