西村 朗『紫苑物語』

[オペラ] 西村 朗『紫苑物語』 新国立劇場 2月23日

(写真↓は舞台、大きな鏡の巨大な鏡像を見せるのは、現実界と異界の接触面を示すのだろう、その下の写真は、違う時空で起きている二組の男女を空間的に並べて同時に見せるオペラ的手法、四重唱になるのが凄い)

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 こんなに素晴らしい日本のオペラが誕生したことはとても嬉しい。『夕鶴』も傑作だが、この『紫苑物語』は日本オペラの代表作になるのではないか。戯曲からではなく、小説からオペラが生まれたところが凄い。石川淳の小説はフロベール的であり、それは「文体の力だけから作品を生み出す」からである。彼の『紫苑物語』は、歴史物語とされているが、私は神話あるいは寓話だと思う。フロベール『聖ジュリアン伝』を踏まえていると思われるし、今回の舞台で、衣装が日本風ではなく、日本、中国、朝鮮、ウイグル(?)、西洋ドレスなどを混ぜこぜにしているのは、無国籍の寓話と捉えているからだろう。原作が傑作であること、佐々木幹郎の優れたオペラ台本、西村朗の素晴らしい音楽、そして笈田ヨシの見事な視覚的演出、この四つが四重奏のように重なった。今まで日本オペラにほとんど無かった三重唱、四重唱もある。さすがに三重唱以上は字幕が必要だが、単唱の部分は耳で聞いて分る日本語になっている。日本語は、西洋音楽の旋律に歌として自然に乗るのが難しいので、歌詞が不自然に聞こえないというのは凄いことだ。そして、歌詞のないコロラトゥーラのような「叫び」がとても効果的。全体として、物語が神話的でおどろおどろしいことや、音楽の感じとして、ワーグナーのような印象を受けたが、私がもっとも感動したのは、第2幕の最初、宗頼と千草(本当は狐の妖怪)の性愛シーンの美しさ(写真↓)。石川淳の原作でも、この性愛シーンの描写の美しさは、日本文学史の中でも屈指のものと思われるので、オペラでもそうであったのが嬉しい(笑)。

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冒頭、原作にはない宗頼とうつろ姫との結婚式シーンを入れたのは、説明抜きで一瞬で見せるというオペラに適ったものなのだろう(写真↓)。ただ、「うつろ姫」のキャラは原作と少し違うのではないか。原作では、「色黒く、かたちみにくく、白痴のうたがいもないことはない」とされているが、ソプラノ歌手にこのようなキャラを演じさせるのは難しいから変えざるを得なかったのか。 

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『紫苑物語』は非常に深みのある神話=寓話である。一番驚かされるのは、平太が岩に掘る仏像が、平和と救済の象徴ではなく、最後に鬼になってしまうことである(写真↓、右端が平太)。そして、終幕、全員が死者になって「鬼の歌」が静かに歌われる(その下の写真↓)。『聖ジュリアン伝』では、ジュリアンを抱いた奇怪な男がキリストに変身し、抱き合いながら昇天して終わる。それに対して、『紫苑物語』の平太は、宗頼の分身ではあるのだが、彼はいったいどのような存在なのか。つまり、救いは無いという終幕なのか。

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画面の下の方ですが、5分間の動画があります↓。

https://www.nntt.jac.go.jp/opera/asters/