K.ワーグナー演出 ベートーヴェン『フィデリオ』

charis2018-05-30

[オペラ] K.ワーグナー演出 ベートーヴェンフィデリオ』 新国立劇場 5月30日


(写真右は舞台、上下に移動する階層構造によって、地下の牢獄と地上を同時に表現する、上は少女マルツェリーネ、下は獄中のフロレスタン、写真下は[ネタバレになるが]結末の改作を示すもの、レオノーレの右腹部と、フロレスタンの左腹部に血が付いている、二人とも刑務所長ピツァロに刺され瀕死の状態、すぐ後に右端の十字架のところの墓に横たわって死ぬ)

ワーグナーのひ孫にあたるカタリーナ・ワーグナーの演出で話題になった上演だが、まさかの改作にびっくりした。原作とは違い、レオノーレとフロレスタンは解放されるのではなく、ピツァロに刺されてともに死ぬ。ピツァロは変装してうまく立ち回り、最後に、解放されたかに見えた囚人たちは再び牢獄に閉じ込められて終幕。歌と音楽は原作通りだから、物語の改作は、第二幕途中にレオノーレ序曲第3番が長く演奏され、その間にパントマイムで進行する。ピツァロがブロックを積み重ねて牢獄を密閉し、死んだ二人を中に閉じ込める。その少し前に墓を掘るシーンがあるが、原作ではレオノーレとロッコが掘るのだが、舞台ではフロレスタン自身が掘っている。歌詞と合わないので、私は、どうも変だなと思ったのだが、次にこの墓に二人が死んで入るわけだ。最後、原作では囚人たちが解放され、その中でレオノーレがフロレスタンの手の鎖を外すシーンは、この上演では替え玉が行う。フロレスタンに変装したピツァロと、レオノーレのドレスを着た別人の女性が鎖をはずすのだが、この時、本物のフロレスタンとレオノーレは、すでに牢獄で死んいる。そして、解放された囚人たちは一瞬の後には、再び檻の中にいて終幕。見ている私は何がどうなっているのか分からず、混乱したが、どうやら、鎖外しや囚人の解放は我々の幻想・幻影でしかなく、こちらこそが21世紀の現代世界の閉塞状況を表わすリアルな状況なのだというのが、K.ワーグナーの改作の主旨らしい。(写真下は、レオノーレと、刑務所長ピツァロ)


たしかに原作の、大臣が突然やってきて二人と囚人たちが救出されるという「機械仕掛けの神」ふう解決は、19世紀のオペラの物語としては不自然な展開ではある。しかし『フィデリオ』は、「夫婦愛」だけでなく「人類愛」「正義」「自由」が主題なのだから、二人が死んでしまい囚人たちも解放されないというのでは、非常にまずいのではないか。悲劇にしてもカタルシスがなく、不快な感情が残る。とはいえ、歌手も音楽もとても良かった。ベートーヴェンの音楽には「崇高な美しさ」があり、『フィデリオ』は第9とどこか似ている。フロレスタン役のステファン・グールドと、レオノーレ役のリカルダ・メルベートは、どちらもワーグナー歌いだけあって、声量と張りのある声の美しさは格別だ。指揮は、これで芸術監督を退任する飯森泰次郎。(写真下は、冒頭、楽しく遊ぶ少女マルツェリーネ、第1幕最初は、少しコミカルで、楽しく明るい美しさがあり、私は好き)

フロレスタンがピツァロに刺される衝撃のシーンを含む動画がありました↓。
https://www.youtube.com/watch?v=kMFENTqwH1o