今日のうた56(12月)

charis2015-12-31

[今日のうた] 12月  (写真は南原繁1889〜1974、政治学者で、東大法学部教授、東大総長を務めた。内村鑑三の弟子で、無教会主義のクリスチャン。アララギ派歌人でもあった )


・ あかんべのように師走のファクシミリ
 (小沢信男『昨日少年』1997、「いやぁ、もう12月だよ、あっ、またファックスがきた、まるで、あっかんべーしているように、紙を吐き出すんだから、もうっ、かんべんしてよね」) 12.1


・ あはれとも言はず冬蜂掃きおろす
 (篠田悌二郎、「弱って飛べない冬の蜂が廊下にいる、箒で掃こうとしたら、まだごそごそ動いている、一瞬、心の痛みを感じたが、そのまま一気に掃いてしまった」) 12.2


・ 寄せ鍋の湯気で湿った前髪を気にしてさわる君世界一
 (森響子・女・28 歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「世界一かわいいって思う瞬間は突然やってくるのです」と作者コメント、寄せ鍋にかがみ込んでいる大好きな彼氏が、湯気を気にして前髪をさわる、それがカワイイ!)  12.3


・ 「ほんとうは誰も愛していないのよ」ペコちゃんの目で舐めとるフォーク
 (ゆず・女・17歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「ペコちゃんて、怖くないですか? あの感情がこもっていない目に真っ赤な舌」と作者コメント、下の句がリアル、「何人かいる彼氏、でも本命はいない」) 12.4


・ あなたの目をずっと見ながら話すのは、瞳孔の大きさを測るため
 (いさご・女・19歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選とコメント、「<瞳孔の大きさを測るため>のデジタルな冷たさが素晴らしい、もしこれが<瞳の色が大好きだから>なら、ときめきが感じられず凡庸になる」と) 12.5


・ なかなかに心をかしき臘月(しはす)かな
 (芭蕉1692、「師走だなぁ、なんのかんのと、あわただしいなぁ、でも、そこにこそ、この月の独特の味わいもあるんだよ」) 12.6


・ 我が頭巾(づきん)うき世のさまに似ずもがな
 (蕪村1774、「僕は頭巾には凝る方なんだよ、相当おしゃれしてるんだ、そんじょそこらのありきたりの頭巾とは違うんだよ、みんな気づいてほしいなぁ」) 12.7


・ 世界のいづこにも大き戦(たたかひ)のニュースなき日をわれの安らぐ
 (南原繁『形相』、1942年の作、東大法学部教授にして政治学者の作者は1936〜45年の間、短歌を作ってノートに書き続けた、戦争を憂うる歌が多い、今日は日本軍による真珠湾攻撃の日) 12.8


・ をりふしに矢印ありて矢印に従ひ都市をわれ流れゆく
 (高野公彦『河骨川』2012、地下鉄のホームに降りた時から、階段、改札を経て地上に出て、要所要所の案内の「矢印」に従って歩く私、自分で歩いてはいるけれど、何か受動的で、ただ「都市を流れてゆく」みたいな感じだ、まるで我々の生き方がそうであるように) 12.9


・ きみのいる刑務所とわがアパートを地中でつなぐ古きガス管
 (寺山修司『血と麦』1962、この歌は永山則夫と結びつけられることが多いが、歌の方が早い、寺山と青森県の同郷である永山則夫は1968年に殺人事件を起こし、死刑になった、寺山は永山について書き、面会もしている、永山も獄中で『反–寺山修司論』を書き出版した、今日は寺山の誕生日) 12.10


・ 地のうへの光にてをとこをみなあり親和のちから清くあひ呼ぶ
 (上田三四二『黙契』1955、医師として病院に勤務し始めた二十代の作者、朝早く、勤務につく医師や看護婦たちが集まって打ち合わせをするのだろう、薄給だが、力を合わせて入院患者の治療に尽くす若いスタッフたち) 12.11


・ 思ふ人の側(そば)へ割込む炬燵(こたつ)かな
 (小林一茶1793、31歳のときの作、一茶は50歳まで独身だった、何人か一緒に炬燵に集まっている中に、好きな女性がいたのだろう、強引に横に割り込む一茶、あまりモテない男性にありがちな光景) 12.12


・ 東京の南に低き冬日かな
 (高濱虚子1930、冬至も近くなると、昼になっても太陽の高さは低い、1930年といえば、銀座などにモダンなビルも建ち始めているが、まだ平屋など低い屋根が連なる東京、太陽の「低さ」もひとしお感じられる) 12.13


・ 大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋
 (俵万智『サラダ記念日』1987、1980年代の渋谷や池袋は、西武セゾン系のパルコや、東急ハンズなど、おしゃれな商品が人気を呼んで、若者の賑わう街になった、この歌はその気分がよく表れている) 12.14


・ 掃除機をかけつつわれは背後なる冬青空へ吸はれんとせり
 (小島ゆかりヘブライ暦』1996、「冬の抜けるような青空の広がるある日、私はせっせと掃除機をかけている、強力な吸引力がゴミも塵もぐんぐん吸い込んでゆく、何だか私も一緒に背後の青空へ吸いこまれそうだわ」、ほんの一瞬の絶妙な感覚を捉えた) 12.15


・ 褞袍(どてら)着てなんや子分のゐる心地
 (大住日呂姿『埒中埒外』2001、綿がたっぷり入った大きな「どてら」を着ると、何だか気が大きくなって、親分になった気がする、うやうやしく子分たちに囲まれるんじゃないか、なんて錯覚しちゃうよ) 12.16


・ 寒鯉のかたまりをればあたゝかさう
 (山口青邨『花宰相』1950、冬の池に鯉たちが「かたまっている」のを見て、体を寄せあっているように見えたのだろう、「あたたかそうだね」と呼びかけたユーモア句、作者は虚子門で、学生時代に東大俳句会を興した人、東大工学部教授、美しい花鳥諷詠の句を詠んだ) 12.17


・ 待つ人は待てども見えであぢきなく待たぬ人こそまづは見えけれ
 (和泉式部『家集』、「私がずっと待っているあの人は、どうして来てくれないのかしら、ああ、へこんじゃう、そんな時にかぎって、来てほしくない男が来ちゃったじゃないの」) 12.18


・ わたの原そのかた浅くなりぬともげにしき波や遅きとも見よ
 (清少納言、和歌の不得意な元カレ橘則光が「君が和歌に執着しなければ、君をもっと愛しちゃうのに」と言ってきたので[詞書]、「海の潟(=和歌への執着)が浅くなったとしても、次の波(=私の愛情)はなかなかやって来ないものだな、と思ってね」と、冴えた返し) 12.19


・ 君待つと寝屋(ねや)へもいらぬ槇(まき)の戸にいたくなふけそ山の端の月
 (式子内親王『新古今』、「貴方をずっと待って、寝ないでいるのよ、あら、入口の戸に月の光が射し始めた、もうこんなに夜が更けたのね、どうか光よ、これ以上射し込まないで(=これ以上、夜は更けないで)」) 12.20


・ 散らすなよ散らさばいかがつらからむしのぶの山にしのぶ言の葉
 (建礼門院右京大夫、「この手紙を、絶対に人に見せないでね、もし人に見られたら、私、恥ずかしくて死んじゃうわ、私たちの恋は、絶対に人に知られてはならないのよ」、平資盛との恋が始まった頃の歌、大夫は資盛より年上で身分も下だったので、引け目があったのか) 12.21


・ 門前の小家もあそぶ冬至かな
 (野沢凡兆『猿蓑』、「禅宗の大きな寺の門前、禅僧たちだけでなく、参拝客相手の小さな店屋の人たちも、今日は仕事を休んでのんびりしているな、そうか、今日は冬至なんだ」、禅宗では冬至は仕事を休んで祝う日) 12.22


・ 星つつと枯枝つたへり木戸を入る
 (池内友次郎1906〜91、「流れ星が、枯れ枝をつたうようにスーッと流れて、木戸の向こうに落ちていった」、作者は虚子の二男、作曲家として活躍し、東京芸大教授) 12.23


・ 聖堂といふも藁家やクリスマス
 (濱月、「クリスマスに訪れた田舎の教会が、まさかの藁ぶき屋根、でも、そういう教会のクリスマスもいいな」、虚子編『新歳時記』1951にある句だが、作者については分からない) 12.24


・ へろへろとワンタンすするクリスマス
 (秋元不死男『万座』1967、「作者は町の片隅のラーメン屋でぬるめのワンタンをすすっている、でも、完全にすねているというわけでもない、心のどこかで七面鳥など豪華なクリスマス料理のことを考えている」、と清水哲男氏の註釈、これもメリー・クリスマスの句) 12.25


・ 夜明けより幾度か変る富士の色次々研ぎし剃刀に映ゆ
 (鈴木義二「朝日歌壇」1973、近藤芳美選、富士山の近くに住む作者は、カミソリを造る職人なのか、それとも理髪店主だろうか、よく晴れた冬の早朝、刻々とその色を変える富士山、それがカミソリに次々に映し出される) 12.26


・ 噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ
 (葛原妙子、冬の強い風に吹き倒されて、呻吟している噴水、でも、その水は「凛々しく、きらめいている」、それは「冬の浪費」なのだ、素晴らしい「浪費」) 12.27


・ 潮沫(しほなわ)のはかなくあらばもろ共にいづべの方(かた)にほろびてゆかむ
 (斉藤茂吉1909作『赤光』、「潮沫」すなわち、海水にたくさんの泡沫(うたかた)が浮かんでいる、一緒になって潮の流れとともに動いているが、どこへ行くのだろうか、泡沫の一つ一つは「はかない」、どんなに多くても「もろともにほろびてゆく」のだろうか) 12.28


・ たとふればめぐる轆轤(ろくろ)をふむごとく目覚めて夢のつづきを思ふ
 (佐藤佐太郎1972作『開冬』、「ろくろ」は陶芸用の回転式の道具、足踏み式もある、目覚めた後も、夢の続きが見たくて、半分無意識に夢を自分で作っていることがある、「めぐる轆轤をふむごとく」うとうとしながら) 12.29


・ あをあをと年越す北のうしほかな
 (飯田龍太『忘音』1968、青青として大きくうねっている北の海、どこの海だろうか、この海とともに年を越す作者、雄渾な句柄、張りのある調べ、「龍太調」と呼ばれる) 12.30


・ 除夜の湯に肌触れ合へり生くるべし
 (村越化石『獨眼』1962、作者1922〜2014はハンセン病とその後遺症により約70年間を群馬県草津町の国立療養所で過ごした俳人、1970年には失明、蛇笏賞紫綬褒章などを受賞、本句は代表作の一つ、大晦日の夜、療養所の共同浴場の光景だろう、「生くるべし」が胸に迫る) 12.31