平田オリザ 『東京ノート』

[演劇] 平田オリザ東京ノート』 青年団公演 吉祥寺シアター 2月20日

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(写真↑は舞台、終幕近く、中央は長女の由美(松田弘子)、右は次男の妻である好恵(能島瑞穂)、平田の劇には主役的人物はいないのだが、本作では二人は準主役的、『東京ノート』は小津の『東京物語』を擬したところがあり、由美は5人兄妹の長女で、地方都市で年老いた両親を介護しているが、東京に住む4人の兄弟妹と会うために上京し、美術館で5人兄妹全員が落ち合う、そのとき美術館には、それぞれの出会いと別れをかかえた人々がフェルメール展を見に来ている。写真下↓はインターナショナル版、筋はほぼ同じだが、多言語なので会話が微妙に違ってくる) 

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平田オリザの劇はそのほとんどが、ある空間の短い時間に、人々の出会いと別れが淡々と表現されるそれが我々の人生そのものだからだ。今回見た『東京ノート』は、『ソウル市民1919』と並ぶ大傑作だと思う。日常のさりげない会話、静かな言葉が発せられるだけで、人間のとても深い感情が表現される。その点は小津安二郎の映画とよく似ている。それはまたチェホフと同様、絶望的な状況の中でもがくように生きている人間の愛おしさを描いてもいる。ただ、『東京ノート』は、演劇そのものの原点のような作品なので、観客は想像力を全開にして観賞しなければならず、かなり難解な作品だと思う。登場人物は自己紹介なしに、いきなり登場し、彼らは互いに既知だから、ぽつぽつと会話するだけ。名前は何で、どういう人で、今まで互いにどういう関係があり、今何をしている人なのか。これらすべてを彼らの断片的な発言から、観客は頭の中で再構成しなければならない。ヨーロッパが戦争で絵が日本に逃げてきて美術館に展示され、登場人物の何人かは、そうしたシュールな設定とも関係しているので、そういうコンテクスト全体を理解するのは難しい。普通の美術展ではないのだから。『東京ノート』の不条理劇性は、20世紀に成立した現代演劇のあるべき方向性を正確に示している。それは舞台装置が現代アートであることからも分る。

 

平田の劇の登場人物たちが繰返し語る言葉は、「えぇ、まぁ」「いや・・・、まぁ」「あぁ、そう」「いや、別に」「いいの、いいの」「そうなんだ」「そんなことないですよ」「だってさぁ・・」「いやぁ・・」「ま、いいか」「あぁ、でもねぇ・・」等々といったもので(小津の映画みたい)、たしかに私たちは、親しい者と交わす言葉はこういうものなのかもしれない。『東京ノート』は、美術館の待合室なので、各人が絵を観に席を立ってまた戻る、という人の動きしか存在しない。その中では、たまたま女性たちだけになることもあるが、会話が女子会的なノリになるわけでもない。故郷に住む独身の長女も、東京に出て来て結婚した兄弟妹たちも、みな明るく、楽しげに話すけれど、実は、誰もがどこか寂しさをかかえていて、それがちょっとした言葉の端から現れてしまう。二男の妻の好恵は離婚するので、兄弟姉妹と会うのは、これが最後。でもそれを知っているのは長女の由美だけなので、終幕の二人の「泣いたら負けの睨めっこ」は、本当にチェホフ的な別れだ(一番最初の写真↑の、次のシーンがそれ)。「さあ、私たち、生きていきましょう、生きていかなくては」(『三人姉妹』)。どんなに悲しくても、これが私たちの人生なのだ!

 

今回、終演後の平田オリザトークがとても参考になった。美術館の待合室では、普通、このような会話がなされることはないので(学芸員や観客が自分の反戦運動の経歴を語るなど)、そもそも全体が不自然・不条理なわけだが、平田によれば、そうだからこそ、ヨーロッパが戦争で絵画が日本に避難してくるというシュールな設定をあえてしたのだ、と。私は、1994年の初演だからユーゴ紛争が念頭に置かれていると思っていたが、それだけではなかったのだ。戦争で逃げてきたフェルメール展の美術館待合室という設定自体が、この作品の肝なのだが、それは同時にこの作品を不条理劇にし、難解にもしている。平田によれば、1994年にはフェルメールは日本でほとんど知られておらず、美術館で、知っている人/いない人のギャップが大きく出るから、ゴッホレンブラントではなくフェルメール展にした、と。