[今日のうた] 5月1日〜31日
(写真は若き日の岡井隆1928〜、塚本邦雄らとともに前衛短歌を領導した)
・ 乳房(ちちふさ)のあひだのたにとたれかいふ奈落もはるの香にみちながら
(岡井隆『禁忌と好色』1982、彼女の胸に顔をうずめているのか、でもそこは「谷」なんてもんじゃない、「春の香にみちた奈落」なのだ、すばらしい愛の歌) 5.1
・ われを出てもつとも遠くゆく者よ五月の朝の紺の制服
(小島ゆかり『ごく自然なる愛』2007、作者の娘は高校生なのか、今朝もいつものように、凛とした制服姿で家を出て行く、その姿にふと「われを出てもっとも遠くへ行く」ように感じた作者、娘が大人になってゆくのは嬉しい、でもちょっと寂しくもある) 5.2
・ 「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月
(穂村弘『シンジケート』1986、牧師さんは大真面目で説教している、でも作者は、「この牧師さん瞳が素敵だな、モテるんだろうな」とか思いながら、うわの空で聞いている、風薫る五月だもの) 5.3
・ オースティンとジェイン・エアとをまちがへて昼うららかに伸びをしている
(紀野恵『La Vacanza』1999、ジェイン・オースティンと、シャーロット・ブロンデ作『ジェイン・エア』の主人公ジェインは、どちらも「ジェイン」という名、男に媚びず自由に生きる女性、作者も二人が好きなのだろう) 5.4
・ 大鍋のカレー空っぽ子供の日
(西岡一彦、「子どもたちはカレーライスが本当に好きなんだなぁ、大きな鍋にたくさん作ったのに、全部なくなってしまったよ」) 5.5
・ 凧の糸二すぢよぎる伽藍かな
(高野素十1942、大きな寺の広い構内、子どもが二人凧揚げをしている、気が付けば、読み手の我々の視線も、子どもが繰る糸を追って伽藍の上空へ向かう、凧ではなく「凧の糸」としたのが卓抜) 5.6
・ 閻王(えんわう)の口や牡丹を吐(はか)んとす
(蕪村1769、「閻魔大王はコワイな、罪人を睨みつけて、口から炎を吐いてるよ、その炎の色は、牡丹の花みたいに真っ赤だな」、開花しようとしている牡丹の赤の美しさを、閻魔大王に喩えてユーモラスに表現した) 5.7
・ なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへあかからなくに
(斉藤茂吉『赤光』、1913年、「おひろ」と題した連作の第一首、茂吉が愛していた「可憐な少女」は彼のもとを離れて国に帰ってしまった、東に昇った星さえも明るくないほどの深い嘆き) 5.8
・ 茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛なのだ
(山崎方代、戦場で片目を失明して復員したこともあり、ずっと独身だった作者1914〜85、結婚にあこがれていたのだろうか、茶碗の底に二つ並ぶ梅干しの種が夫婦に見える) 5.9
・ 生きてよもあすまで人はつらからじこの夕暮を問はば問へかし
(式子内親王『新古今』、「貴方が好きで好きで、貴方を思うと苦しくて、私はもう明日まで生きていられないかもしれない、もし私がそう言ったら、貴方はほっておかないわよね、すぐ来てくれるわよね、今夜よ、今夜来てね、ぜったい」) 5.10
・ 恋ひ恋ひてかひもなぎさに沖つ波寄せてはやがて立ち帰れとや
(権中納言俊忠『千載集』、「これほど長い間、君を熱烈に恋してきた僕だよ、今夜はやっと君のところに来れたのに、どうして<まだ帰らないでね、もっといてね>と言ってくれないの、寄せた波が引くように帰らなきゃいけないなんて」) 5.11
・ 名も若葉二年B組副級長
(小沢信男1927〜、はるかに遠くなってしまった小学校の想い出、「二年生のB組に「若葉」という名の可愛い女の子がいたな、勉強もできる子だったな、誰にも言わなかったけど、僕はあの子が好きだった」) 5.12
・ 万緑やわが額(ぬか)にある鉄格子
(橋本多佳子『海彦』1957、「杉田久女終焉の地を弔う、筑紫保養院にて」と前書、俳人の久女が死去した場所が精神病棟だったので、作者はそこにいるのだろう、鉄格子の窓の外には輝くばかりの青葉、それだけに久女の悲しみが痛切に感じられる、だがこの句は、その事情を知らなくても鑑賞できる、何か不本意な状態に拘束された自分と外の世界に広がる万緑の対比として) 5.13
・ お小姓にほれたはれたや白重(しろがさね)
(高濱虚子1906、白い重ねを着ているお小姓が、かわいい美少年なのか、女たちは大喜びで「ほれたはれた」と賑やかなこと) 5.14
・ かたばみを見てゐる耳のうつくしさ
(横山白虹、「地面に這うように咲く小さな黄色の花がカタバミ、カタバミも可憐で美しいけれど、それを眺めている彼女の耳がこんなに美しいとは」、作者1889〜1983は山口誓子の「天狼」同人、現代俳句協会会長など) 5.15
・ 泣くな泣くな 寝台の下のくらがりをどう捜してもわたしがゐない
(桜木裕子『片意地娘(ララビアータ)』1992、失恋したのだろうか、「寝台の下のくらがり」にいなくなってしまったのは「わたし」なのだ、慰めてくれる自分の分身を捜しているのか、作者は、自分を閉ざすような相聞歌を詠む人) 5.16
・ 君と写り満面に笑(ゑま)ひゐるわれを他人の顔のごとく見てゐつ
(米川千嘉子『夏空の櫂』、作者は20代前半か、結婚前の恋人時代の歌、自分のラブラブな姿を見るのはちょっと恥ずかしい) 5.17
・ 鈴蘭とわかる蕾に育ちたる
(稲畑汀子、スズランは小さい可憐な花をつける、つぼみもとても小さい、その小さなつぼみが膨らんで、スズランと分かる形になってきた) 5.18
・ 風塵のアカシヤ飛ぶよ房のまま
(阿波野青畝、「アカシヤ」と呼ばれているのは白い花が咲く高い樹木だが、本当の名は「ニセアカシヤ」、本当の「アカシヤ」は「ミモザ」と呼ばれる、この句の「風塵」とは、風に吹かれて軽々と飛んでいるさまを言うのだろう、とても背の高いアカシヤの樹) 5.19
・ 焼肉屋白い小さな飴ちゃんの服をぬがせる君は可愛い
(伊藤ハムスター・女・24歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、作者コメント「焼肉屋さんで食べた後にもらえる飴を、すぐに食べちゃう女の子はかわいいと思いました」、「飴ちゃんの服をぬがせる」に感じがでている、「君」は幾つくらいの女子なのだろう) 5.20
・ 顔文字の収録数は150どれもわたしのしない表情
(一戸詩帆・女・21歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選評「<どれもわたしのしない表情>にはっとさせられます。感度のいい歌。<顔文字>のように典型的な<表情>を現実の人間は多分もっていない。リアルな<わたし>の<表情>が見たくなります」) 5.21
・ じりじりとセメントの袋担(にな)ふさま重心の移るさま見えてをり
(田谷鋭『乳鏡』1957、まだ人力でセメント袋を持ち上げて運んでいた頃、セメント袋はとても重い、ランニングシャツの労働者がそれを背負ってそろそろと歩き出すまで、肉体の重心が移っていくさまがよく分かる) 5.22
・ 誕生近し野薔薇もつとも明け易し
(川崎展宏『葛の葉』1973、作者が40歳のときの6月、初めて長女が生まれた、これはその少し前の句、「夜が明けてくると、暗がりの中からまず野ばらの花が浮かび上がる、まるで子どもが生まれてくるように」) 5.23
・ 盛装の妻の静けき桐の花
(久米三汀、「高く伸びた桐の樹、枝先には薄い紫色の花が一杯咲いている、盛装した妻が静かに見上げている姿に気品があって美しい」、作者1891〜1952の本名は久米正雄) 5.24
・ 胸から腹へ断ちおろすごとくジッパー下げ中身のわれを取り出し居り
(斉藤史『風翩翻(かぜへんぽん)』2000、作者1909〜2002が91歳の時の作、介護されている自分のことだろうか、93歳で亡くなった作者は、自らの「老い」を感傷なしに自由闊達に詠んだ) 5.25
・ 独りになれば私だって泣く街歩みつつ涙止まらぬ
(道浦母都子『無援の叙情』1980、二十代半ばの歌か、二年半「共に生きた」夫と離婚した直後の作、本人の前では涙を見せなかったのに、街に出て独りになると涙が止まらない) 5.26
・ 強く生きたし電車朝日に埋れ去る
(金子兜太、昭和15〜18年、「早朝の東京、電車が朝の太陽の逆光の中に走り去っていく、“強く生きたい”という思いが湧いてくる」、俳句を始めたばかりの23歳前後の作、応召されてトラック島に赴く前の東京時代だが、独特の緊張をはらんだ句が多い) 5.27
・ あかつきは花うかせけり月見草
(赤岡淑江、「ツキミソウの白い花が、浮かび上がるように咲いている、夜明けも近い」、俳句によく詠まれるツキミソウは、正式名は待宵草(マツヨイグサ)、美しい黄色の花が夕方に咲き、朝に枯れる、しかしツキミソウという植物名の白い花も別にあり、本句はこちら) 5.28
・ 沈みゆく小石のようなともだちの手紙にならぶ右下がりの字
(江戸雪1997、「手紙に友達の見慣れた字が並んでいる、右下がりの癖のある書き方もいつもと同じ、でも、今日は何だかそれが気になる」) 5.29
・ いいよ、ってこぼれたことば走り出すこどもに何をゆるしたのだろう
(東直子『春原さんのリコーダー』1996、あるある、こういうこと、作者は読点を上手く使う、「ことば」の後には読点がない、「こども」が心中に受け止めた「いいよ」という「ことば」も、こどもと一緒に走り出す) 5.30
・ 画用紙に表と裏があるように心にもざらついた面
(伊波真人『短歌』2013年11月号、ふだんなら気にならない画用紙の裏と表、それが気になるのは、作者の心が今「ざらついて」いるから、作者1984〜は一昨年の角川短歌賞を受賞、日常生活の中の感覚を捉えた歌を作る人) 5.31