今日のうた(90)

charis2018-10-31

[今日のうた] 10月ぶん


(写真は高野素十1893〜1976、虚子の高弟の「4S」の一人、簡素で即物的な句を特徴とする、血清学、法医学を専門とする医学者でもあり、新潟医大学長などをつとめた)


・ 野分やんで人ごゑ生きぬこゝかしこ
 (原石鼎1886〜1951、「台風の通過中は、みんな声をひそめていたが、どうやら行ってしまったようだ、あちこちで人々の話す声が明るく、生き生きとしてくる」) 10.1


・ いまわれはうつくしきところをよぎるべし星の斑(ふ)のある鰈(かれい)を下げて
 (葛原妙子『葡萄木立』1963、カレイという魚は星のように白い点々とした模様がついている、作者はカレイを買って家に帰る途中なのだろう、たぶん夜空の満点の星の下を) 10.2


・ もし馬となりゐるならばたてがみを風になびけて疾(と)く帰り来(こ)よ
 (大西民子『雲の地図』1975、作者1924〜94の同居していた妹は1972年に亡くなった、きっと彼女は馬が好きな人だったのだろう、あるいは、毎朝、長髪をたなびかせてさっそうと出勤していたのだろうか) 10.3


・ 壺とわれ並びて佇てる回廊に西陽入りきてふたつ影伸ぶ
 (睦月都「十七月の娘たち」2017、作者は「かばん」所属、2017年に26歳で角川短歌賞を受賞、どこか広い寺院かそれとも美術館だろうか、「ほとんど人がいない西陽のさす「回廊」に、壺と私の長い影が並んで映る」、美しい歌だ) 10.4


・ 稲秋や馬車に遅れて人力車
 (池内たけし、作者1889〜1974は虚子の甥で「ホトトギス」の俳人、「秋の稲刈りの日、刈り取った稲をたっぷりと積んだ馬車がゆく、そして少し遅れて、やはりたっぷりと積んだ荷車を人が曳いてゆく」) 10.5


・ 提灯にてらさるゝ柿もぎにけり
(いつ美、ふつうは柿をもぐのは昼間だが、急に食べたくなったのだろうか、夜中に、庭の柿の木からもいだのだろう、提灯の光に照らされた柿が浮かび上がる、虚子編の古い歳時記にある句だが、作者については分からない) 10.6


・ 我が戀は林檎の如く美しき
 (中川富女、作者1879〜?は金沢生まれの人、少女時代の句だろう、恋人である四高生、竹村秋竹を追って東京に出た、大変な美女だったらしく、子規は彼女を「行かんとして雁飛び戻る美人かな」と詠んだといわれる、また河東碧悟堂も彼女に恋をしたという) 10.7


・ 天渺渺(べうべう)笑ひたくなりし花野かな
 (渡辺水巴、「渺渺」とは果てしなく広がっていること、「青空が果てしなく広がる秋の野原に、草花がたくさん咲いている、地味だけれど、美しい、思わず笑いたくなってしまう」、「笑ひたくなりし」が意表をついて卓越) 10.8


・ 稲刈るや水にうつりてたゞ一人
 (高野素十、昔は田にかぶさるように腰をかがめて、手で稲を刈っていた、だからこういう光景が生じるのだろう、現代はコンバインで一気に刈り取ってしまう) 10.9


・ 妻がゐて子がゐて孤独いわし雲
 (安住敦、「いわし雲」は秋の季語で、空の高層に多数の白い点々とした雲の群れがいわしの群れのように見える、いわし雲を見上げると、ひとは少し感傷的で反省的になる、「妻もいるし子もいるのに、なぜか自分は孤独だ」と) 10.10


・ 白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり
 (高野公彦『汽水の光』1976、「夜の公園に白い霧がたちこめている、自転車が一台、置き忘れられている、ハンドルがしっとりと濡れて、まるで翼のようだ、雲の中を飛んでいるんだね」) 10.11


・ 森の時間棄てたる者の裔(すえ)として家族は木の実灯の下に食む
 (三枝昂之『太郎次郎の東歌』1993、縄文式時代、照葉樹林の日本列島下、私たちの祖先は「森」に棲み、木の実を集めて食べていた、今、末裔の私たちは、森を出て町に住み、電灯の下で栗の実など木の実を食べる) 10.12


・ 旅を思ふ夫の心!/叱り、泣く、妻子(つまこ)の心!/朝の食卓!
 (石川啄木『悲しき玩具』、『悲しき玩具』は1912年6月、啄木の死去2か月後の刊行、啄木27歳、書名は彼の歌論の「歌は私の悲しい玩具である」から、この歌も、家族と一緒にいても心はバラバラであることが分る) 10.13


・ 物干にのび立つ梨の片枝かな
 (広瀬惟然1648〜1711、作者は蕉門の一人、昔は何本も物干し棹を高々と横に掛けて、そこに洗濯物を干したのだろう、ちょうどそこへ梨の樹の横枝が一本伸びてきてしまった) 10.14


・ 渡り鳥仰ぎ仰いでよろめきぬ
 (松本たかし、「渡り鳥が空高く飛んでゆくのはいいな、つい見上げて、見とれてしまう、おっと、上ばかり見ているのでちょっとよろめいちゃった」) 10.15


・ 火美し酒美しやあたゝめむ
 (山口青邨、「温め酒」は秋の季語、この句は「火美し」と始まるのがいい、火鉢の炭の火だろうか、たしかにお燗がうまい時期になった) 10.16


・ 朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし並(な)みよろふ山
 (斎藤茂吉『あらたま』、1917〜21年、茂吉は現在の長崎大学医学部教授を務めた、「朝の長崎港、停泊する汽船の汽笛が、町の周囲を取り囲む山々にこだまして、響きが長く続いている」、「並みよろふ」は茂吉の新造語) 10.17


・ 紅葉の山のしづくに潤ひて岩はゆくてにしばしば光る
 (佐藤佐太郎1972、『開冬』所収、「山の全体が美しく紅葉している、その中をゆっくり歩いていると、しばしば黒々と光る岩が現れる、まるで山のしづくに潤っているみたいに光る」)10.18


・ 連なりて移りつつゐるあるかなき条雲(すじぐも)はみな夕茜せり
 (上田三四二『湧井』1975、「あるかないか分からないほど細いすじ雲が、連なってゆっくりと場所を変えてゆく、どの雲も夕日を浴びてしっかり茜色になった」)10.19


・ ひさかたの月の桂(かつら)も秋はなほもみぢすればや照りまさるらん
 (壬生忠岑古今集』巻4、「月には桂の樹が生えているんだ、地球と同じように秋には紅葉するんだ、だからいっそう明るく照るのかな」) 10.20


・ わが恋はゆくへも知らず果てもなし逢ふをかぎりと思ふばかりぞ
 (大河内躬恒『古今集』巻12、「僕の恋はどこへいくのか分からない、これで終わりだというところがない、ただ貴女に会えさえすれば、それが最後だと思うのです」、この歌を逆手にとった歌を和泉式部が、それは明日) 10.21


・ 恋しさはそれにしもこそまさりけれ逢ふをかぎりと誰(たれ)か言ひける
 (和泉式部『家集』、「貴方に逢ったばかりに、それ以来、もう恋しさが募って募って苦しいわ、「逢ふを限りと思ふ」(=逢えば恋しさは止む)なんて言ったバカはだれよ」、昨日の躬恒の歌を批判) 10.22


・ いちじくをもぐ手に傳ふ雨滴
 (高濱虚子1932、雨上がりに無花果の実をもいだのだろう、大きな葉も一緒に揺れて、たくさん付いている雨の滴がこぼれて手に伝う、なぜか水滴はいちじくに似合う気がする) 10.23


・ 酒しぼる蔵のつゞきや葡萄棚
 (中村史邦、作者は芭蕉の弟子で京都の人、医者でもあった、江戸時代だから「蔵」はワインではなく日本酒の酒蔵、でも酒蔵に続くように葡萄の棚があるというのが面白い、酒蔵の白い壁に、葡萄の房の紫色が美しく映えるのだろうか) 10.24


・ 夜捥(も)ぎ柿色さまざまに燈下かな
 (桜井亜石1898〜1943、1934年の虚子篇『新歳時記』の「柿」の句はたくさんあるが、その中にこの句を含め二つほど「夜に柿をもぐ」というのがある、たまたまなのか、それとも昔は、夜に柿をもぐことも(何か理由があって)よくあったのか) 10.25


・ 草食んでぢっとしてゐる夜の猫とほいなあ いろんなところが遠い
 (山下翔『温泉』2018、作者は昨年まで九州大学短歌会の代表をつとめていた若い人、旧かなを使いながら、若者らしい繊細な感受性にあふれたニューウェーブ系) 10.26


・ 感情の置き場所だけは奪われぬ言葉はずっとずっと一緒だ
 (東直子「短歌研究」2011年5月、短歌は基本的に感情を詠むものだ、短歌を詠むことは、「感情の置き場を確保すること」でもある) 10.27


・ 目がさめるだけでうれしい 人間がつくったものでは空港がすき
 (雪舟えま『たんぽるぽる』2011、著者1974〜は軽やかでユーモラスな歌を詠む人、空港のホテルで目覚めたのか、あるいは飛行機の中で居眠りし、気付くと着陸の体勢なのか、いや、前句と後句は無関係かもしれない) 10.28


・ すむ月や髭(ひげ)をたてたる蛬(きりぎりす)
 (榎本其角、「コオロギがかすかな月光をあびて葉にとまっている、二本の長い髭が斜めにぴーんと伸びている」、「髭をたてたる」がいい、かすかな月光にコオロギがくっきりと映像的に) 10.29


・ 上ゆくと下くる雲や穐(あき)の空
 (野沢凡兆『猿蓑』、「雲はずいぶん高いところにあるけれど、よく見ると、上層の雲はここから遠ざかるように動き、下層の雲はここへ近づくように動く、あぁ、空も秋なんだなぁ」) 10.30


・ 行く秋や三十日(みそか)の水に星の照り
 (斯波園女1664〜1726、作者は蕉門の女性俳人、「秋ももう終りなのね、月のほとんどない月末の夜、池には夜空の星がかすかに映っているだけ」、月明かりがほとんどないからこそ、暗い池に目を凝らしてみると、映っている星が見える) 10.31