[演劇] 演劇集団・円 『十二夜』 両国・シアターχ 4月29日
(写真右は、オリヴィア(石黒光)とヴァイオラ(石原由宇)、若い男優だがDステ版のような美少年というわけではない、下は舞台、右上の机一つを除いて舞台装置は皆無だが、服装はシェイクスピア時代風で、地味だが味わいがある)
演劇集団・円の『十二夜』を観た。円が『十二夜』をやるのは、座付演出家だった安西徹雄以来26年ぶりという。安西の没後10年になるが、今回、円の無名の演出家渡邉さつき演出で、安西訳、オールメールで行われた。非常によい舞台だった。シェイクスピアの初演時は女優が禁じられていたから、やむをえずオールメールだったが、最近の日本でも、蜷川演出版や2013年のDステ版など、オールメールも行われるようになった。ヴァイオラやオリヴィアを、時代を代表する美人女優が演じてきた20世紀の『十二夜』と比べて、オールメールだと何が違うのか、それが明確に見えるのが今回の舞台だった。その意味で、日本の『十二夜』上演史に残る名演だと思う。(写真下は、左からフェビアン、マライア(石井英明)、サー・トービー(上杉陽一)、サー・アンドルー、もう一つ下の写真は、道化(玉置裕也)とマルヴォーリオ(瑞木健太郎))
演出の渡邉さつきはプログラム・ノートでこう書いている。「男性キャストだけにしたことにより、お芝居としての現実味が少し薄れるかもしれませんが、男性が女性を演じることによって「素(性)の生々しさを超えた役」として台詞もシンプルに受け止めることができる」。なるほど、「お芝居としての現実味が少し薄れる」とは、ヴァイオラやオリヴィアが美女ではなく、またDステのような美少年でもなく、普通の男優であることによって、「一目惚れ」(シェイクスピアはすべて一目惚れから恋が始まる)にリアリティがなくなる、ということだろう。その通りである。だが今回のオールメールで、それ以上に思ったのは、『十二夜』の主人公は必ずしもヴァイオラやオリヴィアだけではないということである。トレヴァー・ナンのあの傑作、映画版『十二夜』を見た人は誰でも、『十二夜』は、このうえなく美しく切ないロマンティック・コメディーだと思うだろう。だが17世紀初頭の『十二夜』の初演時は違った。この劇の主人公はマルヴォーリオで、この劇は彼の名を冠したタイトル・ロールで呼ばれたこともあるという。今回、初めて『十二夜』を見た人は、マルヴォーリオの面白さ、可笑しさ、愛おしさに感嘆したのではないだろうか。私がこれまで見たマルヴォーリオの中でも、今回が最も素晴らしかった。そして、マライアやサー・トービーも、とても生き生きしており、こんな楽しそうな二人も珍しい。彼らは脇役なのだろうか? ある意味ではそうだが、しかし『十二夜』は主役がたくさんいるといってもよいだろう。オリヴィアも、マルヴォーリオと同じく「mad=狂気」を共有する、ちょっと変な人なのだ。ヴァイオラはどうか? 彼女だけは、美しく、完璧な女性であるように思われるが、しかし冒頭を考えてみると、船が難破して異国イリリアに流れ着いたのに、帰国を考えるでもなく、イリリアのオーシーノ公爵が独身であると聞いて欣喜雀躍し、「彼の妻になりたい!」と舞い上がるヴァイオラは、ちょっと変な女の子でもある。そう、『十二夜』の人たちは、みな、どこかちょっと変な人たちで、彼らの愛おしさこそが『十二夜』の最大の魅力である。オールメールにすることによって、主人公ヴァイオラやオリヴィアが相対化され、ロマンティック・コメディーの側面は少し削がれるが、ある意味でチェホフ的な愛おしい喜劇になるのだと思う。道化も伴奏なしで素朴に歌うのがよかった。ピーター・ブルックのような「何もない空間」が美しい。写真下↓。
練習風景ですが、動画が↓。
https://www.youtube.com/watch?v=dDavmk_YNtw