式子内親王の歌

charis2014-07-13

式子内親王の歌

(写真は式子内親王[狩野探幽画])

私が「今日のうた」を初めてツイッターに投稿したのが2011年8月16日なので、もうすぐ三年になる。かつて愛読した、朝日新聞夕刊連載の大岡信折々のうた』を真似しているのだが、歌集や句集を読みながら良い歌に出会うのは本当に楽しい。ほぼ毎日投稿を欠かさないので、歌の数は1000を超えた(そのうち手違いの二度投稿が2首)。まだまだ続けたいと思っているが、三年を機会に、これまで投稿した歌の中から、歌人俳人別に幾つかを取り出して、あらためて鑑賞する機会も作ってみたい。まず最初は、式子内親王


(1)  忘れてはうち嘆かるる夕べかな我のみ知りて過ぐる月日を


  (『新古今』巻11、「こんなに長い間貴方を愛し続けてきた私の気持ちを、貴方には一度も打ち明けていなかったわね、そのことをつい忘れ、今夜はきっと貴方がいらっしゃると期待してしまった、ああ、なんて悲しい夜なの」、)


(2)  あはれとも言はざらめやと思ひつつ我のみ知りし世を恋ふるかな


(『家集』、「もし私が貴方に告白したら、貴方は私のことを好きって言わないかしら、もちろん言うわよね・・・と、空想を楽しみながら、私はとうとう貴方に告白しないまま長い時間が過ぎてしまった、でもそれはとても素敵な時間だったわ」)


(3)  たのむかなまだ見ぬ人の思ひ寝のほのかに慣るる宵々の夢


(『家集』、「結局、夢にすがっちゃうのよね、貴方と密かに慣れ親しんでいる夢を毎晩見るわ、ああ、でも一度も来てくださらないのね、どうしてなの」) 


(4)  夢にても見ゆらむものを嘆きつつうちぬる宵の袖のけしきは


(『新古今』巻12、「大好きな貴方のことを思いながら一人で寂しく寝ている私の袖は、涙でこんなに濡れているわ、ねぇ、貴方の見ている夢には、この私が見えているわよね」)


(5)  しるべせよ跡なき波に漕ぐ舟のゆくへも知らぬ八重(やへ)の潮風


(『新古今』巻11、「さあ、道案内しておくれ、八重の潮路を吹く風よ、波の上を漕ぐ舟には航跡が一切残らないように、私の恋は、波に揉まれてあてもなく迷っているのだから」)


作者は、後白河天皇の皇女、10歳から11年間、賀茂神社の斎院(神に奉仕する巫女)を務め、53歳で没するまで結婚もしていない。「前斎院」という肩書でのみ呼ばれているのは、斎院退出後にキャリアがないからであろう。社交が苦手で、歌会等にはほとんど出ず、歌壇との付き合いもなく、引き籠りの人と言われる。恋の歌にも切ないものが多く、人を愛しても愛し返されることのない孤独を、彼女ほど深く詠った人はいない。(1)と(2)に、「我のみ知りて」「我のみ知りし」とあるように、相手に告白しないで自分の中だけで愛が完結してしまっている。現代の歌人である永井陽子の論考「式子内親王論」は、この(1)(2)の歌を最後に挙げて稿を閉じているから、やはりこの二首は印象深いのだろう(『永井陽子・全歌集』青幻舎、p231)。そして、(5)の歌にある一種の凄みも、報われない恋を詠っているからであろう。


百人一首にある「玉の緒よ絶えなば絶えね・・・」が有名なので、彼女は“絶叫調”歌人とみなされることが多いが、引き籠り歌人という方が適切だろう。社交が苦手で、ほとんど引き籠りを通した詩人に、19世紀アメリカのエミリ・ディキンソンがいるが、彼女の詩も、式子と同様に、魂の深みから湧き上がってきたような澄んだ美しさが感じられる。