今日のうた70(2月)

charis2017-02-28

[今日のうた] 2月1日〜28日


(写真は石田郷子1958〜、父母ともに俳人、俳誌「椋」を主宰、やさしい感情の漂う俳句を作る人)


・ 筏師の太白息と出合ひけり
 (石田波郷『酒中花』1968、波郷は東京に住んでいた、隅田川や木場などで筏がまだ使われていた時代だろう、冬の寒い日、筏師の吐く「太く、白い息」が頼もしく感じられる、「太白息」と漢語を上手く生かせるのが俳句) 2.1


・ 二もとの梅に遅速を愛す哉
 (蕪村1774、「我が家の二本の梅の木、咲くのも散るのも微妙に速さが違う、それがまたいいんだよね」、鴻巣市の我が家の近所でも、ちらほら梅が咲き出しました、でも我が家の一本の梅はまだ固い蕾) 2.2


水仙や表紙とれたる古言海
 (高濱虚子1932、「言海」は明治期に大槻文彦が編纂した日本で最初の近代国語辞典、虚子も擦り切れるほど使ったのだろう、机に活けてある水仙の花、そばには愛着のある古びた言海が) 2.3


立春の駅天窓の日を降(ふ)らし
 (寺島ただし『俳句歳時記 春』角川2007、小さな駅だろうか、「駅舎の天窓から冬の日が差している、だが立春の今日は、何だかいつもより明るく感じるな」、今日は立春) 2.4


・ 霜の朝しばし雀の國にあり
 (石田郷子『木の名前』2004、「霜が降りている寒い早朝、でも、庭にはもう雀がたくさん集まっている、人が動き出す前、ここは雀の國なのね」、「雀の國」という言い方が優しい) 2.5


・ 我が背子(せこ)が浜行く風のいや早に言(こと)を早みかいや逢はずあらむ
 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「貴方が浜辺を歩く時の風のように、いち早く私たちの噂だけは広まっちゃったわ、私たちまだあまり会っていないのに、これからますます会いにくくなっちゃうのかしら」) 2.6


・ あはれとも憂しともものを思ふ時などか涙のいとなかるらむ
 (よみ人しらず『古今集』巻15、「貴方が優しい時は、ああ嬉しいと思い、貴方が冷たい時は、ああ悲しいと思う、そういう私の感情の起伏を思うと、どうして止めどもなく涙が溢れるのかしら」) 2.7


・ はるかなる岩のはざまにひとりゐて人目思はで物思はばや
 (西行『新古今』巻12、「誰も来ない遠い場所にある岩の間に、一人で籠りたいです、そこで人目を気にせず、ひたすら貴女に恋い焦がれたいです」、面白い発想、会いたいというのではない) 2.8


・ 人体に空地のありて雪の降る
 (鳴戸奈菜1943〜、作者は永田耕衣に師事、「人体には空地があって、なぜか雪はそこへ降ってくる」、今朝、鴻巣市の我が家では雪がぱらついています) 2.9


・ 火のかけら皆生きてゐる榾火(ほたび)かな
 (岸本尚毅『健啖』1999、「榾火」は焚火のことだが、「榾」(=木切れ)を燃やして焚火をしているのだろう、火の粉が勢いよくぱちぱちとはじけて、「皆生きてゐる」ようだ) 2.10


・ 寒い月 ああ貌がない 貌がない
 (富澤赤黄男、作者1902〜1962は詩的な鋭い俳句を詠む人、作者にとって、月はいつも何らかの「顔」「表情」を持っていた、だが厳冬の今夜、月にはそれがないように感じる、何か危機的事態なのか、今日は満月)2.11


・ 鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ
 (林田紀音夫(はやしだきねお)、作者1924〜1998は無季俳句の詠み手として著名な人、生活が苦しく、自分の死を考えていた頃か、「鉛筆で軽く走り書きした遺書ならば、どうせ自分のことなんか皆すぐに忘れてしまうだろう」、寂しい、重い句) 2.12


・ あはれてふ言(こと)こそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ
 (小野小町古今集』巻18、「ほだし」=束縛、「貴方を愛しているときの素晴らしい言葉<ああ、われ!>こそが私の生きがいなの、つらい世の中だけど、これが、私を現世から離れないように繋ぎ留めてくれるのよ」) 2.13


・ 数ならで心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり
 (紫式部『千載集』巻17、「私は立場も、自分の意志も弱いので、自分の体を自分の心に従わせるのは難しいと分かっていたわ、でも、高貴な方からお誘いがあってみると、自分の心が自分の体に引きずられていくのよね」) 2.14


・ さもこそは心くらべに負けざらめはやくも見えし駒の足かな
 (相模『後拾遺和歌集』巻16、「定頼さん、私との意地の張り合いに負けまいとして、すぐ帰ることないじゃない、帰る馬の足は速かったわ、冷たい人!」、恋人の藤原定頼が馬に乗って強引に会いに来たが、作者が門をすぐ開けないのを口実に、さっさと帰ったのを恨んで) 2.15


・ 梅が香に追ひもどさるる寒さかな
 (芭蕉、「梅が美しく凛と咲いている、この梅の香りに惹かれて、少し緩んだ寒さがまた戻ってきたよ」、立春が過ぎても、まだ寒の戻りはある) 2.16


・ 来るも来るも下手鶯(へたうぐいす)よ窓の梅
 (一茶1804、「下手鶯」は、ここでは、下手な俳句を詠む田舎俳人の比喩、一茶は42歳で江戸にいた、ちょうど梅の頃、下手な俳句友達がたくさん家にやってきたのだろう) 2.17


・ 残雪やからたちを透く人の庭
 (室生犀星1927、「残雪が白く残っているので、いつもはあまり見えない近所の庭が、からたちの生垣に透けて、よく見える」、からたちはミカン科の樹木で刺がある、昔はよく生垣に用いられた) 2.18


・ 冬の茶房欅(けやき)の見える窓にゆく
 (正木ゆう子『水晶体』1986、「冬だから落葉しているけれど、大きなケヤキの樹は、ゆったりとして愛おしい、たまたま入った喫茶店、自然に足は、ケヤキの見えている窓の席に向かう) 2.19


・ A定食を前に十字をつくるひとみたとき「私上京したんだ」
 (takio・女・26 歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「ミッション系の大学に進学し、食堂で見た初めての光景に、ごはん粒がいつもより固く感じました」と、作者コメント) 2.20


・ 六ばかりすごい確率で出るのですサイコロだって恋するのです
 (シャカシャカ・女・16歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「サイコロの恋という発想がユニーク、加えて、「です」の繰り返しがリズムを作り出していますね」と、穂村弘評) 2.21


・ おとなしい彼女の肩紐見えている知らない色をみちゃったようで
 (美和直・女・22歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、題詠は「ブラジャー」、「「知らない色」が「肩紐」の「色」であると同時に、「彼女」の心の「色」でもあるように感じられます」と、穂村弘評) 2.22


・ 春寒し水田の上の根なし雲
 (河東碧梧桐、春が近くなっても、北風が吹いてまだまだ寒い日は多い、強風のせいだろうか、晴れた空に雲がちぎれて飛んでゆく、水田の上を「根なし雲」のように動いている) 2.23


・ 薄ら氷(ひ)の解けやつれしが漂へり
 (能村登四郎、春が近づき、それまで薄く凍っていた川や湖の氷が解けて流れ出す、氷の断片が「やつれた感じで漂っている」のがいい、こうして冬は春に向かう) 2.24


・ 春めくやわだちのなかの深轍(わだち)
 (鷹羽狩行、作者1930〜は山口誓子に師事した人、俳誌「狩」主宰、「田舎の舗装されていない土の道、春が近く雪解けでぬかっている、何本も車の跡が付いているが、その中に一段と深い跡が二本ある」) 2.25


・ 違うのよ ふゆぞら色のセーターににわかにできる毛玉のような
 (東直子『春原さんのリコーダー』1996、面白い歌、作者のふゆぞら色のふわふわしたセーターには、すぐ毛玉ができるのだろう、そんな毛玉のように、ごく軽いのよ、ということか、何がだろうか) 2.26


・ 旧約を枕に昼をねむりいる若き牧師のまもるべき闇
 (江戸雪『百合オイル』1997、作者は若い時、熱心に教会に通ったという、旧約聖書を枕に昼寝する牧師が本当にいたのだろうか、「まもるべき闇」というのがいい) 2.27


・ 思春期はものおもふ春 靴下の丈を上げたり下げたりしをり
 (小島ゆかり『希望』2000、ハイソックスだろうか、丈を何度も直している女の子、もちろん自分のことではない、作者には中学生くらいの娘が) 2.28