今日のうた84(4月)

charis2018-04-30

[今日のうた] 4月1日〜30日


(写真は、旧制一高時代の後藤比奈夫1917〜、父は後藤夜半、大阪大学理学部物理学科を卒業、ホトトギス系の俳人、味わいのある句を作る人)


・ うしろより見る春水の去りゆくを
 (山口誓子『晩刻』1947、「春水」とは雪解け水のこと、狭い渓流に勢いよく雪解け水が流れる、しかし「うしろより見る」と言う著者は、水の流れと同じ方向に歩いているのだ、でも水はずっと速く「去りゆく」から自分が後退するような錯覚を覚える) 4.1


・ 春昼や魔法の利かぬ魔法壜
 (安住敦『歴日抄』1965、花見だろうか遠足だろうか、まだ昼だというのに、持参した魔法壜の中はもうぬるくなってしまった、作者1907〜1988は戦後、久保田万太郎とともに俳誌「春燈」を創刊) 4.2


・ 春の灯や女は持たぬのどぼとけ
 (日野草城『花氷』1927、色っぽい句だ、「女性ののどには、男のようにごつごつした「のどぼとけ」なんかない、なめらかで美しいんだよ」、直接には「のど」を問題にしているが、春の夜に浮かび上がる女性の身体の美しさを詠んでいる) 4.3


・ 母のゐる限り仔馬に未来あり
 (後藤比奈夫『花匂ひ』1982、「仔馬」は春の季語、おそらく、生まれたばかりの小さな仔馬なのだろう、母馬とぴったり寄り添っている、今はまだ頼りなさげだけれど、これからすくすく大きくなるよ、とエールを送る) 4.4


・ われにのみ無防備となる君ありて妻なることもなかなかに楽し
 (小島ゆかり『水陽炎』1987、新婚直後のラブラブの歌、「夫は私に対してだけ無防備になる」と感じているところがいい) 4.5


・ つと肩を抱きて言はせしことも忘れずその道の隅(くま)に灯はともりゐつ
 (馬場あき子『早笛』1955、作者は20代半ば、「彼はつと私の肩を抱いて私にそれを言わせた」とは、彼に口説かれたときのことか、今また彼と一緒に同じ道の同じ所にほぼ同じ時間帯にいる作者、忘れるわけがない) 4.6


・ 背のびして唇(くち)づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして
 (中城ふみ子『乳房喪失』1954、離婚して三人の子を連れて実家に帰った作者に、新しい恋人が現れた、その青年は背が高かったのだろう、作者は歌集刊行後一か月で、乳がんで逝去) 4.7


・ 白藤のせつなきまでに重き房かかる力に人恋へといふ
 (米川千嘉子「夏空の櫂」1985、作者は大学生か、恋が始まった頃なのだろう、「白い藤の花の大きな房が、重く垂れている、まるで私に「彼をもっと強く愛しなさい」と呼びかけているかのように」) 4.8


・ 大きな門を材木で閉めるなり
 (『誹風柳多留』、紀伊國屋文左衛門が吉原を借り切って一般客を締め出したことがあった、それを皮肉っている、文左衛門は幕府御用達の材木商人だった時期があるから、「材木」だけで江戸の人は分かるのだろう) 4.9


・ 口説かれてまたすらり抜く質手代(しちてだい)
 (『誹風柳多留』、質屋に武士が刀を質入れに来た、値段を言う店員に、武士は「もっと高いはずだ」と言う、「そうですねぇ、もう一度拝見いたしましょう」と言って店員はまた刀を抜いて丁寧に吟味してみせる、士農工商だもんね、トホホだよ) 4.10


・ いも虫のやうに腰元承知せず
 (『誹風柳多留』、腰元(=そばに使える侍女)と二人だけになると、体をさわりたがる殿様は、川柳によく出てくる、しかしこの句は、腰元は「いも虫のように」体をくねらせて抵抗するのだから、かなり重度のセクハラ) 4.11


もののふの八十娘子(やそをとめ)らが汲み乱(まが)ふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花
 (大伴家持万葉集』巻14、「お寺の井戸で、乙女たちがにぎやかに入り乱れて水を汲んでいるよ、井戸の近くには美しい堅香子の花が咲いている」、「かたかごの花」は日本の短歌でここしか登場しない、賀茂真淵が「カタクリ」と解したが植物学的には分かっていない) 4.12


・ 足柄の箱根の嶺(ね)ろのにこ草の花つ妻なれや紐解かず寝む
 (東歌『万葉集』14巻、「花つ妻」は触れずに見るだけの妻、「もし君が、箱根の峰のにこ草のような花ならば、君の体に触れずに添い寝もするけれど、でも、どうしてだめなの?」、高嶺の花の美少女がいたのだろう、彼女を恨む青年の歌) 4.13


・ 梓弓(あづさゆみ)引かばまにまに寄らめども後(のち)の心を知りかてぬかも
 (石川郎女万葉集』巻2、誘った男への返し歌、「貴方が、梓弓を引くように、本気で私の手をぐいと引くなら、あるいはお誘いに乗らないでもないけど、でも貴方は一時の遊びのつもりかもしれないから、ちょっとね・・」) 4.14


・ 花みづき十(と)あまり咲けりけふも咲く
 (水原秋櫻子、ハナミズキは夏の季語だが、埼玉の我が家周辺では、だいぶ前から咲いている、この句のように、咲き始めが美しいのだろうか、ハナミズキは1915年にワシントン市から東京市に贈られた比較的新しい花) 4.15


・ 奈良七重七堂伽藍八重桜
 (芭蕉『泊船集』、すべて漢字だけの句、「七重(ななえ)」とは、奈良が七代の帝都だったから、「七堂伽藍(しちどうがらん)」とは、金堂、講堂以下の七堂を完備した寺のこと、な、な、七、八と韻を踏んでいる、今年は埼玉の我が家近くでは八重桜がやや不調) 4.16


・ 流れゆく椿を風の押しとどむ
 (松本たかし『松本たかし句集』1935、椿もそろそろ終りで、花が川に落ちて流れてゆく、でも桜の花びらとは違って、椿の花はぼてっと厚味がある、川下からの風を受けて、水に激しく抵抗しているように見える) 4.17


・ 首長き鳥を飼ひたし首なでてソファーのうへで春夜更かして
 (睦月都『十七月の娘たち』2017、作者1991〜は2017年に角川短歌賞を受賞、「かばん」所属、「首長き鳥」とは実在の鳥だろうか、それとも架空の鳥か、ソファーの上で首をなでて可愛がれる、そんな鳥がほしい、と) 4.18


・ 朝のお尻をぐっと落として加速する西鉄バスはけやき通りに
(竹中優子『角川短歌』2018年3月号、作者1982〜は2016年に角川短歌賞を受賞、「お尻をぐっと落として」がうまい、満員のバスは、ディーゼルエンジンを一杯にふかしているが、なかなかスピードは上がらない) 4.19


・ 自らのまわりに円を描くごと死んだ魚は机を濡らす
 (佐佐木定綱「魚は机を濡らす」2016、作者1986〜は2016年に角川短歌賞を受賞、父は佐佐木幸綱で兄も歌人、この歌は「まわりに円を描くごと」という描写が上手い) 4.20


・ うごくとも見えで畑(はた)打(うつ)男哉
 (向井去来、「春の昼さがり、畑が遠くまで広がっているいるなぁ、あっ、あんなに遠いところに農夫がいる、鍬を打っているのか、体を休めているのか、それも分からないくらい遠い」) 4.21


・ 傾城(けいせい)の賢なるは此(この)柳哉
 (榎本其角、「傾城(=遊女)たちは、体や立ち居振る舞いが柔らかく、言葉も滑らかで、対人関係の達人だ、こういうのを賢いって言うんだなぁ、ここに生えている柳が自由に風にそいでいるのになんか似ている」、遊郭の柳の木の傍で詠んだか) 4.22


・ 白つゝじまねくやう也(なり)角櫓(すみやぐら)
 (服部嵐雪、「角櫓」は城の隅にある櫓、かなり古くからある城なのだろう、「隅櫓の周りに白つつじがたくさん咲いて揺れている、それが人の姿のようで、人を手招きしているように見える、昔、戦いで兵士たちが死んだあたりだ」) 4.23


・ 独楽(こま)は今軸かたむけてまはりをり逆らひてこそ父であること
 (岡井隆『禁忌と好色』1982、息子と父が一緒に独楽遊びをしているのだろう、軸が傾きながら回り続けている独楽に自分を喩えているのか、「逆らひてこそ父であること」に、自分が父であることの苦渋がみえる) 4.24


・ 小市民のしあわせなどに遠くわれが見ており菜屑うかべし河口
 (寺山修司『空には本』1958、「遠い」を「遠く」という連用形にして、いったん切れる、「われが見ており」を挟んで、独立した三つの要素を取り合わせた俳句的な作り、それが不条理な感じを生みだしている) 4.25


・ はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を賣りにくる
 (塚本邦雄『日本人霊歌』1958、生命保険とは、「遠い死を売る」商売だ、我々は自分の死を差し出す代償として、支払った金額より多い金額を受け取る。だが、保険屋が「ひたひを光らせて」やって来ると、悪徳商人のように見えてしまう) 4.26


躑躅(つつじ)わけ親仔の馬が牧に来る
 (水原秋櫻子、「ツツジの丈の低い群落があって、手前は牧場になっている、そのツツジの群落をかき分けるようにして、馬の親仔が牧場に入ってきた」、秋櫻子らしい優美な句) 4.27


・ 花あやめ五歩にも足らぬ橋渉る
 (中村苑子、幅が1メートル足らずの小さな流れの傍らに、アヤメの花が咲いているのだろう、その流れに掛かる小さな橋を渡る作者、「五歩にも足らぬ橋」によってアヤメの美しさが際立つ) 4.28


・ やはらかし風が若葉を通る音
 (上野章子、4月ももう終わる、若葉が美しい季節になった、若葉は薄緑色に輝いているが、葉はまだ薄く、柔らかい、だから風にそよぐ音も「やはらかし」) 4.29


・ あの新樹この新樹ゆれ椅子にあり
 (上野章子、昨日は同じ作者の「若葉」の句だった、季語の「新樹」は「若葉」と同じ意味だが、「若葉」がズームアップで捉えるのに対して、「新樹」は少し離れて遠景から捉えている、椅子から「新樹のゆれ」を眺めている作者) 4.30