[今日のうた] 2月 (写真は道浦母都子1947〜、『無援の抒情』1980は、1960年〜70年代の大学闘争を詠んだ、素晴らしい青春歌集)
・ 「今日生きねば明日生きられぬ」という言葉想いて激しきジグザグにいる
(道浦母都子『無援の抒情』1980、詠まれたのは60年代終り、学園闘争を戦う作者はジグザグデモの中にいる、私も経験があるが、ジグザグは、デモの隊列を規制しながら歩く警察の隙を突いて行うので、緊張する) 2.1
・ 風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり
(穂村弘『ドライ ドライ アイス』、冬の風が強く吹く広い交叉点を渡っている作者、向こうから来る人と次々にすれ違うが、そのつど相手から刺すような小さな傷を受けるように感じられる、大都市の中の孤独な心象風景) 2.2
・ あたらしき風濤(ふうたう)三百六十の日々を凌(しの)がん健やかにして
(佐藤佐太郎『形影』1970、数え年で60歳になった作者、「新しい風と波」の中を生きているように感じる、健康に留意し、その日その日の「風濤」を凌いで生きていこうと、意欲が湧いてくる) 2.3
・ 春立つと古き言葉の韻(ひびき)よし
(後藤夜半、「はるたつ」という昔の言葉の響きはとてもいい、今日は立春) 2.4
・ 蒲団着て寝たる姿や東山
(服部嵐雪1694、「東山晩望」と前書にあるから夕方だろう、ゆるやかな曲線をもつ京都の東山に夕日が当たっている、「まるで東山は蒲団を着て寝転んでいる人のようだな」、ユーモラスな比喩がいい) 2.5
・ きさらぎが眉のあたりに来る如し
(細見綾子、寒の戻りで寒いのだろう、帽子をかぶりマフラーで口元を覆っても、眼の周りは露出する、眉間にきりりと寒気が当たる「きさらぎ」) 2.6
・ 如月(きさらぎ)や日本の菓子の美しき
(永井龍男、和菓子は美しい、その美しさは寒い如月=二月にひときわ引き立つのかもしれない、清水哲男氏は、この句は「和菓子」と言わず「日本の菓子」と言ったのが良いと評す) 2.7
・ 雪ふれば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける
(紀貫之『古今集』巻6、雪が降って、草や木がその形を保ったまま雪化粧する、「まるで冬ごもりしている草木に花がさいたみたいだな」、貫之らしい視覚の歌) 2.8
・ かつ氷りかつはくだくる山川の岩間にむせぶあかつきの声
(藤原俊成『新古今』巻6、冬の明け方の谷川は、音が静かになって凍った場所があると同時に、別の場所では氷が砕ける音がして、氷と水が混じった「むせび泣く」ような音を立てている、春も近いのか) 2.9
・ 夢よりも現(うつつ)の鷹ぞ頼もしき
(芭蕉1687、前書に「杜国が不幸を伊良子崎に訪ねて」とある、坪井杜国は芭蕉が愛した美青年の弟子、禁制の米相場に手を出し追放されて蟄居中だった、杜国を「鷹」に喩えた芭蕉は、「心の中で思い続けた君に実際に会えて、元気なのが嬉しい」と) 2.10
・ 声たてぬ時が別れぞ猫の声
(加賀千代女、昨夜まで「ごろにゃーん」と鳴き寄っていた猫くん、今夜は声がしないな、さては彼女と別れたのかな、あるいは、猫に喩えて人の話をしているのかもしれない) 2.11
・ 日を追うて歩む月あり冬の空
(松本たかし、月が太陽を「追うて歩む」のは新月の後の三日月か上弦の月、昼間の太陽の東側に、目立たぬように淡く浮かんでいる細い月には、独特の美しさがある、今日はそんな感じのはず) 2.12
・ スイッチの仕組みがすべて分かるまで君はホテルで落ち着きがない
(麻倉遥・女・27歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「部屋の灯りや空調や音楽のスイッチでしょうか。たしかに男にはそういうところがありますね。でも、どうして女性は平気なのか」と穂村コメント) 2.13
・ 「どうして手をつなぐのかね」とおばあちゃん。おじいちゃんと手、つながなかったの?
(小林晶・女・27歳、『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「街中のカップルを見て祖母が一言、質問は聞きませんでしたが」と、作者コメント。下の句は作者の内語) 2.14
・ 水満(み)てて春待つ石の手水(てうづ)鉢
(虚子1915、「石製の手水鉢に水がなみなみと満ちている、何か春が近い気分だな」) 2.15
・ 葱(ねぶか)買(かう)て枯木の中を帰りけり
(蕪村1777、採れたてのネギを何束か買って、家路を急ぐ蕪村、「葉の落ちた冬の枯れ木道の中で、手にしたネギの緑色がひときわ映える、さあ妻や娘と楽しい夕食だ」、色彩感があり、愛妻家だった蕪村らしい句) 2.16
・ 足音を気にして歩む図書館の床に誰かの影踏みている
(梅内美華子『横断歩道(ゼブラゾーン)』1994、夕方の静かな大学図書館、自分の靴音がしないように注意しながら歩いている作者、ふと気が付くと誰かの影を踏んでいる、自分の足元で聴覚、視覚、触覚が交わる微妙な瞬間) 2.17
・ 思い出を汚してもいい きつくきつく編んだみつあみゆうやけのドア
(東直子『春原さんのリコーダー』、彼氏との間に何かまずいことがあったのか、自分の「きつくきつく編んだ三つ編み」、「夕陽が当たっているドア」、彼氏と一緒に写っている写真を眺めているうちに、静かな怒りが) 2.18
・ できるなら知られたくないほほえみの部分マスクに隠して君に
(吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、大学卒業の頃の歌か、おそらく彼氏との関係が微妙になってきている作者、彼氏と会う時にも、今までに感じたことのない心のわだかまりを感じる) 2.19
・ 一遍(いっぺん)はすげなく通る文使(ふみつかい)
(『誹風柳多留』、川柳には「吉原」をネタにした句も多い、これは遊女が客に出す手紙を直接届ける「文使い」の話、奥さんに見つかったらまずいので、まずは客の家の前を通り過ぎて中をそっと観察する) 2.20
・ 虚無僧(こもそう)の押し合ってゐるくどい文
(『誹風柳多留』、遊女から客への手紙は、金の無心が多かった、続き字で書かれた草書体の「参らせ候」(=・・・でございます)は虚無僧の姿に似ていたので[下記参照↓]、「参らせ候」が多い手紙は、虚無僧がたくさんいるみたいだという笑い話) 2.21
・ 又(また)文(ふみ)かそこらへ置けと光る君
(『誹風柳多留』、「吉原」ではなく「故事」の部に分類されている句なので、遊女からの手紙ではないのだろう、源氏物語に寄せて、女性からたくさん手紙がくるモテ男くんを皮肉ったのだろう) 2.22
・ 雪とけてクリクリしたる月よ哉
(一茶『七番日記』、「今夜は、月がいつも以上に丸く見えるな、くりくり坊主みたいだ、そうか、もう雪も融けだして、春も近いんだ」、月を「クリクリしたる」と子供の顔に見立てて、親しげに呼びかけたのが一茶らしい、今夜は満月) 2.23
・ 息白くオーロラに音あると言ふ
(正木ゆう子『水晶体』1986、作者は24歳の時にネパールを旅しているが、そこでオーロラを見たのだろうか、それともテレビか写真だろうか、人間の「白い息」と「音ある」オーロラの取り合わせが素晴らしい) 2.24
・ ながめつる今日はむかしになりぬとも軒端(のきば)の梅はわれを忘るな
(式子内親王『新古今』春上、「外を眺めながら物思いに耽っている私、やがて私は死んで、今こうして眺めていることも遠い過去に沈み、誰の記憶からも消えてしまうのね、でも、軒端の梅よ、あなただけは私を忘れないで」) 2.25
・ 梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜(よ)の月
(俊成卿女『新古今』春上、「美しい色、かぐわしい香、梅の花は昔のあの時とちっとも変らない、そして、同じように春の夜に出ている月が、あの時のことを思い出させるわ」、事実のみを詠む中に深い感情がある) 2.26
・ 梅の精は美人にて松の精は翁也
(夏目漱石1899、美しく咲いた梅の花を、梅の木の妖精=美人に見立てた漱石、対比される松の木の妖精がお爺ちゃんなのも面白い) 2.27
・ 君らには君らの未来バラ芽立つ
(所山花、薔薇の芽は、冬の枯れた薔薇の枝に小さな赤い芽が点々と顔を出し、小さな葉となって開いてゆく、卒業の近い高校生だろうか、彼らを祝福するように薔薇の芽が伸び始める) 2.28
・ 早春や夫婦喧嘩を開け放ち
(小西雅子『雀食堂』2009、「二階の窓を開けると、今までのように空気が冷たくない、ああ、春なんだ、お隣さんの窓も開いている、夫婦喧嘩も聞こえてきちゃうわ」) 2.29