今日のうた42(10月)

charis2014-10-31

[今日のうた] 10月1日〜31日ぶん


(写真は種田山頭火1882〜1940、自由律俳句を作りながら、最後の十数年は雲水となって各地を放浪した)


・ 濁れる水の流れつつ澄む
 (種田山頭火、作者の死の一か月前の句、この句は実景であると同時に、自分の人生そのものを見ているのだろう、短いが凄みのある句) 10.1


・ 匂はねばもう木犀を忘れたる
 (金田咲子、木犀は、最初に匂いを感じた時には「あっ、木犀が咲いた」と感動するけれど、匂いがうすれる頃には咲いていても存在感が弱まるようだ、木犀の花は、視覚的であるよりは嗅覚的なのか、今年は金木犀の開花が早い) 10.2


・ まみの白い机は夢にあらわれて「可能性」と名乗った。アイム、ポシビリテ
 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001、恋人まみの白い机が私の夢に現れて自分は「可能性」だと名乗ったという、フロイトの言う夢の「圧縮」?「抑圧」?「第二次加工」?それとも「願望充足」? 面白い歌だ) 10.3


・ 歪んでる、そう呟かれドキリとしフォークのことだと気付くまで10秒
 (亜にま・女・20歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投欄、穂村弘選、デートの食事のとき彼氏が「ゆがんでる」と言ったのだろう、自分のことじゃない、フォークのことだと分かるまで10秒、大好きな彼氏の言葉なので頭が真っ白になってしまった) 10.4


・ 嘘すこしコスモスすこし揺れにけり
 (三井葉子『栗』2012、ちょっと嘘をついたら、コスモスが「ウソ、ウソ」ってささやくように、ちょっと揺れた、どこか嘘を楽しんでいる感じがいい、作者1936〜2014は詩人としても著名な人) 10.5


・ 人生の台風圏に今入りし
 (高濱虚子1954、「台風が接近、気持ちが引き締まる、そういえば人生にもこういう時が何度もあるな」) 10.6


・ 秋薔薇や彩(いろ)を尽して艶(えん)ならず
 (松根東洋城、「秋バラが咲いたよ、華美に流れない美しさがあるな」、作者1878〜1964は「ホトトギス」の俳人宮内庁に勤めた、「彩を尽して」が秋らしくていい) 10.7


・ 竹伐(き)つて月の光に打たせあり
 (長谷川櫂2000、「打たせあり」がいい、竹とその切り口の硬質な質感が月光に打たれて露わになる、今夜は満月にして月食) 10.8


・ 秋の蚊の灯より下(お)り来し軽さかな
 (高濱年尾1918、作者は虚子の長男、本句は18歳の作、秋の蚊はどこか弱々しい、「電燈からスーッと降りてきたけれど、勢いがないなあ」) 10.9


・ 鍵穴のかがやく夜半(よは)にさらさるるおのが裸身かはや既知ならね
 (水原紫苑『びあんか』1989、「闇よりも暗い深夜の私の部屋、でも鍵穴から光がかすかに漏れて、輝いて見える、もう知られてしまったのか、私の裸身は」、鍵穴に視線を感じる作者、前衛的でどこか硬質なエロスが感じられる) 10.10


・ 蠟燭の燃ゆるひかりに蠟燭は内より透けぬ人の肌のごと
 (横山未来子2007、蠟燭の燃える炎は自分自身を内側から明るくする、燃える蠟燭は「人の肌のごとく透けて」美しい) 10.11


・ さやうなら笑窪荻窪とろゝそば
(摂津幸彦『陸々集』1992、作者は学生時代を東京の荻窪ですごしたのか、それとも長く住み慣れた荻窪から引っ越すのか、荻窪の街への愛が伝わってくる句、「えくぼ/おぎくぼ」の言葉遊びもいい) 10.12


・ 台風のたたたと来ればよいものを
 (大角真代『手紙』2009、秋の台風は、日本の近くで東向きに進路を変えるまでは北上のスピードが遅い、「足踏みしてるみたいな進路図を何日も見続けるのは疲れるな、サッと北上してその勢いでまっすぐ行っちゃってよ」、19号も昨日まで時速15キロ) 10.13


・ あらし吹く峯の木の葉にともなひていづち浮かるる心なるらん
 (西行山家集』、「外は嵐が荒れ狂って、木の葉が遠くまで吹き飛ばされています、その木の葉のようにあちこちをさすらって修行されている貴方の気持ちはいかばかりでしょう」、「浮かるる」は修行の為に漂泊すること) 10.14


・ 世の中に恋てふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける
 (和泉式部『後拾遺集』、「恋って何色だったかしら、そうか、恋の色はないのね、でも、もし恋色という色があれば、糸や布を深く染める色のように、私たちの身に深く沁みる色に違いないわ」) 10.15


・ 心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる
 (よみ人しらず『古今和歌六帖』、「外からは見えないでしょうが、私の心の底には、水があふれ出ています、<貴女が好きだ>と口に出して言うよりも、ずっと深く貴女を思っています」、『枕草子』で言及され有名になった歌) 10.16


・ 紫苑(しをん)吹く浅間颪(おろし)の強き日に
 (高濱虚子、紫苑は菊科の花、「オニノシコグサ(鬼の醜草)」という変な別名もあるが、野性味のある美しい草花、作者には風に吹かれる長身の美少女のように見えたのか) 10.17


・ 稲妻に悟らぬ人の貴(たつと)さよ
 (芭蕉1690、「稲妻を見るとすぐ<人生は電光朝露なり>とか何とか、得意そうに悟ったふうなこと言う人いるよねぇ、やんなっちゃうよ、稲妻を見ても何も思わない俗人の方が、よっぽどまともさ」、当時多かった「生禅(なまぜん)=生半可に悟った人」を茶化した) 10.18


利根川や稲から出でて稲に入る
 (一茶、一茶の頃も利根川一帯は稲作が盛んだったのだろう、利根川を舟で移動しているのか、「稲から出でて稲に入る」という動的表現がいい、実りの秋を実感させる風格のある句) 10.19


・ 空のない窓が夏美のなかにあり小鳥のごとくわれを飛ばしむ
 (寺山修司『空には本』1958、20歳くらいの作か、作者の恋人「夏美」を詠った瑞々しい相聞歌の一つ、「夏美の心には窓がある、でも窓の向こうに空は見えない、自分は彼女の心の中を小鳥のように飛び回っている」、夏美はどこか閉ざされた孤独の影をもつ少女なのか) 10.20


・ 前髪を触角のように光らせて子は自転車をはずませて来る
 (安藤美保『水の粒子』1992、中学生の少女か、それとも小学生だろうか、作者には生き生きと動く少女を詠んだ歌が多い) 10.21


・ 一人にて負へる宇宙の重さよりにじむ涙のここちこそすれ
 (与謝野晶子『白桜集』1942、鉄幹を亡くした少し後の歌、「貴方を失って一人になってしまった私には、この宇宙がとてつもなく重く感じられる、ああ、それだけで涙が出てしまう」) 10.22


・ 秋雨や水底(みなそこ)の草を踏みわたる
 (蕪村1768、「秋雨のしとしとと降る中、水中の草を踏みながら浅い川を渡る」、「踏む」という語から水の感触がよく伝わってくる句、それにしても今年はよく雨が降る) 10.23


・ 白菊のしづくつめたし花鋏(はなばさみ)
 (飯田蛇笏1904、作者が中学生のときの句、その瑞々しい感覚といい、質感の見事さといい、すでに大家の風格を感じさせる) 10.24


・ 紐鏡(ひもかがみ)能登香(のとか)の山は誰ゆゑか君来ませるに紐解かず寝む
 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「鏡の紐をな解き(=のとか)[=解くな]という名の山があるけど、いったい誰に向かって言ってるのかしら、いとしい貴方が来るのに、この私が下着の紐を解かずに寝るなんてありえないわよ」、凝った言葉遊びの歌) 10.25


・ 知るといへば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名のそらに立つらむ
 (伊勢『古今集』、「枕は私たちの夜のすべてを知ってしまうから、わざわざ枕なしで貴方と寝たのに、塵が空に舞うようにあっという間に浮名が広まったのはどうしてなの、貴方あやしいわよ」、恋多き女の伊勢らしい歌) 10.26


・ 松明消て(まつきえて)海少し見(みゆ)る花野かな
 (蕪村『遺稿』、「花野」は秋に咲く草花たち、早朝だろう、「夜の松明の明かりが消えて、しらじらと海が見えてきた、あっ、手前はこんなに花野だったんだ」、まだ花野の色はよく見えない、だが蕪村の心の眼にはすでに花野の色が見えている) 10.27


・ 灰色の象のかたちを見にゆかん
 (津沢マサ子1975、作者は前衛俳句の高柳重信に師事、見に行くのは動物園の象なのか、それとも、あえて象の「色ではなく」て「かたち」だけを見にゆくのか、「見る」という動詞の微妙な用法) 10.28


・ ともしびのひとつは我が家雁(かり)わたる
 (桂信子、「上空を飛ぶ雁さん、下界の灯火の一つが見えますか、我が家なんです」、作者1914〜2004は日野草城に師事、平明で自在な句を詠んだ) 10.29


・ 男の子のからだ女の子のからだ幹のやうな茎のやうな十代前期
 (小島ゆかり『希望』2000、作者の娘の通う学校の授業参観だろうか、体育館でバスケットボールの試合を観戦、背は伸びたけれど、まだどこか細っそりしている子どもたち、5・7・5・7・7ではないが韻律のある歌) 10.30


・ あたたかき秋の光に並びいる藁塚青きもの混じえたる
 (植村恒一郎「朝日歌壇」1993年11月14日、島田修二選、1993年の夏は冷夏で稲作が不調な年でした、10月にヨーロッパから帰った私は、成田空港周辺で異変に気づきました、刈り取った稲を積み上げた藁塚は黄色のはずなのに、青い稲が混じっているのです) 10.31