今日のうた(105)

[今日のうた] 1月ぶん

(写真は原石鼎1886~1951、島根県出身で高濱虚子に師事、代表句「山の色釣り上げし鮎に動くかな」など色彩感覚に優れた句を詠んだ)

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  • 大濤(おおなみ)にをどり現れ初日の出

 (高濱虚子、作者は、荒れる海で元日の初日の出を見たのだろう、日の出というのは、あっ、いよいよ出て来るぞと思った瞬間、もうビッと出てきてしまっている、連続的ではなく不連続な動き、この句も「をどり現れ」が卓越) 1.1

 

  • 三椀(さんわん)の雑煮かゆるや長者ぶり

 (蕪村1772、「かゆる」=おかわりする、「お雑煮を三杯もおかわりしちゃった、それだけのことだけど、何だか長者になった気分、お正月っていいな」) 1.2

 

  • 子とあそび夫とかたり妻の春

 (河野静雲1887~1974、作者は虚子に師事した俳人で僧、この句は1937年作、いつも作者の妻は寺の仕事や家事で忙しいのだろう、でも正月にはゆったりと子と遊んだり夫と語ったりして、妻はとても楽しそう、妻をねぎらう愛妻句でもある) 1.3

 

  • 足場から大声だして人を呼ぶ声の力を両手にあつめ

 (田中道孝『角川短歌』2019年11月、作者1959~は昨年度の角川短歌賞受賞者、建設技師だろうか、巨大な工事現場、足場の上で工事の一人が両手を口に当てて大声で人を呼んでいる、「声の力を両手にあつめ」て) 1.4

 

  • ふえてゆくほくろ美し死とともに星図は完成すると思えば

 (鍋島恵子『角川短歌』2019年11月、作者1977~は昨年度の角川短歌賞受賞者、一人でいる寝室に月の光が射している、星空も見える、自分の顔に増えていく「ほくろ」は美しい、星図の星が増えるのだと思えば) 1.5

 

  • 真冬とは手袋をなくす季節なり寒きこの世の手をもつかぎり

 (小島ゆかり『六六魚』2018、そういえば私も一冬に必ず一回くらいは手袋をなくす、しかし、作者のように「手が寒い」とすぐ気付くことなく、翌日出かける前に「あれっ、ない」と気付いてあせる) 1.6

 

  • 雪の日は雪の結晶また見たし実家の小さき顕微鏡にて

 (栗木京子『ランプの精』2018、作者1954~は京大理学部生物学科の出身、高校生のころは理科少女だったのだろう、自宅の「小さな顕微鏡」で微生物や雪の結晶を観察していた、50年後のある日、降った雪は50年前を想起させる) 1.7

 

  • 恋猫の眼(まなこ)ばかりに痩せにけり

 (夏目漱石1907、冬は猫の発情期だが、漱石家のオス猫は弱かったのだろう、いつも他のオス猫に負けて、しょんぼりと帰ってくる、ケガをし、肉も落ち、「眼ばかりに」痩せて) 1.8

 

  • 面白やかさなりあふて雪の傘

 (正岡子規1893、俳句としては子規1867~1902の初期の句、東大を中退した直後で子規庵に住む前年だが、場所は東京だろう、「重なるように幾つも並んだ傘の上に雪が積もって面白い」、和傘か、いや当時普及し始めていた洋傘か、両方混じっているのか) 1.9

 

  • どうしようもないわたしが歩いてゐる

 (種田山頭火『鉢の子』1932、山頭火の代表句の一つだが、なかなか“汎用性のある句”だ、「どうしようもない」の後で切るか、「どうしようもないわたし」の後で切るかで、意味は微妙に違うが、どちらも、誰しもが思い当たる心象風景だろう) 1.10

 

  • 考える人のポーズでぼんやりと トイレにはある?自由と尊厳

 (月野桂『角川短歌』2019年11月佳作、作者は女子高生、管理主義の高校の学校生活を詠む歌が並ぶ、選評では、委員の一人が◎、もう一人が〇だから、こちらが角川短歌賞を取ってもおかしくなかったかも) 1.11

 

  • 各々がちゃんと考えたんだろうGmailアドレスの一覧

 (石井大成『角川短歌』2019年11月佳作、作者1999~は九州大学の学生か、バイト先の塾の生徒名簿だろうか、たしかにメールアドレスの@の前の文字列は、いろいろ考えて作られている) 1.12

 

  • 商店街の花屋の店先 体力のありそうな花ばかり並んで

 (梶山志緒里『角川短歌』2019年11月佳作、作者1993~はたぶん誰かに贈る花束を買いにきている、「体力のありそうな花」というのがいい、普通はひ弱そうな花もあるはずだから、「ばかり並ぶ」のは珍しい?) 1.13

 

  • 駆けだした彼女の襟の白線が彼女のかたちに合せて動く

 (月野桂『角川短歌』2019年11月佳作、作者は富山県の女子高生、直前の歌に「タケシタはまっすぐな奴 セーラーの襟についてる白線よりも」とある、同級の親友か、制服はセーラーなのだ、そう、JKって純粋で美しいよね) 1.14

 

  • 氷る燈(ひ)の油うかがふねずみかな

 (蕪村、「作者は凍るような寒い夜、熱心に読書している、ふと気が付くと、行燈の下にある「凍っている油」を舐めようとネズミが様子をうかがっている」、植物油は凍るのだろうか、しかし今年はまだ余り寒くないですね) 1.15

 

  • つな引に小家の母も出にけり

 (水田西吟?~1709、小学校の運動会などで見られる「綱引き」だが、もとは1月中旬ころ行われる神事だったらしい、作者は井原西鶴と繋がる関西の俳人だが、この句から、綱引に子どもも参加していたのがわかる) 1.16

 

  • 選集にかゝりし沙汰や日脚(ひあし)のぶ

 (高濱虚子、「選集に没頭していて、ふと気が付いた」というのがいい、何の選集だろうか、「日脚のぶ」とは、冬至からしばらくたって、少し日が長くなったなと感じること、1月17日の今日は冬至から27日目、そろそろ「日脚のぶ」ころだ) 1.17

 

  • 雪に来て美事な鳥のだまり居る

(原石鼎1934年、「だまり居る」がいい、鳥だってそうそう降雪に慣れているわけではない、戸惑っているのだろう、人間の期待するように美しい声で鳴いてよと言われてもね・・・、だから「だまり居る」)1.18

 

  • 子ら登校一列縦隊雪国の吾も斯(か)かりきもっと元気ありき

 (藤田豪之輔「朝日歌壇」1972年1月、宮柊二選、作者は東京在住、東京に雪が降った日の朝、小学生たちが一列縦隊で登校中、雪国生れの作者もかつて「このように」雪の朝を登校した、雪に戸惑う東京っ子と違って、もっと元気に歩いたよ) 1.19

 

  • 風呂わかすすべを覚えし盲い子のいそいそと今日もわかし呉れたり

 (小林とみ子「朝日歌壇」1972年1月、近藤芳美選、作者には盲目の子供がいるのだろう、まだそう大きくはないが風呂を沸せるようになり、母に代わって沸かしてくれる、「いそいそと今日も」がいい、子供もうれしいのだ) 1.20

 

  • 荒海の舟より降りし彼岸僧灯台守に迎えられおり

 (谷本喜平次「朝日歌壇」1972年1月、宮柊二選、「彼岸」とは「向こう岸」という意味だろう、岬の先端あるいは離島の灯台だろうか、やっと荒海の向こう岸から老僧が小舟に乗って灯台に来てくれた、僧の体を支えながら迎える灯台守) 1.21

 

  • あい嫌(いや)でありんすを聞き抜き放し

 (『誹風柳多留』第14篇、吉原の高級遊女の高尾を、仙台藩主の伊達綱宗が身請けしたが、高尾は嫌がって綱宗を振ったので、綱宗が怒って切り殺したという俗説、川柳にはたくさん詠まれている、高位の武士に類似ケースはあったのかも) 1.22

 

  • 雪の供(とも)こいつがなんの洒落だろう

 (『誹風柳多留』第19篇、「上流階級である御主人様は、風流な雪見と洒落こんでいらっしゃるけれど、お伴させられる庶民の俺には、雪はただ寒いだけだよ、とほほ」) 1.23

 

  • 仲人の跡(あと)から出来るおもしろさ

 (『誹風柳多留』第9篇、まず結婚があり次に妊娠があるという順がまあ標準だろうが、江戸時代にも出来ちゃった婚は多かったのだろう、お腹の大きい花嫁が何とか仲人を頼み込んで、結婚披露宴にこぎつけたのか) 1.24

 

  • 梓弓(あづさゆみ)引きて許さずあらませばかかる恋には逢はずあらまし

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「梓弓をきりりと引いて緩めないように、心を許さなければよかったのに、ああ、こんな苦しい恋に陥ってしまった、女って弱いのね、心に隙があったのね」) 1.25

 

  • 夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝なわが面影に恥づる身なれば

 (伊勢『古今集』巻14、「夢の中でさえ私に逢ったと貴方に思われたくないわ、毎朝毎朝、鏡を見るたびに、自分の容貌の衰えが恥ずかしいのだから」、「夢」は昼間まどろんで彼が見る夢のことだろう、彼が帰った朝に鏡を見ると、もう昨夜より老けている、という悲しい歌) 1.26

 

  • 帰るさのものとや人の眺むらん待つ夜ながらの有明の月

 (藤原定家『新古今』巻13、「私の所へ来なかった貴方は、別の女の所にいるのね、今、その女と別れて帰る途中、この有明の月を眺めているのかしら、私がずっと寂しく見続けていたこの月を」、女に託して詠んだ恋の名歌) 1.27

 

  • 我がためはたなゐの清水ぬるけれど猶かきやらんさては澄むかと

(藤原実方拾遺和歌集』、「貴女の愛情がぬるい[=薄い]のと同様、うちの水ための浅い井戸はぬるく濁っています、だからかき混ぜてみよう、そうすればたぶんすっきりと澄んで(=住む=契を交わす)、貴女の私への愛情も高まるでしょう」、女の返しは明日) 1.28

 

  • かきやらば濁りもぞする浅き瀬の水屑(みくづ)は誰か澄ませてもみん

 (女『拾遺和歌集』、昨日の実方の歌への返し、「まるで薄い愛情のようにぬるく濁った井戸を、貴方はかき混ぜようっていうのね、ふーん、ますます濁るわよきっと、私という井戸を澄ませる(=愛情を高める)のは、さあ誰かしらね」) 1.29

 

  • 着膨れて幸せさうにみえぬ人

 (宇壽山孝子「東京新聞俳壇」1月26日、石田郷子選、着膨れた人がどう見えたのか、老若男女で印象はそれぞれ異なると思うが、たぶん高齢者男性だろう) 1.30

 

 (本多豊明「朝日俳壇」1月26日、長谷川櫂選、茨城県大洗で有名な鮟鱇の「吊るし切り」だろう、吊るされた鮟鱇は大きくて堂々としていて存在感がある、まだ「一刀の傷もない」) 1.31