[今日のうた] 4月1日〜30日
(写真は加藤楸邨1905〜93、はじめは水原秋櫻子に師事、のち俳誌『寒雷』を主宰、朝日俳壇選者、「人間探究派」と呼ばれた)
・ 咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり
(虚子、1928年4月、鎌倉・妙本寺での句会の折に詠んだもの、満開になったばかりの桜はこんな感じだ) 4.1
・ ゆふ空の暗澹たるにさくら咲き
(山口誓子、今にも雨が降り出しそうな暗い夕暮れ、しかし、だからこそ、満開の桜の白さが際立つ) 4.2
・ 押しひらくちから蕾に秘められて万の桜はふるえつつ咲く
(松平盟子『プラチナ・ブルース』1990、桜の蕾には、花を開く「ちから」が秘められている、花はその「ちから」によって「ふるえつつ咲く」) 4.3
・ 黒革のサドルにありてふたひらの桜は色の透きとおりたり
(松村正直『やさしい鮫』2006、自転車の黒革のサドルの上に散った、桜の花びら二つ、色が透きとおり、桜の花の透明さがひときわ目立つ) 4.4
・ なの花のとつぱづれ也ふじの山
(一茶『七番日記』1810〜18、「見渡すかぎり菜の花が続いて、それが途切れた向こうに、冠雪の富士山がにょっきりと立っている」、「とっぱづれなり」が卓抜) 4.5
・ 蝶ひかりひかりわたしは昏(くら)くなる
(富澤赤黄男(かきお)『天の狼』1941、「蝶がひらひらと光りながら軽やかに翔んでいるが、どういうわけか、私の心は沈んでゆく」、作者1902〜62は、戦前の新興俳句運動を担った一人、現代詩的なモダニズム俳句を追究した) 4.6
・ 正論を述べつつひとを傷つけし心の火照(ほて)りいだきて帰る
(栗木京子『水惑星』1984、歌集の後半は、結婚して子供が生まれて以降の作品、前半の「二十歳の譜」の頃の瑞々しい恋の歌から、反省的で思索的な歌へ、歌風も変わってきた、この歌は「心の火照り」が卓抜) 4.7
・ 君をすこしわかりかけてくれば男と言ふものがだんだんわからなくなる
(河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972、作者22〜3歳頃の作品、同じような思いをする女性は多いだろう) 4.8
・ 今日何もかもなにもかも春らしく
(稲畑汀子、平易な表現で、光りと明るさがあって、とても生き生きしている句、いかにも作者らしい名句) 4.9
・ 雲垂れてつひに触れたる畔(あぜ)青む
(水原秋櫻子、「畔青む」とは、田んぼの畔に草が生え初めて、うっすらと緑色になることを言う、この句は雄大な景がいい、「空がかき曇って地平まで雲が広がり、青空がなくなると、地に広がる田の畔の青さにあらためて気づいた」) 4.10
・ たんぽぽの絮(わた)ずるずると旅重ね
(須藤はま子、タンポポは花が終ると白い綿のようなふんわりした丸い冠毛ができる、これが「絮」で、風に乗ってゆっくりと、どこまでも漂ってゆく、何度地上に落ちても、またそこからいなくなる) 4.11
・ さくらさくらさくら咲き初め咲き終りなにごともなかったような公園
(俵万智『サラダ記念日』1987年、公園の桜は本当に美しかった、でも散ってしまえば、「なにごともなかったような公園」がそこにある) 4.12
・ 新婚旅行へゆきましょう、魂のようなかたちのヘリコプターで
(穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し』2001、この歌集は性的な歌もかなりあって、挿絵が過激なので、穂村ファンでも「引いてしまう」人がいるが、この歌は穂村らしく優しい、「魂のようなかたちの」がいい) 4.13
・ 運ばるることの無心に揺れている花と滴(しずく)とあなたの鎖骨
(東直子『回転ドアは、順番に』2003、歌集では結婚式の少し後に置かれているから、たぶん新婚の二人、「運ばるる」のは花を持つ「私」自身なのか、彼の鎖骨が眼前に迫る、作者は性愛を詠んでも美しい歌を作る人) 4.14
・ 一つづつ花の夜明けの花みづき
(加藤楸邨、「花みづき」は夏の季語だが、私の家の近くの街路では[埼玉県鴻巣市]、もう美しく咲いている) 4.15
・ 人入つて門のこりたる暮春かな
(芝不器男、「春の夕暮、人が門の中に入っていき、大きな、がらんとした門だけが残った」、大きな屋敷なのか、あるいは寺か、人のいなくなった空間の寂しい感じがよく出ている) 4.16
・ 春更(ふ)けて諸鳥(もろとり)なくや雲の上
(前田普羅、春も深まった頃だろうか、作者は山の中にいるのだろう、それを「雲の上」と言った、いろいろな鳥の鳴き声がとても近くに感じる) 4.17
・ 言(こと)に出でて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞(せ)かへたりけり
(よみ人しらず『万葉集』巻11、「ああ、君が好きで好きでたまらない、でもそれを声に出して言うと大変なことになるよね、ごうごうと流れる渓流を塞き止めるように押さえつけているんだよ、僕は」) 4.18
・ あはれてふ言(こと)だになくはなにをかは恋の乱れの束(つか)ね緒(を)にせむ
(よみ人しらず『古今集』巻11、「つれない貴女よ、せめて僕に「まぁ、かわいそうに」くらいは言ってよ、それだけでも言ってくれれば、貴女に恋い焦がれてばらばらに砕けそうな僕の心は、砕けずにすむかもしれない」) 4.19
・ 憂き身をばわれだに厭ふ厭へただそをだにおなじ心と思はむ
(藤原俊成『新古今』巻12、「片思ひの心をよめる」と詞書、「つれない君にすっかり気落ちしている僕、僕だってそんな自分が嫌いさ、だから君も僕を嫌ってね、そうすれば君と僕は同じ心になるもんね」) 4.20
・ よしさらば逢ふと見つるになぐさまむ覚むるうつゝも夢ならぬかは
(藤原実家『千載集』巻12、「よしそれじゃ、夢で君に会ったんだから、これでいいことにしよう、現実じゃないじゃんって言うけど、夢から覚めたこの現実だって、結局は、はかない夢のようなものじゃんか」) 4.21
・ あしひきの山桜花(ばな)日(ひ)並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも
(山部赤人『万葉集』巻8、「もし仮に、山桜の花が、長い間咲き続けるのだったら、こんなに愛おしくは思わないだろう、だけどそうじゃないから、こんなに愛おしいんだよ」、ソメイヨシノは終わっても、山間部では山桜がこれから) 4.22
・ 風に落つ楊貴妃桜房のまま
(杉田久女、「楊貴妃桜」というのは八重桜の一種、花弁が多く豪華な印象を受ける、今日はこれから伊香保のハラ・ミュージアム・アークに行きます、きっと八重桜が見頃だと思います、写真は昨日の朝のもの) 4.23
・ 藤房の中に門灯点りけり
(深見けん二『日月』2005、藤の花が美しい季節になった、昼間の明るい光の中で見ることが多いが、この句は日暮れだろう、たくさんの藤の花房に囲まれて、門灯が灯った) 4.24
・ 富める家の光る瓦や柿若葉
(虚子、今、新緑が美しい、柿の若葉は陽光を浴びてキラキラと明るい、この句の柿の若葉は、重厚な瓦が黒光りしている裕福な家の柿の木なのだろう、黒い瓦の光と競うように新緑が光っている、見事な取り合わせ) 4.25
・ 新緑の庭より靴を脱ぎ上る
(山口誓子、この句の視線は、脱いで残された靴と、縁側に上がる足の動きに焦点を当てている、そのことによって、背後にある庭一杯の新緑が、読み手の想像力に広がる、昨日の虚子の、「瓦の光」に焦点を当てた「柿若葉」の句と似た手法) 4.26
・ 子の皿に塩ふる音もみどりの夜
(飯田龍太、夕暮れの食事どき、まだ小さい子供の皿に母親が塩を振っているのだろう、窓の外には、まだ新緑の明るさが残っている) 4.27
・ 親牛も仔牛もつけしげんげの荷
(高野素十、「げんげ」とはレンゲソウのこと、レンゲソウの花を一杯にした荷袋を、親牛も仔牛も背に付けて運んでいる、昔の田舎の春の光景) 4.28
・ スパイシーな娘の料理それよりもショートパンツが大胆すぎる
(小島ゆかり『ごく自然なる愛』2007、いつまでも子どものように可愛い娘たち、高校生だろうか、今日は母親に代わって夕食を作ってくれた、とても嬉しい、でも、むき出しの足から、大人の女のまぶしい体にあらためて驚く、「それよりも」が卓越) 4.29
・ とまどいに構わず開く自動ドア入ってしまえば影は消される
(江戸雪『百合オイル』1997、アスファルトの歩道を自分のくっきりとした影を楽しみながら歩いてきた作者、目的地のビルの入口で、一瞬止まってまた自分の影を眺めたが、人影を感知したドアが自動で開いてしまった、そうか、影ともお別れなのね) 4.30