今日のうた(97)

[今日のうた] 5月1日~31日

(写真は中村草田男1901~83、第三句集『萬緑』1941)

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  • 菜の花を挿すか茹でるか見捨てるか

 (櫂未知子蒙古斑』2000、「見捨てるか」という選択肢があるのが面白い、ぎりぎり薹(とう)がたっているのだろうか、たしかに菜の花はぐっと花茎が伸びる) 5.1

 

  • あいまいな空に不満の五月かな

 (中澤啓子『現代俳句年間・2000』、今年もそうだが、5月は連休などで行楽も多い、だが、天気が急変したり、ぐずついたり、急に寒い風が吹いたりすることも多い、「空に不満」といったのが上手い) 5.2

 

  • そもそものいちぢく若葉こそばゆく

 (小沢信男『んの字』2000、無花果の実がなるころの葉は、とても大きい、でも枝からちょっと出た程度の若葉はとても小さくてかわいい、それを「そもそもの」とか「こそばゆい」と表現したのが俳諧の味、アダムが性器を隠したのがイチジクの葉だからね、小さな若葉じゃ隠せないよね) 5.3

 

  • 風吹けば来るや隣の鯉幟(こひのぼり)

 (高濱虚子、鯉幟を建ててもらえない家の子供が隣家の鯉幟を楽しんでいるのか、大邸宅ならともかく普通の日本の家なら、鯉幟は、泳げば隣の土地に侵入することもある、「来るや」は「こっちへ泳いでくるよ!」という喜びの声だろう、明日は子供の日) 5.4

 

  • 武者人形飾りて男の子内に居らず

 (風外、「武者人形」は五月人形のこと、せっかく飾ったのに男の子はじっくり見ないで、外に遊びに行ってしまう、女の子にとっての雛人形とは違うのかもしれない、虚子篇歳時記にある句だが、作者の「風外」については分からなかった) 5.5

 

  • 座敷まで届かぬ夏の木陰かな

 (志太野坡、作者1662~1740は芭蕉の弟子、5月になって、ふと気が付くと、日中の日差しが高い、つい最近まで座敷まで差し込んでいた木の影は、もはや木の真下にしか映らない、もう夏のようだ) 5.6

 

  • 大船に真梶(まかぢ)繁(しじ)貫き漕ぐ間(ほと)もここだく恋し年にあらば如何に

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「僕は、大きな船の左右にたくさん取り付けられた梶を、ひと掻きひと掻き漕いでいるんだ、その短い間でさえ、君のことを思わずにいられないのに、一年も待ってだなんて、そんな」) 5.7

 

  • 今日のまの心にかへて思ひやれ眺めつつのみ過ぐす月日を

 (和泉式部新勅撰和歌集』、恋人の敦道親王が「貴女に告白したあと、貴女を思って今日はとても苦しい」と詠んできたので、「貴方の苦しいという今日を、私がただ孤独に過ごしてきた長い月日と取り換えてほしいわ」と返した)  5.8

 

  • 草枕結びさだめむ方(かた)知らずならはぬ野辺の夢の通ひ路

 (藤原雅経『新古今』巻14、「夢路で君と会いたいなあ、でも旅寝する草枕を君に向けてどの方向に結んだらいいのか分らないんだよ、だって、このあたりの野辺について、僕は地理が不案内なんだもの」) 5.9

 

  • 恋愛にくるしむきはも医師われは見つつ神のごとありしにあらず

 (上田三四二1977『遊行』、医師である作者は患者の最期を看取っている、激しく歎き苦しむ相思相愛の二人、だが医学をもってしても命を救えないときはある、「神のごとありしにあらぬ」自分がもどかしい) 5.10

 

  • みづからの光のごとき明るさをささげて咲けりくれなゐの薔薇

 (佐藤佐太郎『帰潮』1952、これは1948年の作、『帰潮』には、戦後の自分の苦しい生活を詠む生活詠と同時に、「あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼」など自然詠の傑作も多い、我が家のバラも大きく咲いた) 5.11

 

  • ひかりつつ天(あめ)を流るる星あれど悲しきかもよわれに向はず

 (斎藤茂吉『赤光』、この歌は1912年作、「ひとりの道」と題された歌群の中、どの歌も寂しさに溢れる、どこか地方の山沿いの道を一人で歩いている茂吉、少し前には、精神科医の自分が診ている患者の自殺を悲しむ歌が並ぶ) 5.12

 

  • 春燈の色違ひたる二間かな

 (正木ゆう子『水晶体』、1977年、25歳の作者は結婚して東京・新宿の小さな部屋に住んだ、「二間かな」はそれだろう、部屋の蛍光灯の色が微妙に違うのか、それを「春燈」と呼んだ、幸せな感情が伝わってくる素適な句) 5.13

 

  • をみなとはかかるものかも春の闇

 (日野草城、この句は1934年「ミヤコ ホテル」と題した歌群の一つ、33歳の作者が妻との新婚初夜をホテルで過ごした句として『俳句研究』に発表したが、草城は新婚旅行などしておらずフィクションだったらしい、ほのぼのとした句が多く、楽しい) 5.14

 

  • 筍の鋒(きっさき)高し星生る

 (中村草田男『長子』1936、日暮れに竹林にいるのだろうか、ぐっと伸びたタケノコにはずいぶん丈の高いのもある、先端が鋭く尖って、その先端の上部の空に小さな星が一つ見える、まるで今そこに生まれたかのように、一番星が) 5.15

 

  • 競漕やコースの外の都鳥

 (水原秋櫻子『葛飾』1930、作者は葛飾の句をたくさん詠んだから、これは江戸川のボートレースかもしれない、コースでは何艘ものボートが激しく競り合っているが、コースの外側では、ユリカモメたちがのんびり浮かんでいる、秋櫻子らしい近代絵画風の明るい句) 5.16

 

 (加藤楸邨『雪後の天』1943、「隠岐紀行」と題された歌群の一つ、隠岐諸島は馬が有名だが、当時は、畑を耕すのに牛も使っていたのだろう、「どこかかならず日本海」がいい、島のどこに行っても光景の一部に必ず日本海が) 5.17

 

  • 兄からのメールの兄の人称がぼくに変ったその春のこと

 (阿波野巧也『ねむらない樹vol.2』2019、それまでの兄のメールの人称は何だったのだろう、「おれ」だろうか、兄の人称が変ったということは、兄に何かあったのか、それとも作者との人間関係の微妙な変化か) 5.18

 

  • マンションの建設中のクレーンの赤い点滅 点滅 遅い

 (浪江まき子『ねむらない樹vol.2』2019、都会で高層の建物を建てる際によく見られる、巨大なタワークレーンだろう、夜は赤い光が点滅している、ゆっくりとした点滅) 5.19

 

  • ああよかった、どこにいても月がみえる。悲しみが色めき立つのがわかる。

 (谷川由里子『ねむらない樹vol.2』2019、作者の歌には、間に空白が入ったり、句読点が入ったりする歌もある、この歌に句読点があるのは、そこで大きく切りたいからだろう、一定の時間の幅のある知覚と感情) 5.20

 

  • シャボン玉ひとつがうろことおもふのだシャボン玉でできた魚体美し

 (渡辺松男『ねむらない樹vol.2』2019、無数の小さな泡の集合体のような「シャボン玉」が、魚のような形になったのだろうか、それともそれを想像しているのだろうか、いずれにしても、その「魚体」は美しい) 5.21

 

  • 月蝕待つみずから遺失物となり

 (寺山修司『花粉航海』1975、作者が高校生の時の作、夜、一人で月蝕を見たかったのだろう、一人になれるよい場所を求めてうろうろ歩いているうちに、気が付いたらまったく知らない場所に来ていた、まるで迷子のように) 5.22

 

  • 髪洗ひ生き得たる身がしづくする

 (橋本多佳子『命終』1965、これは死の二年前1961年の句、作者1899~1963は少し前に五か月近い長期入院を経験した、「生き得たる身」が強烈だが、作者は「女の身体であること」の喜びをたくさん詠んだ人、この句もそうなのだと思う) 5.23

 

  • 夏来たる白き乳房は神のもの

 (三橋鷹女、この句は1936~37年のもの、作者1899~1972は「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」など奔放で強い句を詠む人、この句も「自分の乳房」なのだろうが、「神のもの」と意表をつくのがいい) 5.24

 

  • 若竹や鞭の如くに五六本

 (川端茅舎『川端茅舎句集』1934、作者1897~1941が1923~33の間に詠んだ句の一つ、師の虚子から「花鳥諷詠真骨頂漢」と呼ばれたこともあり、ものの本質を鋭く捉える「写生」に徹した人と言えるだろう、この句も「鞭の如くに」が卓越) 5.25

 

  • 海中(わだなか)に都ありとぞ鯖火(さばび)もゆ

 (松本たかし『火明』1957、「鯖火」とは、夜にサバ漁を行う漁船の灯のこと、たくさん漁船が集まって、灯がとても明るいのだろう、まるで「海の上に都がある」ような、「もゆ」という表現がいい) 5.26

 

  • 現(うつつ)にて思へば言はむ方(かた)もなし今宵のことを夢になさばや

 (和泉式部『日記』、「貴方が昨夜おっしゃったことが現実だと思うと、悲しくてとても耐えられない、昨夜のことは夢だったことにしたいわ」、恋人の敦道親王が出家を仄めかしたので式部はひたすら泣いた、その翌朝の歌) 5.27

 

  • 知りぬらむ往き来に慣らす塩津(しほつ)山世に経(ふ)る道はからきものぞと

 (紫式部『家集』、「あなたはもちろん知っているわよね、行き来に慣れているあの塩津山が塩辛くてつらい道であるように、私たちの生きていく道もまた辛くてつらいことを、人生ってほんとうに生きにくいのね」) 5.28

 

  • 辛(つら)からん人をもなにか恨むべきみづからだにもいとはしき身を

 (相模『風雅和歌集』、「貴方との関係はもう切れたと頭では分かっている、だからつれない貴方を恨んでもしょうがないと分っているのよ、でも、私にはどこかまだ貴方への未練があるのね、ああ、そんな私が嫌でたまらない」) 5.29

 

  • 逢ひにあひてもの思う頃の我が袖に宿る月さへ濡るる顔なる

 (伊勢『古今集』、「貴方とはあれほどよく逢ったのに、この頃は何だかすれ違ってきたみたいで辛いわ、私の涙で濡れた袖に、今夜の月が映っている、ああ月よ、私と一緒に泣いてくれているのね」) 5.30

 

  • わびぬれば身をうき草の根をたえて誘ふ水あらば去(い)なむとぞ思ふ

 (小野小町古今集』、「人生がわびしくて憂さ憂さしている私です、もし貴方が誘ってくださるならば、浮き草の根が切れて流れていくように、都を離れて田舎に行きたいわ」、文屋康秀の誘いに、恋歌を装って応えた挨拶歌) 5.31