杉原邦生演出『グリークス』

[演劇] 杉原邦生演出『グリークス』   横浜KAAT  11月21日

(写真↓はコロス、今回の舞台はコロスが素晴らしく、全体の主人公であるように感じた、コロスはすべて登場人物が兼ねていて、中央がエレクトラ、その左テティス、左端イピゲネイア、右から二人目アンドロマケ、右から三人目ヘレネ(たぶんアフロディーテも)、ヘレネが美女でないのは重要な演出意図)

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私は『グリークス』は、コクーン蜷川幸雄演出(2000)、昴の上村聡史演出(2016)を見ているので、この杉原邦生演出は三度目になる。10時間は辛いが、本当に見応えがある。今回の杉原演出は、フェミニズム版ともいえるもので、女たちの存在感が素晴らしい。一人一人の女たちがそれぞれ、全身で、激しく、自己を主張し、出番でないときはコロスとなって、大いに歌い、語る。トロイ戦争では結局女たちが一番苦しむのであり、クリュタイメストラも、ヘレナも本当は決して悪くないのに、男たちと神々の身勝手のおかげで、悪女にされてしまった。そうした苦しみと葛藤を経て、最後の「タウリケのイピゲネイア」終幕では、自由へと解放された女たちが全員集合して円陣を組んで踊る。ここは本当に素晴らしかった。私は今まで、『グリークス』はなぜこの十個の作品で構成されるのか、「(エジプトの)ヘレネ」などかえって話が混乱するのでは、と疑問に思っていたが、今回の演出で、この十個の構成の意味が分かった。(写真下の2枚は↓、帰還したアガメムノンカサンドラカサンドラと終幕のイピゲネイアが日本の巫女姿なのがいい、その下はクリュタイメストラ)

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冒頭の三女神の美人コンテストも、本当は男たちの欲望に沿ったゲームであり、ヘレネも含めて女たちはみな(女神たちも)、男たちの性的欲望の被害者なのだ。私は最前列中央の席だったので、一人一人の顔がよく見えたが、アフロディーテが美人でないのに衝撃を受けた。だが、これこそ演出の意図なのだ。美人コンテスト、アウリスのイピゲネイア、で始まり、タウリケのイピゲネイア、で終わる構成は、女たちの解放というフェミニズムの線で考えるとよく分かる。「(エジプトの)ヘレネ」も、神々の恣意性や遊びを非難する主旨であり、ヘレネは神々の遊びの被害者だという点がポイントなのだ。ヘレネを美人でなく造形したのも、重要な演出意図。『グリークス』の主人公は女たちであり、神々への批判、男性への批判が基調トーンになっている。女たちが激しく自己を主張するのに対して、男たちはどこか滑稽キャラになっている。メネラオスギリシア悲劇の原作でも滑稽キャラだが、この上演は、アガメムノンアキレウスも滑稽キャラになっている。(写真下は、メネラオスアガメムノン、そしてアキレウステティス(彼の母)、アキレウスが甘えん坊の坊やになっているのがいい)

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それにしても、女たちは本当に輝いている。エレクトラクリュタイメストラ、アンドロマケが、それぞれきわめて個性豊かで、激しく自己を主張するのは原作もそうだが、今回は、それに加えてカサンドラ、イピゲネイア、ヘルミオネ、クリュソテミスなどもそれぞれ個性的で、激しく自己を主張する。そして、登場する神々が徹底して滑稽キャラなのがいい。アフロディーテは不器量なねえちゃん、アポロンは芸人の下品なおっちゃん、アテナは本を担いだ元気な本屋のおかみさんだ。そう、『グリークス』は女の解放の物語なのだ。ギリシアの原作も、じっくり読んでみると、そういう側面があるのかもしれない。アリストファネス『女の平和』だけではないのかもしれない。(写真下は、左からプリアモス、ブリセイス、アキレウス)

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 動画です↓。30秒ですが、女たちが輝いています。

https://www.youtube.com/watch?v=FRtFspKIFOo