今日のうた64 (8月)

charis2016-08-31

(写真は黛まどか1962〜、1994年に句集『B面の夏』でデビュー)


・ 別のこと考へてゐる遠花火
 (黛まどか『B面の夏』1994、遠くに花火を見ながら、横にいる大好きな彼氏とのいろいろなこと(たとえば花火終了後のこと等)を想像しているのか、それとも、横にいる彼氏のことはすっかり忘れて何か他のことを考えているのか、「別のこと」が効いている) 8.1


・ 浴衣着て浴衣を見る目ありにけり
 (佐藤文香『海藻標本』2008、花火大会の日など、都内でも浴衣の女の子をたくさん見かける、着付けを習ったりして、ちゃんと浴衣が着れた嬉しさ、他の女子の浴衣姿もしっかりチェックしている) 8.2


・ 子ありてや橋の乞食もよぶ蛍
 (一茶1811『七番日記』、「あの橋の乞食にもたぶん子どもがいるんだな、蛍を呼びよせている、子どもに見せてやりたいんだ」、乞食にも共感を寄せる、いかにも一茶らしい句) 8.3


・ 恋人をそれぞれの胸が秘めている不思議さ行き交う人のシャツ見る
 (安藤美保『水の粒子』1992、意味的には「不思議さ」で切れるのだろう、作者の学ぶお茶大で、友人たちとそれぞれ自分の恋人の話をしたのか、その後キャンパスに出ると、この人も? あの人も? とそれぞれの恋人が気にかかる、いくらシャツを見ても分からないのに) 8.4


・ 夏の午後ロールシャッハ・テスト受けやや性的な答えに徹す
 (松平盟子『プラチナ・ブルース』1990、ロールシャッハ・テストは、インクの染みの左右対称性から、身体的、性的なもののイメージに繋がりやすい、「やや性的」「答えに徹す」は醒めたユーモア、楽しんでいる作者) 8.5


・ 空へ消えゆく人を見てお花畑(ばた)
 (加藤三七子1925~2005、標高の高い山頂近くだろう、急斜面の鎖場を越えながら、登山者たちが「空へ消えるように」ゆっくり登ってゆく、すぐ下でそれを、高山植物の小さなお花畑が見送っている) 8.6


・ 自動車に松葉牡丹の照りかへし
 (中村汀女マツバボタンは、濃い緑色の肉厚の細い葉が、光を反射してよく光る、真っ赤な花とともに、それが自動車に反射している真夏の昼) 8.7


・ 向日葵(ひまはり)に天よりも地の夕焼くる
 (山口誓子、広いひまわり畑と触れ合うように、地平線のあたりだけが夕焼けているのだろう、雄大な夏の光景) 8.8


・ ゆきなやむ牛のあゆみにたつ塵(ちり)の風さへあつき夏の小車(をぐるま)
 (藤原定家玉葉和歌集』夏、「真夏の日差しの下、牛が重い荷車を引いてゆく、よく進めない牛の足が掻き立てる土ぼこりが舞って、それを運ぶ風まで熱せられている」、和歌的主題ではない珍しい実景の歌) 8.9


・ わたつ海(み)とあれにし床(とこ)を今さらに払はば袖や泡と浮きなむ
 (伊勢『古今集』巻14、「貴方に捨てられた私は、涙で海のように荒れた寝床で一人寝なのよ、貴方を迎える為に袖で寝床を清めようとすれば、袖が泡のように浮いちゃうでしょうね、なによ今さら」、また会おうと言ってきた元カレ[藤原仲平]に断りの返歌) 8.10


・ 古(いにしへ)になほたち帰る心かな恋しきことにもの忘れせで
 (紀貫之古今集』巻14、「貴女にまた会えて本当に嬉しいです、私たちが恋に燃えたあの時に心が帰って行きます、お互いに辛いこともあったけれど、<恋しさ>だけは決して忘れないものなのですね」) 8.11


・ 愛用のことば束ねて暑の見舞
 (上田日差子、暑中見舞いはどう書いたらよいのか、あまりにもテンプレ(定型)ではと思い、少し工夫したりもする、この句は、書いた人、もらった人、どちらとも取れるが、「愛用の言葉を束ねる」というのが、花束みたいで、いい) 8.12


・ 炎天に立出(たちいで)て人またゝきす
 (高濱虚子、「家の中から炎天下に出てきた人が、思わずまばたきした、陽光のあまりの眩しさに」、「まばたきする」という一瞬の表情を捉えて暑さを表現した) 8.13


・ 幾たびのビンタの果てに散りしか君灼熱の空又めぐり来ぬ
 (水島つね子『朝日歌壇』1971、近藤芳美選、「君」とは作者の夫あるいは恋人だった若者だろうか、それとも兄弟か、「灼熱の空」だったあの8月15日が、今年もまためぐって来る) 8.14


・ 飢えに聞ける玉音の日も暑かりしトマト背負い来るに午の鐘鳴る
 (小沢和三郎『朝日歌壇』1971、前川佐美雄選、玉音放送は8月15日の正午に放送された、暑さの中、トマトを背負ったまま、「飢えながら」聞いた作者) 8.15


・ 死を看とるこころの慣れのさびしみをふとかたりたる若き看護婦
 (坂本澄昭『朝日歌壇』1971、若い看護婦にとって、死を看取ることは日常のことになっている、「さびしみをふとかたりたる」という平仮名表記、彼女は小さな声でぽつりと言ったのだろう) 8.16


・ どこかさめて生きているようなやましさはわれらの世代の悲しみなりき
 (道浦母都子『無援の抒情』、全共闘世代の作者(1947年〜)が闘争の渦中にあったのは60年代後半から70年代初頭、そして第一歌集『無援の抒情』は1880年、ずっと若い世代はもっと醒めているかもしれない) 8.17


・ 片恋やひとこゑもらす夜の蝉
 (日野草城『旦暮』1949、夜中、本当に一声だけ蝉が鳴くことがある、もちろん「片恋」ではないのだが、そこが面白い俳諧の味になった) 8.18


・ 谺(こだま)して山時鳥(やまほととぎす)ほしいまゝ
 (杉田久女、夏の山中のあちこちにホトトギスの鋭い鳴き声が響いている、「谺する」「ほしいまゝ」という表現によって、雄大な光景になった) 8.19


・ 乳母車夏の怒涛によこむきに
 (橋本多佳子『紅絲』1951、土用波だろうか、夏の終りの海岸に荒い波が打ち寄せている、浜辺にぽつんと「よこむき」に置かれた乳母車の中に赤ん坊が横たわっている、大自然の中の小さな生命、「乳母車」とだけ言って赤ん坊を想像させるのが卓抜) 8.20


・ 暑き日を海に入れたり最上川(もがみがは)
 (芭蕉1689『奥の細道』、「最上川河口の海に沈む夏の太陽、暑い一日が終わる」、最上川が海に出る広い河口、夕陽を「海に入れる」という他動詞表現が、ダイナミックで雄大な景を描き出した) 8.21


・ 野分(のわき)きし翳(かげ)をうしろに夜の客
 (大野林火、「台風が近づいて風雨が強くなってきた夜、でも予定していた客はちゃんと来くれた、玄関のドアを開けると、立っている客のうしろに、風雨が強まった台風の「翳」も一緒に立っている感じがする」、「翳」が見事な把握) 8.22


・ 夏の野の茂みに咲ける姫百合(ひめゆり)の知らえぬ恋は苦しきものぞ
 (大伴坂上郎女『万葉』巻8、「夏野の深い茂みにひっそりと咲いている小さな姫百合の花は、誰にも知られないのね、ああ、貴方が好きでたまらない、でも、それを貴方に知ってもらえないなんて」) 8.23



・ 重ねてもすずしかりけり夏衣薄き袂(たもと)にやどる月影
 (藤原良経『新古今』巻3、「薄い布で作られた僕の夏衣の袂に、月光が差し込んで、まるで光の布みたい、光で出来た衣を重ね着して、ますます涼しい感じ」、作者はシャープな感覚美の歌を詠む人) 8.24


・ 向日葵(ひまはり)は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
 (前田夕暮『生くる日に』1914、作者1883〜1951の代表作の一つ、太陽も小さく感じられるほど、ヒマワリの花が大きく、美しい、「ゆらりと高し」(傍点も作者)が卓越した表現) 8.25


・ 君こそ淋しがらんか ひまわりのずばぬけて明るいあのさびしさに
 (佐佐木幸綱『群黎』1970、『群黎』は、男っぽい歌を作ることで知られる作者1938〜の最初の歌集、「君」は恋人だろうか、ひまわりの傍にいる二人のやり取り、なぜ「さびしさ」が感じられるのだろう、明るさは淋しさと表裏一体のものなのか) 8.26


・ きんいろのフランス山の毛虫かな
 (星野麥丘人『亭午』2002、「フランス山」というのがミソ、「フランス山」の毛虫は、そんじょそこらの毛虫と違って、「きんいろ」に美しく輝いているのだろうか、三宅やよい氏によれば、「フランス山」とは、横浜の「港の見える丘公園」の一部らしい) 8.27


・ 素見(すけん)目を離さず見たをあげられる
 (『誹風柳多留』1785、吉原では、ずらりと並んだ遊女を客が見て指名する、「素見」とは、実際には遊女を買わず見るだけで帰る客、「一人の素見が美しい遊女から目を離さずに眺め続けていたが、ちらっと見ただけの別の客がすぐ指名した」) 8.28


・ 寝ごかしはどちらの恥と思召(おぼしめ)す
 (『誹風柳多留』1765、「寝ごかし」とは相手の遊女が寝ている間に黙って帰ること、モテない男がよく「寝ごかしして、あいつに恥をかかせてやった」と偉そうに言うが、実は、遊女だって嫌な客には寝たふりをして相手にしないことも多い、これは遊女の立場で詠んだ句) 8.29


・ ゴネリルもコーデリアも吾が内に棲み王にはあらぬ父と真向かう
 (藤岡道子「朝日歌壇」1986、認知症になった父を気遣う娘、天使のようなコーデリアと悪姉ゴネリルの両方の要素が自分の中にあり、「真向かう」に深い苦しみが、「リア王」は認知症老人をリアルに描いた物語としても読める) 8.30


・ 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
 (河野裕子『蝉声』2011、河野裕子は2010年8月にガンで逝去、64歳、この歌は亡くなる前日に口述した最後の歌、半世紀にわたって、瑞々しい恋の歌や家族愛の歌をたくさん詠んだ彼女らしい遺歌) 8.31