ヘアハイム演出、チャイコフスキー『スペードの女王』

[オペラ]  ヘアハイム演出、チャイコフスキースペードの女王』 ROHシネマ 有楽町・TOHOシネマズ日比谷 3月20日 (映像は今年1月22日の舞台)

(写真の左側は↓、原作にはないチャイコフスキー、その下は、エカチェリーナ二世の登場シーン、巨大な鏡を使って客席後方からも貴族たちが入場する)

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シュテファン・ヘアハイムは、2006年ザルツブルク音楽祭モーツァルト後宮からの誘拐』で、驚くべき演出をした。音楽は原作のままだが、舞台の上の劇は、原作とまったく違う別の話なのだ。今回は、筋はほぼ原作通りだが、作曲したチャイコフスキーその人をほぼ全シーンに登場させる。パントマイムのような役割だが、それぞれの登場人物に寄り添い、そのシーンの感情表現を自分の身振りや表情で、より深く表現してみせる。音楽を書いた本人なのだから、そのシーンの人物の感情については誰よりも理解しているわけだ。彼は、そのシーンに立ち会うことによって音楽の着想が浮かび、楽譜にせっせと書き込むこともあれば、すでに音楽はあって、その演奏をリードするために、ひたすら指揮の身振りをする。つまり彼は、つねに、楽譜を書くか、ピアノを弾くか、指揮をするかのどれかをしている。チャイコフスキーが登場することによって、舞台の内容が作曲家自身の実人生の苦悩とぴったり重なる。これが演出の狙いなのだ。今回、私は初めて知ったが、チャイコフスキーは同性愛者であり、世間体の為にしようとした女性との結婚は半年足らずで破綻した。そうした彼の実人生の苦悩は、『スペードの女王』の物語とよく重なるのだ。『スピードの女王』は、ほぼ全篇にわたって、死の影が漂う苦悩を表現しており、音楽は美しいが、感情は、重く、苦しい。チャイコフスキーは、生水を飲んでコレラに罹って自殺したという説もあり、最初から最後まで、登場人物たちは、コップの水を繰返し飲む。写真下↓の中央はエカチェリーナ二世だが、この後上着を脱いで、男性であることを示す。

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チャイコフスキーは28歳のとき、父親の要請もあり、世間体のための結婚として、ベルギー人女性歌手のデジレ・アルトーと婚約したが、すぐ婚約解消になった。同性愛者である自分と、異性との結婚は両立しなかったのかもしれない。それが、『スペードの女王』の主人公ゲルマンと、彼が表面的な愛を与えて絶望させ死なせてしまうヒロインのリーザとの関係にぴったり重なる。舞台では、ゲルマンもチャイコフスキーも同性愛者になっているだけでなく、仮面舞踏会の劇中劇では、リーザとその親友パウリーネもレズビアンになっていた。つまり、劇の全体に通奏低音のように同性愛が主題になっている。またチャイコフスキーの音楽は、絵画のコラージュのように、彼以前のたくさんの旋律を少し変えて「引用」もするという、総合的なものになっている。『魔笛』のパパゲーノは露骨に引用されており、仮面舞踏会の「女羊飼い」の劇中劇も完全にモーツァルト的音楽で、私はここが、音楽が一番美しいように感じた。激しい苦悩から歓喜の絶頂まで、感情の大きなレンジが表現されており、これが音楽のスケールを巨大なものにしている。たくさんの人物が登場する舞曲的なシーンが多くあり、いずれも、何ともいえない凄みがある。『後宮からの誘拐』もそうだったが、ヘアハイムは、このような場面を入念に凝った作りにする人なのかもしれない。写真下↓は、リーザ。

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30秒ほどの動画がありました。凄みのある舞台の様子がよく分かります。

https://news.nicovideo.jp/watch/nw4998369