今日のうた83(3月)

charis2018-03-31

[今日のうた]3月1日〜31日


(写真は長塚節1879〜1915、正岡子規とともに『アララギ』を創刊、長編小説『土』でも名高い)


・ おのづから満ち来る春は野に出でて我が此の立てる肩にもあるべし
 (長塚節1907、「野に立っている自分の肩に春を感じる」というのがとてもいい、作者1879〜1915は子規とともに『アララギ』の創刊に携り、写生の立場に立つ歌を詠んだ、長編小説『土』もある) 3.1


春一番砂ざらざらと家を責め
 (福田甲子雄、昔の民家は今ほど気密性がよくなかったので、春一番が吹くと、隙間から室内に入った砂が、畳の上にざらざらしたりした、昨日、埼玉の私の所は風が強かったが、どうやら春一番の認定は東海地方どまりらしい、関東地方は風速が不足とのこと) 3.2


・ 厨房に貝があるくよ雛祭
 (秋元不死男『街』1940、雛祭りにはハマグリの吸い物を食べたりする、作者1901〜77は戦前の新興俳句運動を担った一人で検挙された、庶民的な句を詠み、貧乏ながら雛祭りにハマグリを買ったのか、「あっ、台所でハマグリが歩いているぞ!」と嬉しさが溢れる) 3.3


・ 夜の窓にありありとわが映りゐてわれの独りのこころも映る
 (上田三四二『雉』1967、「ある晩、自分の顔が窓ガラスに映った、とても寂しい顔をしている、自分の心が映っているんだな」、医師として東京の清瀬にあった国立療養所東京病院に勤務していた頃の作) 3.4


・ 走らねばならぬ今とぞ風受けて誰に呼ばれてゆくひとつ道
 (今野寿美『花絆』、すぐれた人格の彼氏との恋が、一歩また一歩と深まり、自分は一生この人と一緒に生きたいと思い始めた頃だろうか、「春の風」を受けて、この「ひとつ道」を「走るわ」と決意する) 3.5


・ いそいそと広告塔も廻るなり春のみやこのあひびきの時
 (北原白秋『桐の花』1913、隣家の人妻、俊子と人目を忍んで恋をしている作者、デートしたのは銀座あたりだろうか、広告塔も「いそいそと」(=うれしいので動作が調子づいて)回っている、気持ちが高揚しているのだ) 3.6


・ 疲れゐる君と知るゆゑひたすらに笑みをり君よもつと輝け
 (小島ゆかり『水陽炎(みずかげろふ)』1987、大学卒業直後くらいの時か、今日のデートで会った彼氏はとても疲れている、「ひたすら笑顔をみせて」彼の疲れを癒す作者、彼も微笑み返す、「君よもつと輝け」) 3.7


・ 映画にてやさしき鐘の響くときひそかに君を呼ばむとぞせし
 (三国玲子『空を指す枝』1954、作者は二十代、好きな人がいるのだろうか、でも今は一人で映画を見ている、きっと恋愛映画なのだろう、「やさしい鐘の響く」シーンで、思わず彼氏に呼びかけてしまいそうに) 3.8


・ 雪の峯(みね)しづかに春ののぼりゆく
 (飯田龍太『童眸』1959、南アルプスだろうか、まだ山々は雪で輝いている、しかし山裾の雪の限界がわずかに上方に移ったような気もする、「しづかに春はのぼってゆく」のだ) 3.9


・ 光堂より一筋の雪解水
 (有馬朗人『天為』1987、平泉の中尊寺金色堂だろう、まだ雪の中だが、「一筋だけ」雪解けの水が石段を流れている、春は近い、作者は物理学者、東大総長をつとめた) 3.10


・ 風や えりえり らま さばくたに 菫
 (小川双々子『囁囁記』1981、「えりえり らま さばくたに」は、十字架のイエスが述べた「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」、作者1922〜2006は胸部疾患で7年を臥し、その後カトリックの洗礼を受けた、そろそろスミレが咲く) 3.11


・ 岸もなく潮し満ちなば松山を下にて波は越さむとぞ思ふ
 (伊勢、「岸が見えないほど満ちた潮が松を超えるように、貴方は当然にも浮気するでしょう、そんな人とは私は付き合わないわよ」、失恋で傷心の作者に「僕と付き合わないなら別の女性と付き合っちゃうよ」と誘った藤原時平への返し) 3.12


・ めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半(よは)の月かげ
 (紫式部『新古今』、「幼なじみの貴女と久しぶりに会えて嬉しいわ、最初一目見たときには貴女と分らないほど長い間会えなかったわね、なのに雲があっという間に月を隠すように、貴女はすぐ帰ってしまった」、百人一首にもある美しい歌) 3.13


・ あやふしと見ゆる途絶(とだ)えの丸橋のまろなどかかるもの思ふらん
 (相模『後拾遺和歌集』、「いまにも壊れそうで危ない途絶えた丸木橋のように、貴方との関係も危くなっているのね、そのことに私はどうしてこんなにも悩むでしょう」、夫との仲が破局した作者) 3.14


・ 美しく木の芽の如くつつましく
 (京極杞陽『句集くくたち』1946、おそらく木の芽にたとえて女性を詠んでいるのだろう、作者1908〜81は元豊岡藩主14代当主だから、殿様の家系の人、おおらかな句を詠んだと言われる、我が家のモクレンの芽は蕾になって、もう開きつつある) 3.15


・卒業といふ美しき別れかな
 (清崎敏郎『安房上総』1954、作者1922〜99は虚子門下で「花鳥諷詠」の人、当時は慶応大学付属高校の教員を務めていた、そこの卒業式だろう、現在の大学では卒業式の日に羽織袴になる女子学生も多い、そうした姿を街でも見かける時期になった) 3.16


・ ない事よ桃のけふほどよい天気
 (惟然、作者1648〜1711は蕉門の人、桃の花は、曇り空の日にはその濃いピンクが美しいが、作者は、抜けるような青空のもとでこそ一層美しいことを発見したのだろう、我が家の近くでも桃の花が咲き出した) 3.17


・ 春浅し空また月をそだてそめ
 (久保田万太郎『流寓抄』1958、「そだてそめ」がとてもいい、月は新月の直後は細い糸のようで、それから毎日少しずつ太くなってゆく、今日は新月から数えて二日目) 3.18


・ 西欧の肉食(にくじき)が生む恋凄し打ち合ひて響(な)る四肢にあらずや
 (黒木三千代『貴妃の脂』1989、西欧人は肉食だから、性愛も「四肢が打ち合って響く」と作者は言う、あるいはそうなのかもしれないが、カップルによるのではないか、しかし「草食系/肉食系」という言葉も確かにある) 3.19


・ 愛欲のなべて虚しく消ゆるべきときを願ふはわが若きゆゑ
 (尾崎左永子『さるびあ街』1957、作者1927〜の20代の時の歌、付き合っていた男性と別れた作者、離婚かもしれない、まだその痛みの渦中にあって、ちょっと切れば血が吹き出すような思い、「わが若きゆゑ」が痛切) 3.20


・ 薔薇の芽と刺と睦みて雨の昼
 (鷹羽狩行、薔薇の芽が吹き出すように出てきたが、まだ伸びていないので、刺と並んでいる、それを「刺と睦む」と表現したのが上手い、そして子規の句にあるようように、薔薇の芽には「春雨」がよく似合う) 3.21


・ 下萌えの庭をながめて二階住
 (森田峠、冬のあいだ枯れているように見えた草の間から、あたらしい緑の芽が出てくるのが「下萌え」、二階から見ても、そのうっすらと緑が広がる様子が分かる、作者1924〜2013は虚子や青畝に師事した人) 3.22


・ ただ一度わが名を呼べよ奪わるるもつとも浄きものとおもへば
 (松平盟子『帆を張る父のやうに』1979、作者の恋の歌はケンカ口調のものも多い、彼氏は作者を「お前」とか「君」とかしか呼ばないのだろうか、歌集の次の歌からすると、短い時間しか会ってくれない彼氏なのか) 3.23


・ 春昼は大き盃 かたむきてわれひと共に流れいづるを
(水原紫苑『うたうら』1992、春の昼下がりに恋人と一緒にいるのだろう、太陽が明るい、「二人とも大きな盃から一緒に流れ出すお酒になってしまったような気分だわ」と、嬉しさを詠う、高度な技巧の歌) 3.24


・ 東京を蛇の目に走るさくらどき
 (渋谷道『素馨集』1991、面白い句だ、「蛇の目」とは太い環状のものを意味するから、「作者は山手線に乗っていて、あちこちに桜が咲いているのが目に入る」、と清水哲男氏は解する、たしかに走る車窓にちらちら見える桜は印象的だ) 3.25


・ やや鬱にむわっと桜かぶさりぬ
 (新間絢子、なんとなく鬱々として気分が晴れないのだろう、そういう気分でゆっくりと歩いている作者に、びっしりと咲いた桜の花が「むわっと」かぶさってきた、桜の花は、美しいばかりではなく鬱陶しいときもある) 3.26


・ 恨みずや憂世(うきよ)を花の厭ひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば
 (俊成卿女『新古今』、「散ってゆく桜の花は、散ったことを後悔しないのかしら、だって桜の花は、「こんな世の中はいやだから、もし風が誘ってくれれば、それをチャンスに散ってしまおう」と思って、自分から散るのだもの」、作者は自分を花に喩えているのだろうか) 3.27


・ さびしさに耐へつつわれの来しゆゑに満山明るこの花ふぶき
 (上田三四二『湧井』1975、吉野山で詠まれた歌だが、作者は「さびしさに耐えつつ」生きているので、山一杯に咲いた桜の花ふぶきがとりわけ明るく感じられる、人は寂しい心が慰められるから花見をするのかもしれない) 3.28


・ 春風や鼠(ねずみ)のなめる隅田川
 (小林一茶『七番日記』、江戸だろうか、小さなネズミが大きな隅田川を「なめる」という見立てがとてもいい、ほのぼのとして、いかにも春らしいではないか) 3.29


・ 花おぼろとは人影のあるときよ
 (後藤比奈夫『初心』1973、「花おぼろ」とは、桜の花が満開に咲いて、霞のようにぼおっとした感じになっているのだろう、でもそこに人も一緒に見えていないと、本当の「花おぼろ」ではないという、桜の美しさは花見=見る人と不可分なのか) 3.30


・ 初恋のあとの永生き春満月
 (池田澄子『ゆく舟』2000、作者は1936年生まれ、初恋は十代なのか、おそらく初恋の人は今の夫ではないであろう、人生でもっとも美しかった初恋、あれからずいぶんたったなぁ、と春の満月を見て思う、今日は満月) 3.31