今日のうた71(3月)

charis2017-03-31

[今日のうた] 3月1日〜31日ぶん


(写真は、「平家納経」(厳島神社蔵)より、建礼門院右京大夫は、建礼門院に使えた女官で、彼女の恋人であった平資盛は壇ノ浦で戦死した)


・ 春あさくえりまきをせぬえりあしよ
 (室生犀星1935、街で見かけた和服姿の若い女性だろうか、真冬にはいつもしている襟巻きがなく、首のうしろの「えりあし」が露わになって、美しい) 3.1


・ 三月の声のかかりし明るさよ
 (富安風生『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)、「さあ、三月だ! 別に急に春になったりはしないけれど、「三月」って聞くと、何だか明るい感じがするよ」) 3.2


・ 桃の日の襖(ふすま)の中の空気かな
 (正木ゆう子「俳句」2007年3月号、両側あるいは三方を襖で仕切られた和室に雛が飾られているのだろう、雛壇は比較的大きいのかもしれない、部屋全体の空気までがなぜか明るく感じられる、今日は桃の節句) 3.3


・ 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞむかしの香に匂ひける
 (紀貫之古今集』巻1、「あなたのお気持ちの方は今はどうだか分かりませんが、でもこの家は私にとって懐かしい家、梅は私のことを覚えていて、美しく咲いてくれています」、「梅の花を折りて」と詞書、百人一首にも採られた歌) 3.4


・ とめ来(こ)かし梅盛りなる我が宿をうときも人はをりにこそよれ
 (西行『新古今』巻1、「訪ねて来てくださいよ、今、私の庵は梅が盛りです、ふだんは疎遠にしていても、何かのきっかけを口実に寄ってくださるのが人情ってものじゃないですか、私、寂しいんです」) 3.5


・ 春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋ひにおのが在所(ありか)を人に知れつつ
 (大伴家持万葉集』8巻、「やあ雉くん、春の野に餌を捜してるんだね、でも彼女を呼ぶ鳴き声立てちゃったりしてさ、恋しいんだよね、人に居場所を知られて獲られちゃったらどうするの」) 3.6


・ 蒲団(ふとん)着て手紙書くなり春の風邪
 (正岡子規1899、病身の子規だが、春の風邪にもめげず、がばっと蒲団をかぶって小机に向い、手紙を書いたのだろう、まだ春先は寒い、丹前を羽織るとかでなく「蒲団を着る」がいい) 3.7


・ 待たされて美しくなる春の馬
 (佐藤文香『海藻標本』2008、作者は1985年生まれの若手俳人、馬が競馬に出場できるのは二歳半以上らしい、それまで待つ間に美しく育つのだろう、人間で言えば思春期か、春の初出場を待っている) 3.8


・ 春の坂女易者がとびとびに
 (内田美紗、夕方から夜になる頃だろうか、「春の坂」に占い師の卓がいくつも出ている、それぞれ小さな灯りがついているが、よく見ると「とびとび」に「女易者」がいる、何とも言えない風情のある春の宵) 3.9


・ 甦りたる一語に開きみる手紙きみの裡(うち)なるわれに逢はむと
 (今野寿美「午後の章」1979、「ふと想い出されたある言葉、それは貴方が手紙の中で私に語りかけた言葉だった」、作者の恋は、大げさな言葉を互いに交わすことなく、静かに、しかし深く感情をはぐくんでゆく恋だった) 3.10


・ 愛といふせつにさびしき抽象語キリン見てゐるときに言ひだす
 (米川千嘉子『夏空の櫂』1988、彼氏と動物園でキリンを見ているのだろう、突然、彼が「愛」について語り出した、作者にとって「愛」は抽象的な言葉で、好きではない、そんな月並みな言葉はを聞いて寂しく感じられる) 3.11


・ 街灯のそれぞれの中に妖精がもがきはばたき光りはじめる
 (安藤美保『水の粒子』1992、作者は大学生、夕方、電柱の蛍光灯が点灯し始める、その中に、なかなかすっきりと灯らず、チカチカを繰りかえしてやっと光るのがある、「羽ばたこうとしてもがいているのね、私のように」) 3.12


・ よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな
 (芭蕉1686、ナズナは直径3ミリくらいの白い小さな花が咲く、「気づかない人も多いみたいだけれど、見てごらんよ、ほら、垣根の下に、小さな可愛いナズナの花が咲いているよ」) 3.13


・ 春の水すみれつばなをぬらし行(ゆく)
 (蕪村『遺稿』、「つばな」=イネ科の野草、「谷間の小さな流れだけれど、春になると水量が増えて勢いが増すなぁ、水の端が、すみれやつばなに触れている」) 3.14


・ 木々おのおの名乗り出(いで)たる木(こ)の芽かな
 (一茶1789、作者27歳の作、岩波文庫版句集2000句の2番目だから、もっとも早い時期の俳句だろう、やや説明的だが、「名乗り出たる」がとてもいい、動物だけでなく植物も、友人のようにみなしていた一茶らしい) 3.15


・ あめつちの寄り合ふきはみ晴れとほる高山(たかやま)の背に雲ひそむ見ゆ
 (齋藤茂吉『赤光』、1907年の作、茂吉1882〜1953が東京帝国大学医科大学の学生だった頃の初期の作品、『万葉集』に学びながら、雄渾な声調で詠うようになり、茂吉らしさがあらわれている) 3.16


・ 水の層また水の層透明に青くかがやく潮(しほ)うごきつつ
 (佐藤佐太郎1953『地表』、海水がかなり澄んでいて深くまでよく見通せる、それを、写真でもなく、絵でもなく、言葉でここまで描写できるのだ、やはり佐太郎1909〜87は昭和短歌の第一人者だと思う) 3.17


・ わがこころを支へてたかき噴水の水柱は不意にところをかへぬ
 (上田三四二『雉』1967、作者は東京清瀬町の結核療養所に医師として勤務、病院内の噴水だろうか、高い水柱はつねに作者の「こころの支え」になっている、その噴水の水の出方がちょっと変わった、心の翳りのように) 3.18


・ 卒業す片恋のまま ま、いいか
  (福地泡介1937〜95、作者はマンガ家、4コマ漫画「ドーモ君」(日経新聞)が代表作、これは「サンデー毎日」に絵とともに載せた自作の句、高校だろうか、好きな彼女に片想いのまま卒業式が来てしまった、今は卒業式シーズン) 3.19


・ たんぽぽや折折さます蝶の夢
 (加賀千代女、タンポポの花の蜜は、蝶や蜜蜂の貴重な食料と言われている、優美に遊んでいた蝶が、蜜を吸うために、タンポポの花にじっと止まって羽を休めているのだろう) 3.20


・ 妹(いも)よ来よこゝの土筆(つくし)は摘まで置く
 (高濱虚子、妻と二人で野原で土筆を摘んでいるのだろう、愛妻句というべきか、短歌と違って俳句形式では「愛」はなかなか詠みにくい) 3.21


・ けさはしも歎きもすらむいたづらに春の夜ひとよ夢をだに見で  (和泉式部『新古今』巻13、「昨夜、一晩じゅう私と語り明かしたけれど、それ以上の行動に出なかった貴方、今朝になって、もの足りないのを嘆いているですって、お気の毒さま、春の夜に甘い夢を見られなかったとはねぇ」、翌朝手紙でぐずぐず言ってきた男への返し、からかいも手慣れたもの) 3.22


・ 盃(さかづき)に春の涙をそそきける昔に似たる旅のまとゐに
 (式子内親王『家集』、「今、旅の宿で大勢の人たちが車座になって楽しんでいる、昔、私にもそんなことがあったかしらと思うと、春は寂しくて、持っている盃につい涙がこぼれるわ」、斎宮だった作者に実際は車座の体験はないだろう) 3.23


・ あはれのみ深くかくべき我をおきてたれに心をかはすなるらむ
 (藤原隆信、「ねぇ、建礼門院右京大夫さん、ちょっとばかり噂を聞いちゃったんだけど、まさかこの僕をさしおいて、誰かに心を通わすなんてことはないよね、君は僕だけに深く愛情をかけるべきだよ」、彼女の返しは明日) 3.24


・ 人わかずあはれをかはすあだ人になさけしれても見えじとぞ思ふ
 (建礼門院右京大夫『家集』、「貴方は、女なら誰でも見さかいなくナンパしようとするチャラ男でしょ、たとえ私が恋の心を知る女であっても、そんな貴方には、恋なんか無関心な女のように見せるわよ」、うるさく言い寄ってくる男へのキツーい返し) 3.25


・ 小所(こどころ)で信濃を置いて喰(くい)抜かれ
 (『誹風柳多留』、「小さな店だが人手が足りないので、江戸の人ではなく、給金が安く済む出稼ぎの信濃の人を雇った、でも信濃の人は大食いなので、食費を含めると高いものについた」、どういうわけか「信濃の者」は大食いと言われた) 3.26


・ 切れ文(ぶみ)は腹いつぱいな事を書き
 (『誹風柳多留』、「吉原」がテーマの句なので、この「切れ文」は、遊女と客の間の手切りの手紙、「今までは黙っていたけど、言わしてもらう」と、相手へのネガティブな感情を「腹の底からいっぱい」ぶちまける長い手紙が多い) 3.27


・ 御めかけの母は大きな願(がん)をかけ
 (『誹風柳多留』、自分の娘はある旦那のめかけだが、その娘が妊娠した、男児でありますようにと、娘の母は寺社で祈る、男児なら、旦那の財産の相続もありうるから) 3.28


・ 薬局で「乳首ください!」と口走るおしゃぶりのこと? 新米パパさん
 (鈴木美紀子・女・46歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「焦っていたんでしょうね。わかる。新婚の夫から、新米パパさんに転換する間に、「乳首」の意味が激変したのに、ついていけなかったのかな」と穂村弘評、しかし、哺乳瓶の先端の部分は「乳首=にゅうしゅ」と呼ばれるので、新米パパさんは読み方を間違っただけかもしれない) 3.29


・ 伝票をくるりと丸め透明な筒に入れられた瞬間ひとり
 (白石美幸・女・22歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「ファミレスに行ってさみしくなる瞬間です。それまであったつながりが切られてしまう気がします」と作者コメント、「センサーが好感度ですね、この歌を見て、自分もそう感じていたのに気づきました」と穂村弘評) 3.30


・ 汽車で来た電車でしょって笑われたずいぶん遠くまで来ちまった
 (北山文子・女・20歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「地元では線路を走る乗り物はぜんぶ汽車でした。都会に足を踏み入れてしまったな、と思いました」と作者コメント、「ずいぶん遠くまで来ちまったと痛感させたのは、言葉の違い」と穂村弘評) 3.31