大池容子作、うさぎストライプ『ハイライト』

[演劇] うさぎストライプ、大池容子『ハイライト』 駒場アゴラ劇場  4月8日

(写真下は、終幕近く、夜行バスに乗って、東京という寂しい大都会を去る若者たち、だが、彼らは寂しさから逃げるのではなく、寂しさと向き合い、それを引き受けることによって、寂しさを乗り越え、未来を生きていこうとする。いや、彼らが東京から去るのではなく、東京という町そのものが彼らから離れてゆくのか)

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 大池容子の作品は、『バージンブルース』、『空想科学Ⅱ』、そしてこの『ハイライト』も、寂しい若者たちが主人公である。歌手を夢見て東京に出てきた東北の少女が、歌手にもなれず、恋人もできず、友人もおらず、交通安全ロボットの「安全太郎」に恋をする。道路工事現場から盗んだ安全太郎と一緒に、はとバスに乗って、東京を一日デートするが、良心の呵責に耐えかねて、現場に安全太郎を返しにきたとき、家出少女のように警察に保護される。これが物語の核に見えるが、いや、それはまだ可能世界であって、最後に夜行バスの中で「ほっこりニュース」として紹介されたように、本当は、東京に出てきたまま故郷にも帰れない「練馬区在住の三十代の女が、安全太郎を盗んだあと保護された」のかもしれない。彼女だけではなく、東京に暮らす他の若者も、やはり寂しく生きている。男は、結婚したばかりの妻に逃げられ、女は、8年越しの彼氏と結婚には至らない。もう一人の男は、オリンピック選手になれるくらいだったのに、交通事故で足を失い、今は道路工事現場で、安全太郎とほぼ同じ、車の通行整理の仕事をしている。(写真下は、「タロ子」と呼ばれる田舎くさい家出少女、とても寂しげな表情で、演じる菊池佳南は非常に上手い)

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 生きることは寂しい。結婚しても、家族がいても、親友がいても、職業的に成功しても、それでも我々は孤独に生きている。そして、そういう寂しさから逃げるのではなく、その寂しさを引き受けて、毎日を生きている。東京という町は、そういう人々の集積する空間である。チェホフ劇において、モスクワが人々の欲望の夢の中にしか存在しなかったように、大池の作品もまた、寂しさを引き受けて生きようとする人々の愛おしさに溢れている。そして、生きることの寂しさは、主に、愛を得られないことに由来しているという点でも、チェホフ的である。さらに言えば、チェホフの時代よりも我々の時代は、孤独がより深まったぶんだけ、それだけ不条理劇化している。若者たちは、架空の結婚式ごっこをやり、愛の喪失を補償する。この『ハイライト』は、幾つもの可能世界が現実世界と重なるかなり凝った作りになっている。ロボットに恋をしてしまうフェティシズム東京オリンピック前の狂騒的な道路工事、オリンピック開催中のテロまがいによるオリンピックそのものの荒廃、そして、オリンピックによって多くの人々が傷ついたというオリンピック後の世界。これらが時間的に重なっているだけでなく、『ハイライト』は、空間のワープがうまい。椅子の位置を動かすだけで、工事現場が、はとバスの車内になり、結婚式場になり、オリンピックテロの救護室になり、東京タワーの展望デッキになる。(写真下は、はとバスの車内、左側がバスの二階で安全太郎とタロ子だけが客、だから二人のデートなのだ、右側は一階で、バスガイドと運転手になっている他の男女、彼らも寂しい若者だ)

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 『バージンブルース』『空想科学Ⅱ』と『ハイライト』、三つとも非常に優れた劇作品だと思う。どれも、不条理劇の形式で愛の喪失を描くことによって愛を讃えている。ただ、あえて言うならば、内容がやや詰め込み過ぎではないか。不条理劇は、たくさんの可能世界の重なりと均衡によって成り立っている。内容を詰め込み過ぎると、それぞれの要素が弱まり、この均衡がうまくいかない。たとえば最後にちらっと出た「東京遷都」の話。人々が東京を去るのではなく、東京という町が人々から去るのだから、こここそはもっと深めてほしい要素だ。それに対して、はとバスがコンビニにトイレ休憩に寄るとかの場面は不要だ。音楽にもやや過剰さがあり、大池の劇はすべて昭和レトロの歌が繰り返し歌われる。寂しい感じがよく出るという点で、昭和レトロの音楽はたしかにぴったりなのだが、音楽が感情に寄り添い過ぎても、全体が泥臭く、センチメンタルになってしまう。太田省吾『水の駅』の音楽は、アルビノーニオーボエ協奏曲とサティのジムノペティの二つの旋律のみだが、一方は感情に寄り添い、他方は感情を突き放すという点で、理想的な音楽の使い方だ。『ハイライト』は、若者たちの初デートの場所が想起され、それは、今はなくなってしまった高田馬場ビッグボックスや渋谷のゲームセンターだったりする。懐かしさに溢れるこの感情をもう少し押さえて、感情を突き放すシュールな要素をもう少し増やしたら、劇全体がいっそう美的に昇華されると思う。(写真下は、実在の安全太郎、1970年以来、50年も使われ、電力消費が少なく24時間活動する、35kgしかないが78万円もする。舞台の安全太郎は、実物なのか?)

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