美と愛について(9) ― 恋に陥る瞬間、トーマス・マン『魔の山』

美と愛について(9) ― 恋に陥る瞬間、トーマス・マン魔の山

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(↑2018年ミュンヘンで上演された演劇版『魔の山』、ショーシャ夫人が髪の後に両手を回す仕草をし、彼女の肩と腕に触れるカストルプ青年。彼女はダボスサナトリウムで治療を受けている(たぶんレントゲン室のシーン)、原作には下着姿はない)

 

トーマス・マン魔の山』(1924)は、スイスのサナトリウムに滞在している24歳の青年ハンス・カストルプが、28歳のロシア人クラウディア・ショーシャと出会い、恋をする話である。ショーシャには夫がいるが、サナトリウムには一人で入所している。カストルプが食堂で、初めてショーシャ夫人を見た時はこう描かれている。(引用と頁数は、圓子修平訳、『トーマス・マン 魔の山Ⅰ』集英社より、伊藤白「ショーシャ夫人は美しいか」(京都大学・独文学研究室紀要、2005)より訳文を借用した箇所もある)

 

>食堂を横切って行くのは一人のレディ、中ぐらいの背丈の、婦人というよりはむしろ若い娘で、白いセーターに色もののスカートをはき、赤みがかったブロンドの髪を編んで、無造作に頭の回りにまきつけてある。・・・片手は体にぴったりと合ったウールのセーターのポケットに入れ、もう一方の手は後頭部に回して、ささえながら整えるように髪に触っていた。ハンス・カストルプはその手を見た、彼は手に対して鋭敏な感覚と批評的な注意力をもっていて、知り合いができるといつでもまず第一に手に注目するのであった。髪をささえているその手はとくに女性的というのではなく、・・・かなり巾がひろくて指の短いその手には、女学生の手のように、どこか子供っぽいところがあった。(88)

 

そして少し後に、サナトリウムで開かれた精神分析の講演会で、カストㇽプ青年は偶然、ショーシャ夫人の真後ろに座ってしまった。

>[彼は]、前の席の背中と、すぐ目の前で編んだ髪を下からささえるために挙げてうしろに回した手と腕に心を奪われてしまった。・・・望むと否とにかかわらず彼はこの手を観察し、拡大鏡で見るように、この手に付着しているあらゆる欠点と個性を研究しないわけにいかなかった。・・・腕、そっと頸のうしろに回された腕は、手よりも美しく、ほとんどむき出しだった。つまり、袖の布地はブラウスの布地より薄く、透きとおるような紗で、そのために腕が仄かな影の中の光のように見えたのである。もしこれが何もまとっていなかったら、これほど美しくはなかったであろう。この腕は、ほっそりしているくせに豊満で、どう見ても、ひんやりと冷たかった。・・・女たちはなんという服装をするのだろう! 女たちは頸や胸をあらわにし、透きとおる紗で腕に後光を与える。・・・ああ、人生は美しい! 人生は、女たちが蠱惑(こわく)的な服装をするというような、自明な事実によって美しいのだ。・・・いうまでもなく女たちが、作法に抵触することなしに、お伽噺にでてくるような魅力的な服装を許されているのはある一つの目的のためである。つまり次の世代、人類の繁栄のためなのだ。(145)

 

トーマス・マンのこの叙述は、フロイトが、ヒトだけが他の哺乳類と違って無毛の裸体になったのは、服を通して想像力によって裸体を「見る」楽しみを得るためだ、と述べたのを思い出す。そしてまた、ヒトが裸体になったのは、進化生物学でいう「性選択」、つまり生殖を動機づけるためであり、カストㇽプがここで「ある一つの目的、次の世代、人類の繁栄のため」と言うのはそのことなのである。そして、「ああ、人生は美しい! 」と言っていることから分かるように、「美」の起源が裸体にあることもここで示唆されている。『魔の山』では、カストㇽプ青年がショーシャ夫人を見る時はいつも、彼は必ず、彼女の腕や肩、頸とともに、服を通して現れる彼女の体の線を注視している

 

>[彼女は]片手をセーターのポケットに入れ、他方の手を後頭部に回して、[彼に]尋ねた。(236)

>ショーシャ夫人がこんども脚を組み合わせたので、膝が、というよりすらりとした脚全体が青いラシャのスカートの下からくっきりと際立ってみえた。・・・比較的脚が長く、腰は太くなかった。彼女は前屈みになって、組み合わせた両腕を組み合わせた脚の太ももの上に支えて、背中をまるめ両肩を落したので、頸椎(けいつい)が浮かび上がったばかりではなく、体にぴったりしたセーターの下に頸椎がそれとわかるほどで、大きくも豊かでもなく、小さくて少女のような乳房は両側から圧し合された。・・・彼は、青いラシャのスカートの上からでもわかる膝を見、組み残された短い赤いブロンドのほつれ毛が垂れている項(うなじ)に頸椎が浮かび上がるのを見た。またしても彼に戦慄が走った。(238)

>カストㇽプの恋情は、ショーシャ夫人の膝、脚の線、背中、頸椎骨、その可愛らしい胸を左右から圧迫している上膊など、彼女のいっそう肉体的になった肉体に固執した。(256)

>[ショーシャ夫人の新しい服は]頸のまわりに少女の服のような丸い襟刳(えりぐり)がついていたが、この襟刳は小さくて、喉と鎖骨の付け根と、頭をいくぶん前へかがめているために、項(うなじ)のほつれた髪の下で少し突き出ている頸椎骨とがかろうじて見えるだけであったが、一方、この衣裳には袖がなく、クラウディアの腕 豊満で力なげな、しかもひんやりと冷たそうな腕は肩まで剥きだしになっていて、その異様な白さと黒い衣装の対照は、ハンス・カストㇽプが思わず眼を閉じて「ああ、どうしよう」と心の中で呟いたほど衝撃的であった! ・・・ふくよかな、強調された、まばゆいばかりのこの裸形の腕は、かつての仄かな影の中の光などよりはるかに強烈な事件であり、それに対してはただうなだれて声もなく「ああ、どうしよう!」と繰り返すほか答えようのない出現であった。(357)

 

カストㇽプ青年が、クラウディア・ショーシャの肉体のある部分だけにいかに強烈に衝撃を受けたかが、以上から分かる。そして、ショーシャ夫人がサナトリウムからいったん退所する直前、突然カストㇽプはショーシャ夫人の傍らに跪き、全身を震わせて「ボクハ君ヲ愛シテイル」と告白する。ロシア人のショーシャ夫人は、フランス語の方がドイツ語より堪能なので、最後の告白の部分の会話は、フランス語でなされている。そして、そこでもまた彼女の肉体の詳細が賛美されている。

>人体トイウ大建築物ノコノミゴトナシンメトリーヲ見給エ、左右ノミゴトナシンメトリーヲ見給エ、左右ノ肩ト腰、胸ノ左右ノ花ノヨウナ乳首、・・・見給エ、背中ノ絹ノヨウナ皮膚ノ下デ肩甲骨ガ動クノヲ、ソシテ、豊満ナミズミズシイ臀部ニオリテ行ク背骨ヲ、・・・肉ノクッションノ下ニ夥シイ有機的繊細サヲ秘メタ、肘トヒカガミjarretノ関節背面ノ甘美ナ部分ヨ! 人体ノコノ甘美ナ部分ヲ愛撫スルコトハ、ナントイウ限リナイ祝祭ダロウ! 死ンデ悔ナイ祝祭! ソウダ、キミノ膝蓋骨ノ皮膚ノ匂イヲ嗅ガセテクレタマエ・・・・(377)

 

ショーシャ夫人の前に両膝をついて震えながら告白したカストㇽプに対して、夫人はこう答える。

>ホントニアナタハ、深刻ニ、ドイツフウニ口説クノガ上手ナ伊達男ネ。アデュー、カーニバルノ王子サマ、アナタノ熱ノ曲線ハ今夜スゴイコトニナルワヨ、予言スルワ。・・・彼女は、そう言うと、入口の方に進み、あらわな腕の一方をあげ、手を蝶番にかけて、半ば振り向きながらためらっていた。そして出て行った。(377)

 

以上が、カストㇽプ青年を魅了したショーシャ夫人の肉体の詳細な記述である。上に太字で強調した「肘トヒカガミノ関節背面ノ甘美ナ部分ヨ!」に注目したい。「ひかがみjarret」とは膝の裏側、つまり足が内側に曲がる部分で、盛り上がった肉の間に窪みあるいは太い線ができる。この「ひかがみ」や肘関節の内側は、カストㇽプ青年が、特別に萌える肉体箇所であり、『ヴェニスの死す』にも「ひかがみ」が登場する。それは次回に検討しよう。

(写真は↓、1982年のフランス映画『魔の山』、カストㇽプとショーシャ)

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PS :美と愛が最高に一体となったシーン、『フィガロの結婚』第4幕、伯爵はスザンナに化けている伯爵夫人を愛撫しても誰だか分らない、「やっぱ若い娘の肌はいいな」なんて悦に入ってる、夫人は怒ってますよ、でも四重唱の息をのむ美しさ!カミラ・ニールントの伯爵夫人は最高!(3分弱)

https://www.youtube.com/watch?v=9sVyqMh_-b4