今日のうた76(8月)

charis2017-08-31

[今日のうた] 8月ぶん


(写真は坪野哲久1906〜88、妻の山田あきと長男と、1938年ごろか、アララギ派から出発しプロレタリア歌人となる、初歌集『九月一日』(1930)は発禁となり、戦前は何度か投獄された、戦後も一貫して人民短歌の立場にたち、「赤旗」短歌選者をつとめた、1972年読売文学賞)


・ 天の河消ゆるか夢の覚束(おぼつか)な
 (夏目漱石1910、夢の中の天の川が消えるのか、それとも、霧や薄雲で天の川が消えかかるのが、夢のような光景なのか、どちらにしても、銀河系の中にいる我々が内側から銀河系を見るのだから、どこか夢のようなところがある) 8.1


ドン・ジュアンの血の幾しづく身のうちに流るることを恥ずかしとせず
 (九鬼周造「巴里心景」1925、パリ留学中の九鬼はペンネームで短歌を『明星』に発表していた、死後に本名で歌集が出版された、この歌では、自分をナンパ師の総帥ドン・ファンに喩えている) 8.2


・ 撫子や堤ともなく草の原
 (高濱虚子、『枕草子』に「草の花は、なでしこ、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし」とある。外来種と国産の両方あったのか、虚子のこの句では「堤ともなく草の原」がいい、なでしこの美しさがもっとも生きる場所だ) 8.3


朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ
 (日野草城、「おもひを遂げし」がとてもいい、アサガオは早朝から力一杯咲くので、昼過ぎには力尽きてしまうのだろうか、アサガオの花は、厚味が少なく、広さは大きいので、水分の保持が難しいという) 8.4


原爆の日の洗面に顔浸けて
 (平畑静塔、広島への原爆投下は午前8時15分だった、別の年だろうが、8月6日、ちょうどその時間に作者は洗面器に水を満たして洗顔している、そして、しばらく洗面器の水の中に顔を沈めたままにしているだろう、祈りのように) 8.6


・ 滝落ちて群青(ぐんじょう)世界とどろけり
 (水原秋櫻子『帰心』1954、熊野の那智の滝を訪れたときのもの、「群青」はもともとは絵具や印刷に使う顔料の名称で、鮮やかな藍色をしている、滝の下部から滝壺のあたりを「群青世界とどろけり」と雄大に詠んだ) 8.7


・ 野分中(のわきなか)月は光を得つつあり
 (富安風生、台風のさ中に、ちょうど台風の目の位置になった、空が晴れつつある、雲に遮られていた月の光がどんどん増してくる、今日8月8日は満月) 8.8


・ 夕暮れにがうがうと鳴る夏樫よ身を揉みて欲(ほ)るものがあるか夏樫
 (米川千嘉子『夏空の櫂』1988、新婚の頃の歌、夫のいる東大本郷の構内か、強風で身をよじるように「がうがうと」鳴る夏樫の大木、夫婦の姿を重ねているのだろう) 8.9


・ 薔薇好きのわれにつぶやく薔薇のあり「いいことたくさん教えてあげる」
 (松平盟子『プラチナ・ブルース』1990、離婚を前にした作者の辛い時期、苦しい歌が並んでいる、この歌は、単独で読めば楽しい歌にも見えるが、むしろ悲しみの歌、[山籠りのため、「今日のうた」は明日から少し休みます]) 8.10


・ 人の身も恋には代へつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ
 (和泉式部後撰和歌集』、「私のこの身も、燃え上がる恋のために、あの夏虫と体を取り換えてしまったのね、夏虫が灯火に飛びこんで燃えるようには、はっきり見えないだけ」、この場合は「夏虫」は螢ではなく蛾であろう) 8.19


・ 夢のうちに逢ひ見んことをたのみつつ暮らせる宵は寝ん方もなし
 (よみ人しらず『古今集』、「夢の中でなら貴女に会えるんだと、それを楽しみに床についたのですが、ひょっとして夢の中でも会えなかったらどうしよう、と不安になって、眠ることができませんでした」、非モテ男性の自虐的な歌というわけでもないだろう) 8.20


・ あやしくも厭ふにはゆる心かないかにしてかは思ひ絶ゆべき
 (よみ人しらず『後撰和歌集』、「ふしぎなことに、貴女に冷たくされればされるほど、僕の心はますますはやり、燃えてくるのです、ああ、どうしたら貴女への思いを断つことができるのでしょう、どうしてもできません」) 8.21


・ 向日葵(ひまはり)をきみは愛(を)しめり向日葵の種子(たね)くろぐろとしまりゆく頃ぞ
 (坪野哲久、1939年頃の作品、作者1906〜88はプロレタリア歌人同盟を結成し「短歌前衛」を創刊、何度も投獄され苦難の時を過ごした、この歌は愛妻歌だろう、「きみ」は妻でやはりプロレタリア歌人の山田あきか) 8.22


・ ふんどしをぜひなくしめる暑い事
 (『誹風柳多留』、「あまりに暑いので素っ裸でいたら、お客が来ちゃったよ、あわててふんどしを締めた、ほんと、こんなとき来ないでほしいよ」、江戸時代、真夏の暑いとき、庶民は家の中でけっこう裸でいたようだ) 8.23


・ 団扇(うちわ)ではにくらしい程たゝかれず
 (『誹風柳多留』、「男にからかわれた若い娘が、「何よ、ひどいわ」と持っている団扇で男を叩くのだが、団扇じゃちっとも痛くないので、男は笑っている」、川柳にはセクハラが良く出てくるが、それか) 8.24


・ 死顔の美しさなど何としよう
 (時実新子、作者1929〜2007は川柳作家として名高い人、この句は若い時のもので、「ずっと先のことだけど、私も死ぬんだ、そのときは美しい死顔で死にたいな、でもそのために今どうすれば? どうしようもないじゃん」、「何としよう」が効いている) 8.25


・ にんげんの赤子(あかご)を負へる子守居(を)りこの子守はも笑はざりけり
 (斉藤茂吉『赤光』、昔はよくあった光景で、小学生くらいの姉が赤ん坊の弟か妹をおぶって子守をしている、赤子は動物的に見えるから「にんげんの」と言ったのか、子供なのに姉も「笑わない」、凄みのある暗い歌だ) 8.26


・ 健やかにいましたまひて火のごとく言葉かがよひし頃をぞ思ふ
 (佐藤佐太郎1953、師の斉藤茂吉が死去した時の歌、茂吉の全盛期の頃は、短歌だけでなく、歌会でのコメントで茂吉の口から洩れる言葉は、「口から白銀の線が放射するようだった」と誰かが書いていた記憶がある) 8.27


・ ゆるびたる時計のねぢを巻きて眠るなほいのちある明日をたのみて
 (上田三四二『湧井』1975、医者である作者はガンを病み、何度か入退院を繰り返した、この歌は手術の後、まだ病室で詠んだもの、手術は成功したのだろう) 8.28


・ 紅芙蓉色淡く咲き濃ゆく散り
 (星野立子、芙蓉の花はサイズが大きくて美しい、朝に開いた時は薄いピンクだったものが、夕方にはやや色が濃くなってしぼむ、今、私の隣家の芙蓉が大きく開いている) 8.29


・ 修行者(すぎやうざ)の径(こみち)にめづる桔梗(ききやう)かな
 (蕪村「遺稿」1778頃、「黙々と歩いていた修行者が、ふと立ち止まり、小路に咲いている桔梗をじっと眺めている」、キキョウは山裾や高原に生える野草だが、風格のある美しさがある、修行者との組み合わせがいい) 8.30


・ 淡けれど黄は遠くより女郎花(おみなえし)
 (大久保橙青、オミナエシは名前が面白いからか、『万葉集』以来、和歌によく詠われているが、地味な野草である、でも小さな花が集まって咲くその黄色はよく映えて、遠くからでも目立つ) 8.31