勅使河原三郎/シェーンベルク『月に憑かれたピエロ』

charis2018-12-04

[ダンス] ベルク『抒情組曲』・シェーンベルク月に憑かれたピエロ』 東京芸術劇場 12月4日


(写真右はポスター、下は、『月に憑かれたピエロ』の勅使河原三郎と佐東利穂子)

勅使河原三郎と佐東利穂子が、二つの曲にダンスをつける。とても美しい舞台だった。『月に憑かれたピエロ』は大きなCG映像をバックに演奏されることがあるが、なるほど人間の身体運動と一緒になると、運動が時空そのものを創り出しているような印象があって、不思議な感覚を覚える。「抒情組曲」は12音技法で作られ、音楽自体が構造的に分節せず、すべてが連続的に推移する。従来のクラシックの舞曲だと、時空の中で身体=モノが動くという感じだが、この舞台では、連続的に音楽が音を紡ぎ出すから、音の流れにぴったり寄り添うように、身体が非ユークリッド的な曲線運動をして、その動きが身体の周囲に次々に非ユークリッド空間を「紡ぎ出し」ているように感じられた。二人が交互に踊るのだが、その交替の時、着ている黒いコートに相手をするりと滑り込ませるという仕方でコートを受け渡し、自分が踊り手になる。連続的な流れを絶やさないためなのだ。たとえば、日本の能だと、役者の鋭い動きが「空間を切り取っていく」ような印象を受けるが、こちらは二人の身体運動から非ユークリッド空間が次々に「紡ぎ出される」。


月に憑かれたピエロ』では、銀色に輝く薄いアルミシートみたいなものが縦横に使われる。身体の自由な有機的な動きが、かぶせられたアルミシートの無機質な制約にからめとられて、一瞬、疎外されるかと思うと、次の瞬間には、そのアルミシートが布のように柔らかに動き、水面のように波立って推移していく。まさに、空間そのものが創出される感じだ。佐東利穂子の衣装は白なので、浴びる光の変化によって、身体の色も変化する。天井からたくさんの小さな灯がゆっくりと降りてきて「舞い」始めるシーンは、人魂が戯れているようで、神秘的でとても美しい。我々が生きている空間は、ユークリッド空間ではなく、非ユークリッド空間なのだと強く感じさせる舞台だった。