アラン・ロブ=グリエ 『不滅の女』

charis2019-01-11

[映画]  アラン・ロブ=グリエ『不滅の女』  渋谷、イメージフォーラム 1月11日


(写真右は、ヒロイン役のフランソワーズ・ブリオン、写真下も同じ、彼女はオブジェとなって、いずれも石の中に立ち混じり、白と黒の光と影になっている)



ロブ=グリエが最初に創った映画『不滅の女』(1963、L'immortelleが原題だから「不死の女」)。彼がシナリオを書いたレネ『去年マリエンバートで』が1961年だから、2年後。両者は、その映像美の素晴らしさ、光と影だけから映画が成り立っている点が共通している。イスタンブールに教師として赴任したフランス人の男が、ある謎の女と波止場で知り合う↓。女は男の部屋にやってきて、デートをし、セックスもする仲になるが、女は本名も教えず謎のまま↓。どうもセリムの後宮に外国から女を連れてくる秘密組織に関係するらしく、マフィアの親玉のような怖い男性の影もちらつく。そうこうするうちに、女は失踪し、やっと見つけ出すが、彼女が運転する自動車が事故をおこし、彼女はあっけなく死ぬ。死を受け入れられない男は、彼女の修理された自動車を探し出し、自分が運転するうちに、同じ場所で事故をおこし、彼も死ぬ。


「不死の女」というタイトルは、最後、死んだはずの女がまた映像に現われるからだろうが、それ以上に、彼女が生身の女というよりは視線に捉えられた<表象の女>だからだろう。彼女は非常に美しい肉体を持つ女だが、完全にオブジェになっていて、まるで大理石のようだ。映画全体が、イスタンブールのモスクや廃墟など、白い石の輝きに満ちており、彼女の肉体もまた、光景の中の石の輝きと同質のものだ。こんなに冷ややかなエロスを映像美に結晶させたのが、本作の際立った功績と言える。(写真↓)


二人は頻繁にデートもセックスもするが、どこかよそよそしく、二人の間に愛はまったく感じられない。映画の中で繰り返し「エトランジェ(=よそ者)」という言葉が発せられるが、G・ジンメルが、夫婦はもっとも「よそ者の関係だ」と言ったのを思い出した。相手が男/女という普遍的な性質を持っていればよいので、相手はいくらでも替えがきくから、「この人でなければならない」という必然性のないもっとも偶然的な関係なのだ(「よそ者についての補論」1908)。あと、本作では男たちの<視線>が怖い。オブジェ=よそ者を凝視する視線。女の肉体もまたそのように凝視される。(写真↓)



4分弱の動画がありました。冷ややかなエロスの美しさと、視線の怖さがよく分かります。
https://www.youtube.com/watch?v=wJJ45UJrZgQ