ミュージカル版『ヴェローナの二紳士』

charis2014-12-27

[ミュージカル] シェイクスピア原作『ヴェローナの二紳士』 日生劇場 2014.12.27夜


(写真右は、最後の大団円、中央の白い三人は左からシルヴィア姫(霧矢大夢)、ヴァレンタイン(堂珍嘉那)、プロテュース(西川貴教)、写真下はジュリア嬢(島袋寛子)とプロテュース(西川)、彼女はとても可愛い、そして最後の写真はミラノの町、中央高所のサングラスの軍人は安倍を擬した軍国主義者のミラノ大公、最前列中央右は赤い服を着て踊るシルヴィア姫)

シェイクスピアの原作『ヴェローナの二紳士』は、喜劇に初めて取り組もうとした「修業時代の作品」と言われ、筋に混乱と不整合の多い欠陥作品といえる。ほとんど上演もされない。それをどうやってミュージカルにするのか、興味津津だったが、夢のように楽しいエンターテインメントに仕上がっている。さすがは宮本亜門だと感嘆した。40年前にブロードウェイや劇団四季のミュージカル化があったそうだが、筋の欠陥なんか楽しい歌と踊りで吹き飛ばしてしまうのがミュージカルの強み。ウキウキするように楽しくて、幸せな気分にしてくれる。


ミュージカル化するのに幾つもの工夫・改変がなされている。原作では、プロテュースという男は、友人も恋人も裏切るひどい奴でまったく感情移入できないのだが、それを上流階級ではなく農家のオタクっぽいコミカルな男の子にして、笑いの対象として共感できるキャラにした。ジュリア嬢も農家の素朴なおぼこ娘に変えられている。つねに侍女ルーセッタが付き添って「お嬢さま」と呼ばれる農家の娘なんてありえないのだが、彼女は純情で可愛くて、それでいてとても生き生きしているので、この作品でもっとも魅力的なキャラになっている。シェイクスピア原作でも、男たちは人物造形がいまいちなのだが、ジュリア嬢とシルヴィア姫は、コミカルだがとても魅力的という点では『お気に召すまま』『十二夜』に通じるものがある。シルヴィア姫も、抑圧的な父王に反抗する娘というだけでなく、ロック調のリズムにのってガンガン歌いまくるお姫様というのは、とてもいい。原作ではシルヴィア姫の駆け落ちの援助者でしかないエグラモーを、セクシーなアラビア人魔法使いに変えて、姫の初恋の男性として影絵の舞台でセックスもしちゃうというのは、ぶっとんだお姫様らしくて楽しい。このような付加がミュージカル的遊びなのだろう。


抑圧的なミラノ大公を安倍に擬して茶化しているのは嬉しい。ミュージカルの開演日12月7日以降は総選挙中だから、大公は選挙の得票をとても気にしている。「集団的自衛権がぁ・・・」「憲法を・・・」と口走り、危険なヘリのオスプレイが飛び交う。「戦争をしない国」を「戦争をする国」に変えようとするミラノ大公。しかしその彼が最後の和解の場面では、軍服を脱いで、同性愛者たちの連帯を讃える虹色のTシャツ姿になる(最初の写真の左上端にチラと見えるのがそれ)。軍国主義者から平和主義者に転向したのだ。愛を讃える大団円にふさわしい終幕。


シェイクスピア原作で私がもっとも魅力的だと思った科白は、ジュリア嬢が男装を解いて女性に戻るシーン、「女が姿を変えることは、まだしも小さな恥です、少なくとも男が心を変えることにくらべれば」(第5幕第4場、小田島訳)。『十二夜』最後のヴァイオラとよく似ている。この科白は、ミュージカルでも、まったくそのまま、クライマックスの場面で使われていた。シェイクスピアのいちばんいいところが、ちゃんと生きている。


PS:日生劇場を出たところは宝塚劇場で、道路は「出待ち」の女性たちで一杯、寒い夜なのに熱気ムンムンでした。僕は、こうした「追っかけ」の人たちが大好きです。僕自身、『フィガロの結婚』とか『十二夜』とか、何十年も追っかけやっていますから。死ぬまで追っかけをしたいなぁ。


下記にYouTubeの動画があります。
https://www.youtube.com/watch?v=NSS6xevRwps