美と愛について(1) ― はじめに

美と愛について(1) ― はじめに 

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年は私のブログ「charisの美学日誌」に、「美と愛について」というテーマで週に一回くらい連載したいと思います。一年くらいは続けられそうです。

f:id:charis:20200101020249j:plain(フィガロの結婚)

 私はモーツァルトのオペラが好きで、21作品ほぼすべてを見たし、『フィガロの結婚』は実演だけで50回以上見ました。モーツァルト以外でも、パーセル『ディドとエネアス』、リュリ『ファエトン』、ヴェルディ『椿姫』『リゴレット』、ワーグナー『指環』、シュトラウスばらの騎士』、ベルク『ルル』、プーランクカルメル会修道女の対話』などはよく見ます。演劇もたくさん見るのですが、オペラにしても演劇にしても、どうも私は同じ作品を繰返し見るようです。

 それはなぜだろう、と考えるのですが、これらの作品においては、美と愛が深く結びついて一体になっているので、そこに私は惹かれるのだと思います。デカルト『情念論』によれば、「愛」は六つの基本感情の二番目に重要なもので、その「愛」は、「よいものへの愛」と「美しいものへの愛」の二種類あります。またプラトン『饗宴』では、「エロスは美に対する恋である」と言われ、アウグスティヌスは「私たちは美しいものしか愛さない」(『告白』『音楽論』)と言います。これほど深く、美と愛は結びついています。

 それはなぜだろう? そして美と愛はどのように結びついているのだろう? これがこれから私が考察するテーマです。オペラ、演劇、短歌・俳句などについては、私はブログにたくさん書いてきたので、これから「美と愛について」で書くのは、哲学的考察です。私の考察は、「美」については、主としてカント『判断力批判』における「自由な美/付属的な美」にもとづいていますが、「愛」についての考察はなかなか難しい。というのも、「愛」は、愛/恋愛/恋/エロティシズム/性愛/友愛/家族愛/隣人愛/ナルシシズムアガペー/カリタス/与える愛/贈られる愛など、多様な姿をとるからです。「愛」については、プラトンアリストテレスアウグスティヌス、トマス、デカルトフォイエルバッハキルケゴール本居宣長九鬼周造などの他に、フロイトラカン等を参照します。そしてダーウィン『人間の由来』に始まる進化生物学の「性選択」の理論も重要です。なぜなら、ウグイスやクジャクは求愛のために美しい声や羽を持つに至ったわけで、ヒトの身体の毛が抜けて裸になり、男女ともに美しい身体になったことは、美と愛の根源的結びつきを示唆するからです。

 ニーチェは、芸術は、人間の生の最高の肯定、祝福であり、我々の生をギリシア神話にみられるような神の生に高めるものだと述べました。すなわち、「芸術における本質的なものは、芸術が人間の生存を完成させること、芸術が完全性と充実をもたらすことにある。芸術は、本質的に人間の生存の肯定、祝福、神化である」(『残された断章』)。

 私は、ここで言われる「人間の生の最高の肯定、祝福、神化」は、美=愛であると考えます。なぜなら芸術や文学のもっとも主要なテーマは、美と愛だからです。私の考察は哲学的なものですが、芸術や文学のたくさんの素材を使います。次回から、まずはピーパー『愛について』における、愛は受動的な感情であり「贈られるもの」である、という話から始めたいと思います。そしてその次に、デカルトやトマスの「愛」の概念を考察します。

 初回の最後に、美と愛が最高に一体となった例として、『魔笛』の最後「パ、パ、パ・・・」のyou tubeを一つ貼ります↓(7分間)。とても面白い舞台で、もも引き姿のキモい中年オッサンのパパゲーノと、ズロース姿のオバサンのパパゲーナ。普通ならけっして美しいとは言えない二人の性愛が、このうえなく美しく輝き、私たちは大笑いして涙ぐみます。何という快い涙! そう、死を賭けたパパゲーノに贈られた恩寵の愛の美しさは、「人間の生の最高の肯定、祝福、神化」であり、ここには「永遠の今」の浄福があるからです。

https://www.youtube.com/watch?v=AFTpT7REua4