[今日のうた] 5月1日〜31日
(挿絵は[上畳本三十六歌仙絵]、大伴家持718頃〜785、『万葉集』の編者、収録歌は『万葉集』の1割を超えている、優美な歌を詠んだ歌人で、茂吉などはあまり評価しなかった)
・ 藤波(ふぢなみ)の影なす海の底清み沈着(しづ)く石をも玉とそ我(あ)が見る
(大伴家持『万葉集』巻19、「美しい藤の花が湖に影を映している、湖水は澄みきっているので、底に沈んでいる石も真珠のように見える」、越中(富山県)の国司だった家持が近くの湖に遊覧した際の作) 5.1
・ 影見れば波の底なるひさかたの空こぎわたる我ぞわびしき
(紀貫之『土佐日記』、「船べりから海をのぞくと、海底に空が映っている、そうか、僕は、何もない空漠とした空をこの小さな舟で漕ぎわたっているんだ、心細いなぁ」、「空こぎわたる」作者、ジャンボジェットで旅するような安心感はない) 5.2
・ 夕暮はいづれの雲のなごりとて花橘(はなたちばな)の風のふくらん
(藤原定家『新古今』巻3、「夕暮どき、この風は、どの雲を吹いたなごりの風なのだろう、今は亡き貴女の火葬の煙を吹きぬけた風が、花橘の香のように、貴女の想い出を僕に運んでくる」、定家は歌に物語的なコンテクストを作り出すのが上手い) 5.3
・ せゝらぎの音する様な鯉昇
(寺山修司「はまべ」1951、高校時代の句、鯉のぼりが風に吹かれて、布が擦れるような音をたてているのだろう、耳を澄ますと、それが「せせらぎの音」のように感じられる、5月4日は寺山の命日) 5.4
・ 手紙即愛の時代の燕かな
(佐藤文香『君に目があり見開かれ』2014、作者は20代の若者、ラブレターのような古風なものは書かない、むしろメールや絵文字で気持ちを伝えるのかと思っていたが、たぶんこれはラブレターを手にした句、ちょうど燕も飛んできて) 5.5
・ 朝焼やパジャマのボタン拾いけり
(清水哲男『打つや太鼓』2003、人が朝焼けの美しさに感動するとき、その人は、身支度を整えてキリッとしているとは限らない、顔も洗わず、だらしなくパジャマをはだけ、ゆるんだボタンがぽろりと落ちた、これも立派な朝焼けの感動) 5.6
・ 父がちゃん付けで呼ぶ私ほんとはね、おまえっていう名なのです。ごめん。
(森響子・女・29歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、29歳の作者を父は「ちゃん付け」で呼ぶが、恋人は「おまえ」と呼ぶのだろう、「おまえ」の方を作者は気に入っている) 5.7
・ 信じてるものがあるんだねと言ってくれた口をただ見ていたいだけ
(たかだま・女・21歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「信じてるものがあるんだね」と作者を励ましてくれた彼氏、その言葉が出た彼の口が好き、その口をずっと見ていたい) 5.8
・ もう二度と戻ってこない部屋なのにきみは枕の位置を直した
(田中萌果・女・23歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、彼氏と旅行したホテルだろう、こういう真面目で几帳面な彼氏が大好きな作者) 5.9
・ 摘みけんや茶を凩(こがらし)の秋とも知らで
(芭蕉1681、「もう摘んでしまったのだろうか、茶の木にとっては、娘たちの手によって若葉が摘まれるのも、秋の木枯しによって葉を枯らされるのも、同じなのに、区別はつかないんだろうな」、茶の木の立場に擬人化した珍しい句) 5.10
・ 旅芝居穂麦(ほむぎ)がもとの鏡たて
(蕪村1771、「麦が穂をつけ、広い畑一杯にうねっている中、旅芝居の興業が行われ、村人たちが観賞している、ふと気が付くと、穂麦の脇には、芝居一座が自分の装束を見るための鏡台が一つ、ぽつんと置かれている」、絵画的で見事な取り合わせ) 5.11
・ 生き残る我にかゝるや艸(くさ)の露
(一茶1801『父の終焉日記』、同年5月の初め、故郷の父が亡くなり、火葬場で遺骨を拾った朝の作、一茶は39歳、まだ独身でとても貧乏だった) 5.12
・ 世の中に恋(こひ)てふ色はなけれども深く身にしむものにぞありける
(和泉式部『後拾遺和歌集』、「今、私は恋をしているのよ、赤色や白色のように、「恋色」という名の色はないけれど、染め物の色が布に染みていくように、「恋色」が私の体一杯に染みわたってゆくわ」) 5.13
・ 忘れめや葵(あふひ)を草にひきむすび仮寝(かりね)の野辺の露のあけぼの
(式子内親王『新古今』巻3、「どうして忘れることがありましょう、私が賀茂神社に斎院としてお仕えしていた時、葵を引き結んだ草枕で寝た神館[=仮小屋]の野辺に、露が美しく光るあの素晴らしい夜明けを」、若き日の内親王は神事に仕える巫女だった、これは早朝の神事のときの想い出) 5.14
・ とにかくに心を去らず思ふこともさてもと思へば更にこそ思へ
(建礼門院右京大夫、「平資盛さん、貴方が遠くにいるならともかく、いつも目の前にいるんだもの、貴方のことが一時も心を離れない、貴方を思わないようにすればするほど、思いがつのるわ」、十代の作者はまだ片想い) 5.15
・ 黒き蝶ゴッホの耳を殺(そ)ぎに来る
(角川春樹『カエサルの地』1981、作者1942〜は、父角川源義の死を受けて、角川書店社長に就任1975、俳誌『河』の選者になった1979年頃から、句作に熱中する、第一句集のこの句も、大胆な作風に驚かされる) 5.16
・ 緑蔭に徹夜行軍の身を倒す
(相馬遷子1940、応召された作者は軍医見習い士官として中国戦線に従軍した、徹夜で行軍した部隊は疲れ切って、緑の木陰に「倒れ込む」) 5.17
・ つばめつばめ泥が好きなる燕かな
(細見綾子1938、作者の家の軒に燕が巣を作って子育てしているのだろう、泥をたくさん運んでくるのに着目、とても生き生きした句) 5.18
・ をさなさを武器のごとくに黙しゐついまだ春なる夕映のいろ
(石川不二子1954、作者1933〜は20歳、東京農工大学農学部に在籍していた、男子学生の多い中、キャピキャピした女子学生ではなく、「寡黙な少女のように」押し黙っていた彼女に、恋が始まったのだろう、瑞々しい歌) 5.19
・ つま先からやってきて背骨を通過してうなじで着地わたしの憂鬱
(もりまりこ『ゼロ・ゼロ・ゼロ』1999、歌集の「メランコリー」と題した部の歌、「憂鬱」は局所的な「痛み」でも「体感」でもない、だが、普通の気分がそうであるように、同時に全身に広がっているとも限らないのか) 5.20
・ 桐の花ことにかはゆき半玉(はんぎょく)の泣かまほしさにあゆむ雨かな
(北原白秋『桐の花』1913、「半玉」とは芸妓見習いの少女、「初夏の桐の花が美しく咲いている、でも雨が降り始めた、とても可愛い芸妓見習いの少女が泣きそうな顔で歩いてゆく、お化粧が崩れちゃうよね」) 5.21
・ 走りくる波に怯(おび)ゆる女身(じょしん)ゆえわが手に撓(しな)うあわき香をして
(岡井隆『斉唱』1956、作者1928〜の若き日の恋の歌、彼女と海辺へ行ったのだろう、突然襲った波に怯えて彼女が駆け戻ってきた、作者に飛びついた彼女を両手で強く抱きしめる、「女身」という古めかしい漢語と「あわき香をして」の優美さの取り合わせがいい) 5.22
・ 各々の薔薇を手にして園を出づ
(高濱虚子1924、「薔薇園を楽しんだあと、一緒に出る」、虚子の俳句は、ただサラッと詠んだだけで、凝った感じがしないが、そこにこそ花鳥諷詠の神髄がある) 5.23
・ 手の薔薇に蜂来れば我(われ)王のごとし
(中村草田男『長子』1936、草田男の句は、昨日の虚子と比べると、物語的であり、文学的) 5.24
・ 海兵生薔薇より前(さき)に服白し
(山口誓子1941『七曜』、海軍兵学校の生徒だろう、白く咲いた薔薇の少し先を歩いている、その制服の白がまぶしい) 5.25
・ 性愛の音階にしも含まるるすべての音をばらんと鳴らす
(山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』1990、裸の彼女の全身を、ピアノの鍵盤全体を両腕で抱くように抱きしめる作者、「すべての音をばらんと鳴らす」が上手い) 5.26
・ 鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風にもまれゆく楡
(加藤治郎『サニー・サイド・アップ』1987、昨日の山田富士郎とは微妙に感覚が違うが、これも性愛を詠んだ歌、「風にもまれゆく楡」が上手い) 5.27
・ 荒磯(ありそ)越し外(ほか)ゆく波の外(ほか)ごころ我れは思はじ恋ひて死ぬとも
(よみ人しらず『万葉集』巻11、「荒磯にただぶつかっただけで、磯を越えて外に流れてしまう海の波みたいな、そんな「よそ心」を僕は持たないよ、どこまでも君一筋なんだ、たとえ君に冷たくされて恋い死にしようとも」) 5.28
・ 人知れぬ思ひやなぞと葦(あし)垣の間近けれども逢ふ由のなき
(よみ人しらず『古今集』巻11、「貴女が好きです、その気持ちを貴女に伝えたいんです、でも、葦の垣の目と目が近いように、こんな近くに貴女は住んでいるのに、ああ、お会いする口実が見つからないんです」) 5.29
・ いかに寝て見えしなるらむうたたねの夢よりのちは物をこそ思へ
(赤染衛門『新古今』巻15、「私がどういう枕の方向で寝たので、夢で貴方に逢ったのかしら、貴方の私への愛の契りが、うたた寝のような仮そめのものだなんて、ひどいわ、つれなくされてとても落ち込んでいるのよ」) 5.30
・ 我も人もあはれつれなき夜(よ)な夜なよ頼めもやまず待ちも弱らず
(永福門院『風雅和歌集』、「歴夜待恋」(=夜ごと人を待つ恋)と詞書、「私たちって、いつもずいぶんよそよそしい夜を過ごしてるわよね、来るつもりないのに「行くよ」っていつも気軽に約束する貴方、ちっとも期待してないから待ちくたびれることもない私」) 5.31