雷ストレンジャーズ イプセン『青年同盟』

[演劇] イプセン『青年同盟』 雷ストレンジャーズ 下北沢 シアター711  9月17日

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 イプセンの初期の作品(1869)で、日本初演。世界的にもほとんど上演されないのではないか。戯曲はかなり長く、多数の登場人物の人間関係と利害関係が複雑にからんだ、ある意味でイプセンらしい劇だが、それを約100分間の楽しい喜劇にまとめている。人間関係の複雑さを、お面を頻繁に取り換えるミュージカル風のパフォーマンスで簡略化し、青年ステンスゴールが婚約に大失敗するという笑劇の部分がうまく前景化されている。俳優が一人何役もやらざるをえないからかもしれないが、大地主モンセンと元資本家ダニエル・ヘイレをともに女性に変えたので、全体が明るくなった。終幕の新聞屋の科白「土地の作法が全部でさあ」から分かるように、ノルウェーの地方の町を牛耳る守旧派の権力者たちと、よそ者である若い弁護士ステンスゴールとの戦いが主題の政治劇と言える。その点では、後年の『人民の敵』とも共通する。だが、「土地の作法」に無頓着な強引で独善的なステンスゴールが、「策士、策に溺れて」あっという間に失脚するところが喜劇なのだ。とりわけ、結婚を自分の政治的地位を強化するための手段としか考えていない彼は、同時に3人の女と婚約したつもりになって大失敗するが、それが劇の中核ともいうべき笑劇になっている。地元の人脈に明るい商人未亡人、大地主のおとなしい娘、「侍従」という貴族称号をもつ鉄工場主の大富豪の娘、この三人の女のいずれかと結婚するつもりになっている彼だが、「侍従」氏の誕生日パーティの席で、同時に、この三人の女とそれぞれの婚約者が現れてしまい、大恥をかいて終幕。この経過が、よく分かるように舞台化されている。(写真↓は、1986年に作られたノルウェーのTV映画から)

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 この作品を現代日本で上演する意義は、やはりその政治劇の側面だと思う。地方の町の政治経済を牛耳る権力者たちの生態と、彼ら守旧派の「土地の作法」がとてもよく表現されている。そして、それらと対決する新興ブルジョアジー自由主義者たち。この対決は、その現象形態は多様でありつつも、おそらく現代の世界のさまざまな場所で再演されているのかもしれない。そしてイプセン自身が、政治権力は世襲ではなく選挙で議員が選ばれる議会制民主主義に、熱い理想を抱いていたことも分かる。しかし、本作では、自由主義者として守旧派と戦うステンスゴールがあまりにも薄っぺらな人物なので、まったく共感できない。『人民の敵』のストックマン博士にも私は共感できなかったが、しかしイプセンの主旨はむしろ、議会制民主主義が「衆愚政治」に陥ることを示したかったのだろうか。すぐ熱狂する「大衆」は本作でも強調されており、この作品を「ポピュリズム」政治家への批判と取ることもできるかもしれない。しかし、それにしてはステンスゴールがあまりにも矮小な人物で、彼はポピュリズム政治家ですらありえないだろう。その意味では、見終わったあとに何とも言えない空虚感というか「後味の悪さ」が残る。しかしイプセン劇はどれも「後味が悪い」ところがその特質であるとすれば、本作も、この上演も成功していると言えるのかもしれない。(左から二人目、ステンスゴール、そして終幕)

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1986年にノルウェーで作られたTV版の動画が↓。

https://tv.nrk.no/serie/fjernsynsteatret/1987/FTEA00002686