今日のうた(96)

[今日のうた 96] 4月ぶん 

(写真は渡辺白泉1913~69、戦前の新興俳句運動の一員であり、「京大俳句」事件で検挙された、非常に鋭く戦争を詠んだ句で知られる)

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  • 先の世ものちの世もなき身ひとつのとどまるときに花ありにけり

 (上田三四二1977『遊行』、作者は医師、自分も癌を病み、東京・清瀬の病院で午前中のみ診療に携る、医学を奉じる作者は来世を信じないのだろう、そういう「身ひとつ」だからこそ、桜の花はひときわ愛おしい) 4.1

 

  • 白雲は呼び声に似ておほぞらに「おーい」「おまえ」と雲ふたつ浮く

 (小島ゆかり「ブランコ」2018、青空に浮く白い雲は「呼び声に似ている」、まるで「おーい」「おまえ」と互いに呼び合っている、作者自身もきっと、周りの人たちに「おーい、元気かい」と呼びかけたい気持なのだろう) 4.2

 

  • 春昼や映し映れる壷二つ

 (三宅清三郎、作者は虚子に師事し「ホトトギス」同人、画廊も経営した人、「春昼」は春の季語で、虚子篇・歳時記には「春の昼間は明るく、のどかに、のんびりと眠たくなるような心地がする」とある、壺と壺も互いに姿を映し合って楽しんでいる) 4.3

 

  • 日おもてに咲いてよごれぬ沈丁花

 (高野素十、じんちょうげは木の丈は低いけれど、花には独特の風格がある、「咲いてよごれぬ」がとてもいい、我が家の玄関わきの小さな小さな沈丁花も今が盛り) 4.4

 

  • 菜の花や鯨もよらず海暮(くれ)ぬ

 (蕪村、「何てことのない鄙びた漁村だけど、菜の花が一杯に咲いている、海に鯨でも来れば大騒ぎになるんだが、そんなこともないまま、今日一日の海が、静かに暮れてゆく」、菜の花を、それとはまったく無関係な空想の鯨と取り合せたのが妙味) 4.5

 

  • 高山(たかやま)の嶺(みね)行くししの友を多み袖振らず来ぬ忘ると思ふな

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「君とすれ違ったとき、高い山の峰を群れていくカモシカのように、僕は大勢の友達と一緒だった、恥ずかしいから君に手を振らなかったけど本当にごめんね、もちろん君だって分ってたよ」) 4.6

 

  • 恋ひ死ねとする業(わざ)ならしむばたまの夜はすがらに夢に見えつつ

 (よみ人しらず『古今集』巻11、「ねぇ君、ひどいじゃないか、僕に恋い死にしてしまえっていうのかい、昼間はぜんぜん逢ってくれないのに、夜になると夢にひっきりなしに出てくるなんて」) 4.7

 

  • まだ知らぬ人をはじめて恋ふるかな思ふ心よ道しるべせよ

 (肥後『千載集』巻11、作者は白河天皇皇女令子内親王に仕えた女流歌人、「ほとんど知らないあの人に恋しちゃったわ、あぁどうしよう、ひたすら恋い焦がれる私の心だけが頼り、さぁ私の心よ、あの人のところへ連れてって!」) 4.8

 

  • 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどゐぬるかな

 (藤原兼輔後撰集』巻15、「親の心は闇とまでは言えないが、自分の子を溺愛するあまり、何も見えなくなってしまう」、作者877~933は三十六歌仙の一人で、紫式部の曽祖父、本歌は『源氏物語』で八の宮が娘を思う心境に引用) 4.9

 

  • 掃除機は何もかも吸ふ桜冷え

 (正木ゆう子『水晶体』、その強力な吸引力で「何もかも吸う」掃除機に、我々はふと一抹の寂しさを覚える時がある、それを「桜冷え」と組み合わせたのが妙味、もし「桜冷え」ではなく「大晦日」だったらまったく違う句になる、今年は桜冷えが長い) 4.10

 

  • うつくしきひとを見かけぬ春あさき

 (日野草城「花氷」1927、作者の第一句集で26歳、この句は「花氷」の冒頭の句、作者は「女」をたくさん俳句に詠んだ人で、妻との初夜を詠んだ「ミヤコ ホテル」が名高いが、第ー句集の冒頭句からして「女」を詠んでいる) 4.11

 

  • 春の夜の乳ぶさもあかねさしにけり

 (室生犀星1935、「春の夜に、灯火の光を受けて、乳房も、いつも以上に美しく照り映えている」、誰の乳房なのだろうか、愛妻のとみ子と思われるが、しかし犀星には、家族に秘密にしていた愛人がいたことが死後明らかになってもいる) 4.12

 

  • 比喩としてさまざまな乳房はゆたかなりと読むときわれの乳ふさ涼し

 (米川千嘉子『牡丹の伯母』2018、「乳房とはゆたかなものだ!」という何か母性礼讃みたいな記述を読んだのだろう、作者はそれに違和感をもち、「われの乳ふさは涼しい」と応じる) 4.13

 

  • ひかりの矢ここにあつまるごときかな空しかあらぬ地点にけやき

 (渡辺松男「木と木と木」『短歌』2019年3月、地平線まで広がる畑地か、建物が立つ前の広大な更地か、あるいは海際か、ほとんど空だけを背景に一本の大きな欅の樹が、まるで「ひかりの矢が集まる」ように立つ) 4.14

 

  • 死にたいとつぶやくひとに語りゐる言葉のいつしかわれを励ます

 (升田隆雄『角川・短歌』2019年3月号、作者は医者なのだろう、精神科医かもしれない、患者と向かい合って語り合っている、言葉を選び選び、患者を励まそうとしてるが、その言葉は自分を励ますものにもなっていた) 4.15

 

  • ギャルが嫁にくる 冗談のようなメールののちのしずけさ

 (辻聡之『あしたの孵化』2018、作者の弟に嫁がきたときの歌、「ギャルが嫁にくる」と弟が家族にメールしたのか、そのメールを家で家族が一緒に見ている、「のちのしずけさ」がとてもいい) 4.16

 

  • これからどうするんやろこの人は、と思ったり思われたりして別れる

 (竹中優子『角川・短歌』2019年3月号、自分が相手について思うだけでなく、相手も自分についてそう思うだろう、という醒めたがとてもいい、作者1982~は、第62回角川短歌賞受賞) 4.17

 

  • 発音をすることのない言葉たちたとえば縁(よすが) 顔を上げてくれ

 (遠野真『角川・短歌』2019年3月号、語りの中で「縁(えん)」と言うことはあるが、「縁(よすが)」と言うことは少ない気がする、眼で読まれる表意文字=漢字にはルビがないのか、作者1990~は短歌研究新人賞の人) 4.18

 

  • 空想の水平線の花雌蕊

 (富澤赤黄男『天の狼』1941、前後の句には、花粉、花が散る、などの語が頻出、たぶん作者は、幻覚のように、水平線の上に大きく咲いた「水平線の花」を空想しているのだろう、その花の中心には爛熟したメシベが輝いている、花は何よりも植物の生殖器なのだ) 4.19

 

  • 百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり

 (飯田龍太『遅速』1991、ウグイスが美しい声で鳴くのはメスへの求愛だ、「百千鳥」の賑やかなさえずりは、オスメス入り乱れての声の交わし合いなのか、「雌蕊雄蕊を囃す」と植物になぞらえたのが卓越) 4.20

 

  • ひと拗(す)ねてものいはず白き薔薇となる

 (日野草城『転轍手』1938、「ひと」は白い服を着た女性だろう、作者とどういう関係にある女性なのかは分からない、でも作者にとってこの女性は、「すねて、もの言わぬ」ところが「白い薔薇」のようで、たまらなく美しいのだ) 4.21

 

  • きらきらと蝶が壊れて痕(あと)もなし

 (高屋窓秋「ひかりの地」1970~75、剥製の蝶ならば、きらきらと粉のように崩壊して痕に何も残らないだろう、だが生きた蝶も、剥製が壊れるように死ぬことがあるのだろうか、新幹線や高速道路でフロントガラスに蝶がぶつかったのだろうか) 4.22

 

  • 花の家思想転変たはやすく

 (渡辺白泉、おそらく1941年の作、前年には京大俳句事件に関連して作者も「思想犯」として検挙され、起訴猶予、執筆禁止となる、釈放の条件に「転向」の一筆を書かされたのか、桜の花の散りしきる中で、「たはやすし(=容易だ)」と苦い思いをかみしめる) 4.23

 

  • 春暁(しゅんげう)のまだ人ごゑをきかずゐる

 (石田波郷『鶴の眼』1939、「春暁」は春の明け方のこと、虚子は、「春の朝」と言うとまた感じが違ってしまうという、東の地平線が明るいだけで、まだ朝とは言えない夜の終り頃だろう、だから、「まだ人ごゑをきかずゐる」) 4.24

 

  • 花水木子ら四五人の英語塾

 (柏木進、埼玉県川口市、「NHK俳句」選2011年、花水木が咲いている傍らに、「子ら四五人の」小さな英語塾、たぶん小学生だろう、花水木の花は白または薄い紅色で、独特の明るい雰囲気がある、我が家の近くの花水木も咲き出した)  4.25

 

  • いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯(か)くぞ覚ゆる暮れて行く春

 (与謝野晶子『みだれ髪』1901、俵万智の「チョコレート語訳」によれば、「春はもう暮れてゆきますひたすらに燃えるがままに燃えてゆきたい」、いつでもどこでも「恋に燃える」のが晶子、春の夜ならばいよいよ燃える) 4.26

 

  • 甲斐なしや強げにものを言ふ眼より涙落つるも女なればか

 (岡本かの子『かろきねたみ』1912、作者1889~1939は21歳で画家の岡本一平と結婚したが、個性の強い激しい性格の二人はよく衝突した、そして夫は放蕩、その頃の歌だろう、強気で喧嘩しているうちに涙がこぼれてしまった) 4.27

 

  • 戦ひの後のはかなき支へとも架空の愛を待ちつつ過ぎき

 (三国玲子『空を指す枝』1954、戦争中疎開していた作者は、22歳のとき東京へ戻って働くが、苦しい生活が続く、「恋人がほしい!」という叫びのような歌、だが同世代の男子はたくさん戦死して、数が少ない) 4.28

 

  • ためらひつつ人を愛する吾が脳を或日未熟の果実に寄(よそ)ふ

 (富小路禎子『未明のしらべ』1956、1926年生まれの作者は華族の出だが、戦争で同世代の男子がたくさん戦死した世代、男性と面と向き合えないくらい内気な性格で、恋ができなかった自分を「未熟な果実」に喩える) 4.29

 

  • 洋々と双手(もろて)をひろげ入江なす胸へ満ち潮のやうに寄せてゆく

 (松平盟子『帆を張る父のやうに』1979、「入江のように広い彼の胸へ、私は、満ち潮が寄せるように、抱かれてゆく」、双手を広げるのは彼なのか、いや、二人ともそうして抱き合うのか、「寄せてゆく」という能動形がいい) 4.30