今日のうた43(11月)

charis2014-11-30

[今日のうた] 11月1日〜30日ぶん
(写真は水原秋櫻子1892〜1981、「ホトトギス」虚子門下の4Sの一人であったが、詠み手の感情を重視する秋櫻子は、やがて「馬酔木」を創刊・主宰、優美な俳句を詠んだ人、医師でもあった)


・ 釣瓶(つるべ)落しといへど光芒しづかなり
 (水原秋櫻子1971、作者79歳の句、「釣瓶落しのようにあっという間に沈んだ秋の夕日、沈んだ後も、都市の姿をシルエットのように浮かび上がらせて、その明るさを失わない」、美しく風格のある句、「光芒しづかなり」が素晴らしい) 11.1


・ コスモスをコスモスらしくするは風
 (蔦三郎、コスモスには野草の雰囲気がある、風に吹かれ、入り乱れて揺れるのがコスモスらしい美しさ、「らしくするは」という言い方が上手い、作者1926〜は「ホトトギス」の俳人にして医師) 11.2


・ 声ゆるくつながる部屋に抱くための腕まっさおなシャツから抜いた
 (江戸雪『百合オイル』1997、隣室に彼氏が待っているのか、ぴったりしたシャツを脱ぐ私、「ゆるくつながる」彼氏に対して、「抱くための両腕を・・・抜いた」私のシャープな能動性がいい) 11.3


・ 『ねむる』の『む』その字のふかさに気付くときあたしのあたまのうえにてのひら
 (りえ・女・17歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、「朝、頭の上に彼氏が手をやさしく置いたので目覚めた私、ああ、ぐっすり眠っていたのね、私」、瑞々しい恋の歌、「ねる」ではない「ねむる」の優しさ) 11.4


・ 銀行で暗証番号入れるたび隣の君にゴメンと思う
 (『ダ・ヴィンチ』編集部S・女・30代、穂村弘選2008、「前の彼氏の誕生日か何かを暗証番号にしている作者、隣にいる今の彼氏に申し訳ないなと思いながら、番号を打つ」、ありそうな話、ちょっと切ないけれど明るい) 11.5


・ 手燭(てしょく)して色失へる黄菊かな
 (蕪村1777、「昼間はあれほど鮮やかな黄色だった菊の花、でも夜になって、小さな燭台の赤みがかった光を近づけると、黄色が薄れて白菊のように見える」、光と色彩の微妙な関係を詠んだ句、蕪村は画家でもあった) 11.6


・ 地玉子のぶつかけご飯今朝の冬
(笠政人、「今朝の冬」は立冬の季語、別に玉子かけごはんとは関係ないが、玉子かけごはんはなんだか元気がいい、だいぶ寒くなってもうじき冬だけど、負けないぞ、という気持か、今日はもう立冬) 11.7


・ 月夜しぐれ銀婚の銀降るように
 (佐藤鬼房、「今日は僕たちの銀婚式の日、ちょうど月夜だったのに、雨が降ってしまったね、でも、銀が降ってくるように美しい雨だよ」、素敵な愛妻句、今夜は満月) 11.8


・ こいびとという定型を壊さないいやわれが壊れないようにぶつかりき
 (野口あや子2012、デートだろうか、それとももう少し深い関係なのか、真剣な恋なのだろう、でも、どこか恋に懐疑的な雰囲気がある、作者1987〜は23歳で現代歌人協会賞を受賞した人) 11.9


・ 好色に過ぎざる恋とある時は林檎の芯を川面に飛ばす
 (大崎瀬都(せつ)『海に向かへば』、作者は1978年に角川短歌賞を受賞、この歌は大学生くらいの作か、デートなのだろう、彼氏と川岸を歩いている私はかじったリンゴの芯を川面に投げる、「好色過ぎない恋」という自意識、べたべた甘えたりはしない) 11.10


・ 桐一葉(きりひとは)日当りながら落ちにけり
 (高濱虚子1906、桐の葉が枯れてゆっくりと落ちてゆく、そこに「日が当たっている」という何気ない表現が卓抜、虚子の句はさらっとして平明だが、どれも鋭敏な観察眼に裏打ちされた「写生」で、近代俳句の最高峰であることをあらためて感じる) 11.11


・ 大空に風すこしあるうめもどき
 (飯田龍太ウメモドキの赤い実がなると鳥たちが来て食べてしまう、葉の落ちたあと実だけ残る姿は、いかにも秋らしい) 11.12


・ ほのかにも風は吹かなむ花すすきむすぼほれつつ露に濡るとも
 (女御徽子女王『新古今』巻4、「風よ、ちょっとでもいいから吹いてください、このすすきの穂が風にもつれて露がこぼれるように、私が涙に濡れることになってもかまわないから、とにかく貴方(=風)に来てほしいの」) 11.13


・ 花すすきまだ露深し穂にいでてはながめじと思ふ秋のさかりを
 (式子内親王『新古今』巻4、「貴方に<飽き>られた<秋>が深まってゆくわ、でも私だってプライドがあるもの、その悲しみを表に出さないように努めているのに、ああ、すすきの穂には涙のような露がこんなに付いている、悲しみを隠さないのね」) 11.14


・ 赤玉の美(は)しきをのこをもてあそび掌(たなごころ)にし秋は深まる
 (水原紫苑『びあんか』1989、手のひらに載せた赤い玉をいつくしむように撫で回したり握ったりしている作者、その赤い玉は彼女にとって「美しい男」なのだ、こうして愛撫しているうちに秋は深まってゆく、硬質なエロスを感じさせる歌) 11.15


・ 日あたりや熟柿(じゅくし)の如き心地あり
 (夏目漱石1896、「穏やかな秋の陽光が差している庭に自分はいる、その快い「心地」はなんだか熟した柿のようだな」、「熟柿の如き心地」がいい、庭の熟した柿が気持ちよさげに見えて、それが自分の「心地」にまでなっているような気がするのか、あるいは、熟柿は実際にはないのかもしれない)  11.16


・ 心に音符をいっぱいつるしてもやっぱり寂しい秋
 (永井陽子『葦牙(あしかび)』1973、作者22歳の作、永井陽子は深い寂しさを詠んだ歌人として著名だが、『葦牙』は俳句と短歌の両方を収める、これは短歌の部にあるが、俳句のようでもある) 11.17


・ によつぽりと秋の空なる富士の山
 (上島鬼貫1661〜1738、冠雪した富士山はたしかに「にょっぽり」とした感じで立っている、作者は、平明で生き生きとした日常語を使い、自在な句を詠んだ) 11.18


・ 枯れ枝に烏のとまりけり秋の暮
 (芭蕉1679、「葉がすっかり落ちてしまった樹の枝に、カラスがとまっている、さびしい秋の夕暮だな」、この句の初案と成案について描かれた二枚の画があり、当初は多くの烏が描かれていたのが、この成句では一羽の烏とのこと)11.19


・ ラインダンスの脚それぞれの冬隣り
 (清水哲男『打つや太鼓』2003、「ラインダンスをしている踊り子の足を眺めるのは楽しいな、一人一人ビミョーに違うんだよね、ああ、でも、もう冬が近いんだぁ」、無関係なものを取り合わせる「脚それぞれの冬隣り」が上手い、俳句の妙味) 11.20


・ 「女性としての君が好きだよ」専門の話は互いに警戒しつつ
 (太田美和『きらい』1991、作者は英文学専攻の東大大学院生、知り合った男性も英文学専攻なのか、「専門の話」をすると研究者としての業績や能力が気になってしまう、だから互いにあえて避ける) 11.21


・ 束縛をするならもっと柔かいシルクのリボンで縛ってほしい
 (久保奈緒子『マリオン愛の百花譜』1995、自分を花束に喩えているのか、恋人に束縛されるのは鬱陶しいが、好きだという間柄なら、互いに少し束縛があってもいいのかも、美しい花束を柔らかいリボンで縛るように束縛されたい作者) 11.22


・ 両膝をきっちり合わせて語る友卒論は遊女評判記という
 (安藤美保『水の粒子』、作者がお茶大国文科4年時の作、「いつも「両膝をきっちり合わせて」座る真面目な友人、その彼女が卒論の「遊女評判記」について雄弁に語っている、別におかしくはないけど、でも何だか可笑しいわ」) 11.23


・ いてう踏(ふん)でしづかに児(ちご)の下山かな
 (蕪村『遺稿』、山の中に寺があるのか、その寺の稚児が、積もった銀杏の落葉を踏みながら静かに下りてくる、絵画的でありながら味わいの深い句) 11.24


・ 人に似て猿も手を組む秋の風
 (浜田酒堂、「寒々とした秋風が吹く中、猿が人間のように腕組みをしている、何か思案にふけっているのかな」、「手を組む猿」が人間に似ているのが何とも可笑しい、作者は芭蕉の弟子、芭蕉の「猿も小蓑を欲しげなり」によって猿が俳句に登場) 11.25


・ 暗闇を歩いていってブレイカーをあげるのはお父さんの仕事よ
 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001、ブレーカーが落ちて家中まっ暗になったときの感じがよく出ている、みんな、自分以外の誰かがブレーカーを戻してくれないかなと思ってる) 11.26


・ 熊のように眠れそうだよ母さんはおまえに会える次の春まで
 (俵万智『プーさんの鼻』2005、作者1962〜は2003年に男児を出産、これはお腹の中の赤ちゃんに呼びかける歌、「熊のように眠れそうだよ」が素晴らしい、冬眠の熊が春を待つように、赤ちゃんが待ち遠しい)  11.27


・ 海くらき髪なげかけてかき抱く汝(な)が胸くらき音叉のごとし
 (河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972、「貴方の胸に髪を投げかけて激しく抱きしめている私、貴方の胸の中は暗い音叉のような音が鳴っている、まるで暗い海の中にいるようだわ」、24歳の作者、二つの「くらさ」が響き合う熱い恋) 11.28


・ 群像は百万遍をながれゆきとどまる側がもっともさびし
 (永田紅『北部キャンパスの日々』2002、作者1975〜は昨日の河野裕子の娘、これは京大生時代の歌、「百万遍」は京大近くの大きな交差点、たくさんの元気な学生たちが流れてゆく側と、立ち止まっている少数の側、「さびしい」側に作者はいる) 11.29


・ 冬支度毛玉取ってる大男
 (清水哲男『打つや太鼓』2003、「熊のような大男がかがみこんで、自分のセーターの毛玉を丁寧に取っている、そうか冬支度なんだね、マメなんだね」) 11.30