シュトラウス『ばらの騎士』

charis2017-07-30

[オペラ] シュトラウスばらの騎士』 二期会 東京文化会館、7月30日


(写真右は、一緒に観た私の教え子たち。卒論に仕事に頑張っています。写真下は、終幕の三重唱と、第一幕の元帥夫人の部屋、あやしげな人達がたくさん出入りする)


グラインドボーン音楽祭のインポートだが、リチャード・ジョーンズの演出がきわめて斬新で、とても楽しい舞台だった。色彩感あふれる舞台装置や衣装も秀逸。まず、開幕に驚いた。普通はベッドシーンなのだが、なんとシャワー室。一瞬、彫像だと思ったが、もぞもぞと動き出したので、全裸の元帥夫人だと分かった。この場のオクタヴィアンが髪を伸ばして、どうみても女性に見えるのは↓、元帥夫人の性的志向を暗示しているのだろうか。オクタヴィアンの女性性に、元帥夫人は惹かれているのかもしれない。(写真下、左から、元帥夫人、オックス男爵、右端がオクタヴィアン、正面扉の奥がシャワー室)

とにかく演出が斬新で、人の動きが面白い。第二幕、オックスの婚約者ゾフィー嬢の家だが、ゾフィーは大きなテーブルの上に無理やりあげられて、おろしてもらえない(写真下↓)。オックスのセクハラの晒し者にされるシーンなのだが、身体の行動が他者によって暴力的に閉じ込められるというのが、性的抑圧の根本であることがよく示されている。その下の写真は↓、ブルジョアのお嬢様であるゾフィーが服や靴を着せてもらっているシーンだが、成金ブルジョアを風刺しているとともに、ゾフィーが、身体を自分で自由に動かせない受動的な存在であることを暗示している。


第三幕の酒場のシーンも、笑いから泣きへの劇的な展開が素晴らしい(写真下↓)。猥雑さに溢れる前半から(女中のマリアンデルに化けたオクタヴィアンはこんなに酒を飲んで酔っ払うのだっけ?)、警官をはじめ大勢の人が一気に登場してオックスが糾弾され、そして最後、このうえなく美しい愛の三重唱へ収斂する。今回、観て思ったのは、最初にシュトラウスがこの作品を創った時は、オックスを主人公にするつもりだったそうだが、それも分かる気がする。ジョーンズ演出が、この作品のコメディーとしての性格を強く押し出したのは、ある意味で作曲者の意に沿っている。しかし、何といっても、本当の主人公は元帥夫人だと思う。彼女の魅力は筆舌に尽くしがたい。オクタヴィアンはどこまでも子供っぽいが、元帥夫人は大人の女で、不倫のアヴァンチュールはいつか終ることを最初から自覚している。多くの解釈が、元帥夫人はこれを機に恋愛を引退するとみなすのに対して、演出のジョーンズがプログラムノートで語っているように、彼女ほど魅力的な女性は、またすぐに新しい愛人を見つけるだろう。オクタヴィアンをあっさりあきらめる元帥夫人は、九鬼周造のいうところの、究極の「いきな人」である。


グラインドボーン音楽祭の2分半の動画があります。
http://www.nikikai.net/lineup/rosen2017_aichi_oita/index.html