平田オリザ 『隣にいても一人』『忠臣蔵・OL編』

[演劇] 平田オリザ『隣にいても一人』『忠臣蔵・OL編』 駒場アゴラ劇場 2月28日

(写真下は、『隣に・・』と『忠臣蔵・・』、ただし今回の舞台ではない)

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 どちらも、良く出来た劇だ。不条理な状況に突然置かれて、もがいている人間の面白さ、愛おしさが描かれている。『隣に・・』は、カフカの虫のように、ある朝目覚めたら、突然夫婦になっていたという若者の話。酔いつぶれて男の部屋で一夜を過ごしたわけでもなく、セックスがあったわけでもなく、なぜか朝起きてみたら夫婦になっていた。しかしここからが面白い。男の実の兄と、女の実の姉はすでに結婚しているが、離婚の危機にある。こちらの夫婦は、ごく普通の夫婦で、不条理なところは何もない。だが、この四人の関係、つまり実の兄弟と実の姉妹の結婚というのは、実に奇妙な関係性なのだ。兄にとっては、妻の実の妹は「義理の妹」になり、姉にとっては、夫の実の弟は「義理の弟」になる。弟と妹にとっては、兄の妻と姉の夫は、逆にそれぞれ「義理の姉」「義理の兄」になる。これは当り前の関係だが、面白いのは、たとえ兄と姉が離婚しても、弟と妹が結婚したので、この関係は変らないという点だ。つまり、兄と姉は離婚したので、妻と夫という関係はなくなるが、今度は、実の弟の妻=「義理の妹」、実の妹の夫=「義理の弟」という仕方で、同じ関係性が新しく成立する。だから、赤の他人と違って家族関係が続き、会話が奇妙なものになる。弟と妹の不条理な結婚をめぐって、気づかいと無遠慮、気まずさと親しさが、交錯し合って、ねじれた会話が延々と続く。

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 『忠臣蔵・・』は、もともと実話だし、不条理の意味が違う。しかし、浅野内匠頭がいきなり「カッとなって」吉良上野介を切りつけたというのも、珍しいし、幕府の措置は、けんか両成敗が原則のはずなのに、浅野=切腹、吉良=おとがめなしという不公平なもので、これはある意味で不条理である。そして、突然、御家とり潰しになった朝野側の武士たちが、現代のOLであるというところがタイムトラベルのように不条理なのだが、彼女たちは、どう行動すべきかの大議論を、社員食堂で展開する。打ち入り(あだ討ち)、ろう城、切腹、そして逃げ出して別の主君に仕官する再就職など、あらゆる選択肢とそれが引き起こすリアクションの蓋然性が検討される。そして当然のことながら、議論は冷静にではなく、感情の爆発の中で行われる。原理主義者、日和見主義者、お調子者、人にどう思われるかだけを気にする者などがいる。そして誰もが、自分だけババをひくのを恐れている。主君と彼女たちとの関係は、忠誠で結ばれたものなのか、それともたんなる就職先の長というだけの関係なのか、「武士道」というのが名前だけで実体が何もないことも明らかになる。そしてフェミニズムも加味されて「私たちって、武士であるのではなく、武士になるのよ!」と、チャラいOLがボーヴォワールばりの啖呵を切る。「貞臣は二君にまみえず」と「貞女は二夫にまみえず」が混同されて、笑われたりもする。若くてチャラい西洋かぶれのOLのF子、昔の村長のように単なる調整役に徹し、決断も責任も取りたがらない上司の大石OL、この二人のキャラを創り出したのがうまい。他のOLたちのそれぞれも、まさに我々の周囲に「いるいる」の人たちだ。

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