今日のうた75(7月)

charis2017-07-31

[今日のうた] 7月ぶん


(写真は哲学者の九鬼周造1888〜1941、九鬼はパリ留学中、たくさんの女性と恋をして、それを詠んだ短歌を匿名で詩歌誌『明星』に投稿した、帰国後、京大教授になって迎えた二度目の妻は祇園の芸妓、九鬼の人生は「いき」そのものであった)


・ 睡蓮をわたり了(おお)せて蝶高く
 (高濱年尾、「池に咲く睡蓮の花の上をすれすれに飛んだ蝶が、池をわたり終ると、宙に高く舞い上がっていった」、格調高く、美しい句) 7.1


・ うきぐさや蝶の力の押さへても
 (加賀千代女、ウキクサの葉状体は1センチ未満で小さい、池に浮いているウキクサに蝶が留まろうとしているのだろう、しかし反動でウキクサは動いてしまい不安定になるので蝶は離れる、何回かそれが繰り返されるのか) 7.2


エーデルワイス咲き散るこゝが分水嶺
 (吉田北舟子、作者は山岳地帯を縦走しているのだろう、ちょうど稜線に出た、そこには一面にエーデルワイスが咲いている) 7.3


・ たはれ男とあそべるをんな衣(きぬ)なきか衣はあれども解けてすべりぬ
 (九鬼周造「巴里心景」1925、パリ留学中の九鬼はペンネームで短歌を『明星』に発表していた、死後に本名で歌集が出版された、「たはれ男」は、好色な男の意、九鬼は別の歌で自分をドン・ファンに喩えている) 7.4


・ 狂ほしき考(かんがへ)浮かぶ夜の町にふと燃え出づる火事のごとくに
 (森鴎外「我百首」1909、何かよからぬことを思い立ち、それが自分でも恐ろしいのだろう、夜の町に「ふと燃え出づる」火事という喩えがうまい、でも「狂ほしき考えとは何なのか、それは分からない) 7.5


・ 何事をかたるとなしに玉くしげふたりあるよはものもおもはず
 (樋口一葉、1892年、朝日新聞の小説記者、半井桃水に小説指導を受けた20歳の一葉は、桃水に恋をした、桃水は31歳で美男、独身、彼の「隠れ家」(=仕事場)に一葉は通った、一葉日記は彼に対する熱い思いが書かれている、「玉くしげ」は「ふたり」に掛る枕詞) 7.6


・ 日の道や葵(あふひ)傾く五月雨(さつきあめ)
 (芭蕉1690、「日の道」とは太陽の通る道、黄道のこと、梅雨空の下に咲く立葵はとても美しい、「梅雨はまだ明けないが、立葵が傾いているあのあたりの空に、きっと太陽があるのだろう」、芭蕉らしい凝ったつくりで立葵の美しさを詠む) 7.7


・ 蓮の香や水をはなるゝ茎二寸
 (蕪村、「蓮の花が、水面から離れすぎずに、ちょうどいい具合に、二寸ばかり(6センチ強)の茎の上に咲いている、そこから蓮の花のよい香りが漂ってくる」、微細な観察が素晴らしい、「水を離るる」のは、茎、花、香りの三者) 7.8


・ 曲家(まがりや)の籬(まがき)木槿の咲きみちて
 (山口青邨、「曲家」とは上から見たときL字形になっている家屋のこと、ムクゲは秋の季語だが、夏から秋にかけて白い美しい花を咲かせる、我が家の近所でも咲き始めた)  7.9


・ 菅(すが)の根のねもころ君が結びてし我が紐の緒を解く人はあらじ
 (よみ人しらず『万葉集』第11巻、「貴方が、すがの根のようにねんごろに心を込めて結んでくださった私の下着の紐、この紐を解く人は貴方の他にはいません、だのになぜ来てくださらないの」)  7.10


・ 人の身も習はしものを逢はずしていざ試みむ恋ひや死ぬると
 (よみ人しらず『古今集』巻11、「ああ、貴女が恋しくて恋しくて、僕は死んでしまいそうです、でも、ある状態が続けば人はそれに慣れるとも言います、だから試してみます、この苦しさが続けば慣れてしまうものかどうか」)  7.11


・ わが恋は荒磯(ありそ)の海の風をいたみしきりに寄する波のまもなし
 (伊勢『新古今』巻11、「私の恋は、こんなにも激しく心が波立っています、吹きすさぶ風によって波が途切れない荒磯のように、次から次へと涙が溢れ、止まらないのです」) 7.12


・ バスの棚の夏帽のよく落ること
 (高濱虚子1943、昔は道路の舗装も悪く、バスはよく揺れたのだろう、麦藁帽のような大きな夏帽子だろうか、棚に置いたのがよく落ちてしまう、最近のバスには棚はないが、昔はあったのだろう) 7.13


・ 浴衣着て素肌もつとも目覚めけり
 (古賀まり子、ふだんあまり着ない浴衣を身に着けると、肌の接触感が敏感になる、「素肌もつとも目覚めけり」が上手い、最近は花火大会など夏によく浴衣を見かける、彼女たちはきっとこういう経験をしているのだろう) 7.14


・ あらはなる脳うつくしき水着かな
 (高山れおな、俳誌「豈」32号・2000年5月、清水哲男氏によれば、ビキニの水着が「肌もあらわに」を越えて、もはや「裸に近い」とショックを与えたのは昔々のこと、作者はそれを「あらわな脳」と形容した、脳は欲望と快楽の器官だ、「脳」の後でいったん切って読む) 7.15


・ ポン・ヌフに初夏(はつなつ)の風ありふれた恋人同士として歩きたい
 (俵万智『チョコレート革命』1997、恋人と一緒にパリのポン・ヌフ橋のところにやってきたのだろう、嬉しくて嬉しくて、舞い上がってしまいそう、でも、だめだめ、「ありふれた恋人」のようにさりげなく歩かなくちゃ) 7.16


・ どうしてこの人なんだろう もつれたる風草(かぜくさ)の辺にともにしゃがむよ
 (江戸雪『百合オイル』1997、恋人だろうか夫だろうか、なんかうまくいかないことがあったのだろう、失望して二人一緒に、道端のさえない雑草の脇にしゃがみ込んでしまう、たぶん二人はそれぞれ相手を「どうしてこの人なんだろう」と思ったのだろう、「ともにしゃがむよ」に味がある) 7.17


・ われは汝の恋人なりや コップのそとの水滴著(し)るき
 (沖ななも『衣装哲学』1982、彼氏と喫茶店で向き合っているのだろう、もう明らかに関係に亀裂が入ってしまっている、二人とも飲み物にはまったく手を付けないで黙っている、水滴だけがグラスにたくさん付いてゆく) 7.18


・ からだの端を雲に結んであるやうな歩き方して夏日のふたり
 (荻原裕幸「朝カル短歌講座」2017、「からだの端を雲に結んである」って、どんな具合のことなのだろう、夏帽子をかぶった恋人同士が、ふわりと浮きあがるような感じで歩いているのか、面白い表現) 7.19


・ 夕焼より濃き煙草火をわがものに
 (金子兜太『少年』、1940年頃の作品、旧制高校時代の作者は俳句を作り始めたばかりだった、夕焼けが広がる中、煙草の火を誰かからもらったのだが、小さな煙草火の一瞬の輝きをうまく捉えている) 7.20


・ ガソリン缶青野を転(ころ)がし転がし来る
 (山口誓子1938、野原が素朴な飛行場になっており、戦闘機が着陸した、するとさっそく、給油するために「ガソリン缶」(ドラム缶?)が転がされながらやってくる、給油車などない、舗装もしていない滑走路だけの簡易「飛行場」) 7.21


・ 蟻地獄かく長き日のあるものか
 (加藤楸邨『颱風眼』1940、楸邨は「蟻」の句をたくさん詠んだ、アリジゴク(=ウスバカゲロウの幼虫名)は穴を作ってそこに落ちる蟻を待ち受ける、蟻はもがいて出ようとするがなかなか出られない、おそらくこの句は、何か苦しい仕事をしている自分を蟻地獄に落ちた蟻にたとえているのだろう) 7.22


・ 求愛の翡翠(かはせみ)小魚くはへきて
 (松本澄江『櫻紅葉』2005、カワセミは水辺に住む美しい鳥で、渓流などで見られる、求愛給餌と呼ばれる行動をし、オスが小魚をメスにプレゼントすることによって求愛する) 7.24


・ 行水(ぎやうずい)とシャワーの違ひ知る臍(へそ)ぞ
 (増山山肌(さんき)『知命の譜』2001、作者は80歳、まだシャワーなどなかった子供時代は行水し、今はシャワーをあびているのだろう、「自分のこの臍」は両方を知っている、と) 7.25


・ 毛虫の季節エレベーターに同性ばかり
 (岡本眸『朝』1961、デパートのエレベーターに乗ったら女性客ばかりだったのだろうか、「毛虫の季節」(=夏)というのがとても可笑しい、女性である作者がエレベーターの中の同性を鬱陶しいと感じたのだろうが、こんな風に言われては「毛虫くん」がかわいそう) 7.26


・ 母との距離がプールの広さ浮輪の子
 母との距離がプールの広さ浮輪の子  (長嶺千晶『夏館』2003、プールの中で幼児が浮輪に乗ってお母さんと一緒にいる、浮輪がお母さんから離れると、子どもはとても不安な表情を見せる、だから1mも離れられない、これじゃ、大きなプールも小さなプールも同じだね) 7.27


・ まづ頼む椎の木もあり夏木立
 (芭蕉1690、「いやぁ、奥の細道の長旅はつらいよ、この庵に着いてみると、涼しそうな夏木立がとてもいい、頼もしそうな大きな椎の木もあるんだ」、初句「まづ頼む」が印象深い、ほっとしたのだろう) 7.28


・ 夏山のかげをしげみや玉鉾の道ゆき人も立ちとまるらん
 (紀貫之拾遺和歌集』、「夏山のあの木陰はよく茂っているなぁ、道行く旅人たちは、きっとあそこで立ち止まって涼んでいくのだろう」、現代でも夏の日差しの強い日には、大きな木陰は、影も濃く、ぐっと涼しい) 7.29


・ 時鳥(ほととぎす)汝(な)が鳴く里のあまたあればなほうとまれぬ思ふものから
 (よみ人しらず『古今集』、「ほととぎすくん、君の鳴き声はとてもいいんだけど、あっちでもこっちでも鳴かれると、少しうっとうしくなっちゃうよ、いやね、君が好きなことに変りはないんだけどね」、『伊勢物語』では、この歌の、ほととぎすを女に、里を彼女に出入りする男に見立てて、女の浮気を嘆いた) 7.30


・ わがやどの垣根に植ゑし撫子(なでしこ)は花に咲かなんよそへつつ見ん
 (よみ人しらず『後撰和歌集』、「うちの垣根に植えた可愛い撫子、早く花が咲いてほしいな、咲いたら君だと思って眺めるんだ」、撫子は「撫でし子」だから、彼女はまだ少女なのだろう、家持に似た歌がある) 7.31