文楽『不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)』

charis2014-09-13

[文楽] 不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ) 9月13日、国立劇場・小劇場


(写真右はポスター、下は、2013年ザルツグルグ音楽祭のヴェルディファルスタッフ』と、今回のふぁるすのたいふ)

NHKで動画もありました。http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/features/201409190819.html

シェイクスピア『ヘンリー四世』『ウィンザーの陽気な女房たち』には、太っちょでエッチなオヤジであるファルスタッフという騎士が登場する。そのキャラが面白いので、ファルスタッフは、ヴェルディのオペラや、日本の狂言新作『法螺侍』などに翻案されてきた。そして今回、初めて文楽に。企画・作曲は鶴澤清治、脚本は河合祥一郎


文楽は、語りと音楽の絡みが作り出す高揚や陰影の中で、大きめの人形が絶妙な動きと表情を見せるので、どこか西洋のオペラに似たところがある。私自身はこれまで文楽の実演を数回見たことがあるだけなので、『ふぁるすのたいふ』が文楽という表現様式の中で、すぐれた作品なのかどうかは分からない。ただ、近松など悲劇が中心の文楽において、これほど分かりやすくあっけらかんとした喜劇が創作されたことは、大成功ではないか、少なくともユニークな文楽作品の登場と言えるだろう。


ヴェルディの『ファルスタッフ』は『ウィンザーの陽気な女房たち』に忠実なので、エッチなダメおやじとしてのファルスタッフが前景に押し出された。しかし本作『ふぁるすのたいふ』は、基本は『ヘンリー四世』で、その中に『ウィンザーの陽気な女房たち』の中から、ファルスタッフが二人の女性に同時に同文ラブレターを出して二人をものにしようとしたが、バレて酷い目にあったシーンを加えた合成になっている。『ヘンリー四世』では、ファルスタッフはいくらダメダメおやじとはいっても、武人であり騎士であって、ハル王子との友情が物語の基本線になっている。ハル王子は、遊蕩に明け暮れる放蕩息子で、父王ヘンリー四世を嘆かせるのだが、同様な遊び人であるファルスタッフとはウマが合う。だが、ヘンリー四世の死とともにヘンリー五世に即位したハル王子は、倫理観溢れる厳格な王に変身したために、遊び人ファルスタッフは捨てられるというのが物語。


本作『ふぁるすのたいふ』では、ハル王子は「春若」という若殿様になっており、ふぁるすのたいふも武士だから、日本の武士の主従関係に原作はうまく翻案されている。『ウィンザーの陽気な女房たち』の二人の女性は、居酒屋の二人のおかみさんに翻案され、これも話がうまくかみ合っている。このように見ると、一方に武士(騎士)道徳があり、他方に快楽と女性を愛することを最高の価値とするふぁるすのたいふがあり、両者の価値観が真正面からぶつかるという奥行きの深い設定になっている。その上で、色仕掛けのドタバタ喜劇が笑劇として前景化され、我々を抱腹絶倒させるということは、最終的に、ふぁるすのたいふ=ファルスタッフの価値観に軍配が上がるということだろう。ふぁるすのたいふの世界観を一言で言えば、「戦争で死ぬなんて馬鹿の極み、戦うくらいなら逃げるさ、俺は女と快楽だけを愛する、たとえそれを罰せられても、絶対に反省なんかしない」というものだからだ。


終幕は素晴らしかった。胡弓だろうか、弓で演奏する楽器がグリーンスリーブズの歌を美しく奏でる中、春若によって国から追放されたふぁるすのたいふが独白する。「名誉にこだわって戦さ(いくさ)なんぞするものか。名誉って何だ、言葉じゃないか。言葉って何だ、空気の振動じゃないか。空しいだけじゃないか。追放がなんだ、別の国で楽しくやるまでのことさ、俺はどこで暮らそうと同じことだからな、ハッハッハ」。「名誉なんて言葉だ、言葉なんて空気だ」というのは、『ヘンリー四世』第5幕のファルスタッフの有名な科白。この終幕を見ていて、ファルスタッフはスケールはずっと小さいけれど、「女と快楽だけを愛し、地獄に落ちても後悔も反省もしない」ドン・ジョバンニと、どこか似ているように感じた。(写真↓は、終幕の独白の後、歌舞伎の花道のように客席を通って退場するふぁるすのたいふ、舞台で見守るのはシェイクスピア)