[今日のうた] 1月1日〜31日
(写真は金子兜太1919〜、現在98歳、活躍する俳人では最古参、東京新聞の「平和の俳句」選者もつとめる、最近、朝日俳壇選者を休んでいるので健康が心配)
・ 初春の初子(はつね)の今日の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺らぐ玉の緒
(大伴家持『万葉集』巻20、「お正月の今日、玉をたくさん飾り付けた玉箒を手に取ると、玉を貫く紐がゆらゆらと美しく揺れています、貴方を想う私の心の動きのように」、みなさま、明けましておめでとうございます) 1.1
・ 元旦の光のなかに物を干し一年という時間へ踏み出す
(前田康子『色水』2006、元日の朝は、普通、洗濯をしたり物を干したりしない、それは生活そのものだからだ、しかし作者はもう元旦の朝からせっせと洗濯物を干し、そこに一年の時間の始まりを感じる) 1.2
・ 若さこそ魔のたぐひにてありけるをなんぞ破魔矢を買ふや若者
(伊藤一彦『火の橘』1982、初詣に、着飾った若者の男女がたくさんいて華やいでいる、みんな破魔矢なんか持ってるけど、でも考えてもごらんよ、君たちのその若さと美しさこそが魔を呼ぶんだよ) 1.3
・ うつくしきものは匂ひをともなひて晴着のをとめ街上を過ぐ
(上田三四二『雉』1967、正月の街を晴着を着た若い女性たちがゆく、華やいではいるが、どこかしっとりした感じの「をとめ」たち、「うつくしきものが匂ひをともないて・・」、人麻呂が詠んだ古代王朝の女官のように) 1.4
・ はつ雪や内に居さうな人は誰(たれ)
(榎本其角、作者は医師にして蕉門の江戸の人、「初雪はいいなぁ、雪見の散歩に出てみたよ、でも一緒してくれる人がほしいな、今、家の中に居そうな友人は誰だろう」、社交好きだった其角らしい句) 1.5
・ ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな
(小澤實、今は湯たんぽはあまり使われなくなったが、この句はたぶん、湯たんぽを使い終わって、朝、ぬるい水を排出した抜け殻の湯たんぽだろう、袋から取り出してむき出しになったブリキの波、何となく「あはれ」) 1.6
・ 汝(なれ)も我(われ)みえず大鋸(おおが)を押し合うや
(安井浩二1988、作者は1936年生れ、永田耕衣や高柳重信に師事、「大きな鋸(のこぎり)を両側の二人で引き合う、おが屑が舞い上がり、互いの顔も見えない」、「大鋸」は、両側に握りがあり二人で使う鋸) 1.7
・ 手を赤く染めてこぼれる光まだ包んでいたい裸電球
(山口文子『その言葉は減価償却されました』2015、蛍光灯やLEDに押されて「電球」はめっきり減ったが、手で包むと手が透明に「赤く染まる」のは、何とも言えない趣きがある) 1.8
・ 酔っちゃいない酔っちゃいないよスキップで横断歩道わたる午前〇時(じゅうにじ)
(野口あや子、作者1987〜はまだ大学生、彼氏あるいは友人たちと楽しくお酒を飲んだ帰りだろうか、いかにも若者らしい青春のうた) 1.9
・ 乞うように裸足のままで受け取ったダンボール思ったより軽くて
(鈴木晴香『夜にあやまってくれ』2016、ドアホンに気づくのが遅れて、あわてて宅急便を受け取りに出たのだろう、ダンボールはアマゾンだろうか、こういう一瞬は誰しもあるが、歌に格好の題材) 1.10
・ 手で顔を撫(な)づれば鼻の冷たさよ
(高濱虚子1949、すごく当たり前のことしか言っていないのに、なんだか可笑しい、このとぼけた感じが、俳諧の味を醸し出している、平明でシンプルな描写が即詩になる、虚子はやはり近代俳句の最高峰だ) 1.11
・ 命(めい)尽きて薬香(やくこう)さむくはなれけり
(飯田蛇笏1943、作者の父の臨終を看取ったときの句、「生きているうちは体からまだ薬の匂いがしていたのに、死んで魂が離れるとともに、匂いも「さむく離れて」しまい、匂いがしなくなった」、死の悲しみをこのように詠んだ) 1.12
・ 木(こ)がらしや東京の日のありどころ
(芥川龍之介1917、芥川は東京生まれの東京育ち、この句の「東京の日」とは、いかにも東京という都会らしい太陽という意味だろう、蕪村の「凧」の句を踏まえていると思われる、太陽はどのくらいの高さにあるのか、晴れなのか、薄曇りなのか) 1.13
・ 敷たへの衣手(ころもて)離(か)れて玉藻なす靡(なび)きか寝らむ我(わ)を待ちかてに
(よみ人しらず『万葉集』巻11、「君と共寝した袖も離ればなれになっちゃったけれど、君が僕を待ちかねて、玉藻がなびくように美しい黒髪をなびかせて寝ている姿が思い浮かぶよ」) 1.14
・ 君をのみ思ひ寝にねし夢なればわが心から見つるなりけり
(凡河内躬恒『古今集』巻12、「僕が君だけをひたすら思って寝たから、君の夢を見たんだよ、君が僕を思うから君が僕の夢に現れたんじゃない、あくまで僕の心が君を夢に引き寄せたんだ」、彼女を恨んでいる歌、躬恒らしい理屈っぽさ) 1.15
・ 頼めおかむたださばかりを契りにて憂き世の中の夢になしてよ
(藤原定家の母『新古今』巻13、「ええ、「後の世」ならばお受けしますと、お約束します、貴方との関係はそれだけということで、これまでのお付き合いは現世の夢と思ってください」、再婚して藤原俊成の妻となる前の歌、この時点では俊成の求婚を断っている) 1.16
・ 冬ばらの蕾の日数重ねをり
(星野立子、冬ばらは、蕾を付けた後も、寒かったり霜が付着したりで、なかなか花が開かない、他の季節とは違ったこの「遅さ」を詠んだ句) 1.17
・ 点眼も日常となりポインセチア
(金子兜太1919〜、作者の眼が疲れやすくなった頃の句か、冬の室内によくあるポインセチアは、その赤が美しい、点眼が終るたびにポインセチアを眺めるのだろう) 1.18
・ ひうひうと風は空ゆく冬ぼたん
(上島鬼貫1660〜1738、冬牡丹の花は、霜を防ぐために藁の覆いを付けることが多い、上空はひゅうひゅう寒風が吹いているのに、覆いの下では赤い冬牡丹が美しく咲いている) 1.19
・ 悴(かじか)みて己のことのほか知らぬ
(中杉隆世、手足の先が冷えるのはことのほか辛いものだ、そこばかり気になって、何をやっても気が散ってしまう、今日は大寒) 1.20
・ 人を待つ優しさとなりキャンパスの公衆電話に灯のともりそむ
(安藤美保『水の粒子』1992、在学したお茶大構内だろう、以前は公衆電話のボックスがどこの大学にもあった、夕暮れになって灯がともる、まるで電話を掛ける人が来るのを待っているかのように優しい電話ボックス) 1.21
・ 電燈に照らされ片頬熱き日よ冷たき方で誰を憎まん
(吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、作者は20代前半、彼氏とうまくいかなくなった頃の歌、夜、電球スタンドに顔を近づけて勉強しているのだろう、反対側の頬は冷たい、いろいろな感情が交錯して勉強に集中できない) 1.22
・ 思ふこと雪の速さとなりゆけり
(片山由美子、「久しぶりに雪が降ると、何度も窓の外を眺めてしまう、なんだか雪の落下速度が速くなった気がする、せわしく追い立てられるように、自分の思考も速くなっていくみたい」、昨日は我が家のあたりもかなり降った) 1.23
・ スケートの濡れ刃携へ人妻よ
(鷹羽狩行『誕生』1965、作者1930〜の代表作の一つ、作者が中学生のころ片想いだった同級の女生徒が、今は美しい人妻になっているのか、話しかけたいけれど、彼女の手にはスケートの刃の水が光っていて、隣りに夫もいるので、昔のようにただ眺めるしかない)1.24
・ 冬深し柱の中の濤(なみ)の音
(長谷川櫂、冬の寒い日、家の中はとても静かなのだろう、何の物音も聞こえない、作者は柱に耳を押しつけてみる、すると遠い「濤の音」のような、耳鳴りのような、あるいは心臓の鼓動か呼吸音のような、何か音が聞こえる) 1.25
・ 暗き地にひとりを抱きよぢれつつはかなき腕よこのまま折れよ
(小野茂樹『羊雲離散』1968、歌集の初めの方なので、作者も彼女もたぶん高校生、公園の暗がりで彼女を力一杯抱きしめているのだろう、自分の腕の力が足りないことを痛切に感じる、「ひとりを抱き」が卓越) 1.26
・ 期待した結果はなかった。だから、そう。『前のページに戻る』を押すの
(甘蛙・女・17歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「ディスプレイ上の動作がこのように言葉にされることで一種の比喩に見えるというか、それ以上の二重性を帯びてくるようです」と、穂村弘評) 1.27
・ 花嫁と花嫁鉢合わせしないよう移動ルートあり。本日、大安
(鈴木美紀子・女・51歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、大きな結婚式場だろう、「幸福な一日の敵は意外なところにいたんですね。「大安」だけに「本日」の「移動ルート」は複雑さを増していそうです」と穂村弘評、今日は大安) 1.28
・ うわ やばい 取っ手に指が入らない ここ高級な喫茶店じゃん
(関根裕治・男・43歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、「「取っ手に指が入らない」が素晴らしい。お店の雰囲気やメニューや値段ではなく、ただその一点で「高級」であることに気づくなんて。しかも「やばい」んだ、と穂村弘評) 1.29
・ 火のけなき家つんとして冬椿
(一茶、たぶん誰かの家の中に通されたのであろう、まだ火鉢の火もない寒々とした室内、冬椿が「つんとした」感じで活けてある、椿だけでなく、この家の主人も「つんとした」感じの人なのだろうか) 1.30
・ 洗ひ上げ白菜も妻もかがやけり
(能村登四郎、「大きな立派な白菜を妻が洗い上げて、ふうっと一息ついている、白菜の白さが輝いているだけでなく、妻も美しく輝いている」、短歌と違って俳句ではなかなかむずかしい愛妻句) 1.31