ヴェデキント『春のめざめ』

charis2017-05-17

[演劇] ヴェデキント『春のめざめ』 神奈川芸術劇場 5月16日


(写真右は、スタイリッシュな舞台、何もない抽象的な空間だが、ガラスで覆われている、上にいるのは抑圧する教師たち、下はもがき苦しむ少年少女たち、そしてガラスについている白いペンキは、少年たちが自慰で飛ばした精液。写真下は、少年モーリッツが、娼婦的な生活を送っている少女イルゼにからかわれる場面、彼の自殺は直接的には成績劣等だが、性への怯えも重要な要因だ)

ヴェデキントの『春のめざめ』は、ブロードウェイや劇団四季のミュージカルで大ヒットしたが、演劇の原作はかなりきつい作品である。『ルル』や『ミネハハ』がそうであるように、かなり怖い物語と言える。ミュージカル版では、少女ヴェントラがレイプされるシーンの「レイプ性」が消し去られているそうだ(二人は相思相愛ということに変更)。しかし白井晃演出のこの舞台は、レイプはもちろん、個々の少年の自慰や、少年院の少年たちの集団自慰もすべて再現している。原作の性の「無慈悲でグロテスクな側面」(演劇評論家・伊達なつめの言葉)が、すべて描かれているので、観ていてつらいのだが、でもこれが「正しい」ヴェデキントなのだ。この上演で、ガラス張りの美しい抽象的空間にしたり、少年少女を美しい制服にしたのは、そうしなければ、生々しすぎて見られないからだろう。(写真下は、少女ヴェントラと少年メルヒオール、そして妊娠に泣くヴェントラ)


19世紀末のドイツのギムナジウムの話で、学園ドラマなのだが、主人公たちは14歳だから、日本で言えば中学2、3年生だ。当時のドイツでは、性教育などはなく、性はきわめて抑圧されていて、ヴェントラは「子どもがどうしてできる」のか知らず、何度尋ねても母は教えてくれない。少年たちは、自慰を覚えたばかりで、男の友人同士で女の体や性交について、秘密の情報交換を楽しんでいる。自分は「奥手」なのかもしれないと不安やコンプレックスを感じ、友人にからかわれることを恐れている。そして、この時期は「自我の目覚め」とも重なっており、心理的に非常に不安定にもなる。モーリッツの自殺は性への恐れが大きな比重を占めているし、メルヒーオルにしても、そんなつもりはなかったのにレイプになってしまった。ヴェントラは何をされたのかよく分からないまま、飲まされた堕胎薬が悪かったために、あっさり死んでしまう。3人の主人公のうち2人が死ぬわけで、少年院に入れられたメルヒオールにしても、モーリッツの霊魂と握手してあやうく死ぬところを、仮面の紳士に助けられた。決して架空の話ではなく、現実にもこれに近いことはあったのだと思う。性(セックス)には、グロテスクで無慈悲なところがあり、生と死に直結している。我々は性という難しい問題を抱えて生きているというのが、『ルル』や『ミネハハ』と同様、ヴェデキントの主題であり、『春のめざめ』は関連する重要な要素がきちんと描かれていて(少年の同性愛も)、とても奥行きの深い作品だということが分かった。


ギムナジウムでこれほどギリシアラテン語が重視されていたのも驚きだし、ギムナジウムの校長が生徒の自殺率の話をするのにも驚いた。ヘッセ『車輪の下』と共通するものがあり、当時のドイツでは学校も、中産階級の両親も、本当にこれほど抑圧的だったのだと思う。精神分析フロイトによってドイツに生まれたのも、このような背景があってこそだと思う。この作品は、14歳の少年少女なので、役者も若くなければならない。三人の主人公を演じた志尊淳、大野いと栗原類はとてもよかった。彼らは若くて美しい。ロック調を取り入れた音楽、スポーティな動き、「性」については笑えない反面、それを補うように喜劇の要素も上手に表現した白井演出は、すばらしい。そして素敵なギムナジウムの制服がとてもよかった。客席200人の劇場なので、ペイするのだろうかも気になった。


動画もありました。
http://www.kaat.jp/d/harunomezame